第三章 第56話 分かったな

「……レアリウス?」


 セラピアーラにとって、久しぶりに耳にする言葉ヴェルディスだった。


 一緒に呼び起こされる記憶メヌエスは、あまりいいものではない。

 彼女の実のダードレマードレが、十年前にこの街ピケで起きたと言ういざこざで、命を落としたと聞いているからだ。

 そのいざこざの一方の当事者が、そのレアリウスという耳慣れない組織アントルガーナ――そんなリクサスが一時期流れたが、その言葉を街の人々は皆、あまり積極的に口にしようとしない。


 そんな、正直しょうじき気味の悪い集団と自分に、一体何の関係があるのか。

 セラには皆目かいもく見当がつかない。

 だから口をついて出たのは、ごく当然の疑問だった。


「どうして、わたしが?」


 しかし、ドルガリスは答えない。

 疑問が疑念に変わりつつある。


「レアリウスって、あれでしょ? 何か怪しい人たちみたいな話を聞くし、そもそもわたしの……父さんダァダ母さんマァマが死ぬ原因になっ――」


「もう決めたことだ」


 少しずつトーンの上がるセラのヴォコとは対照的に、ドルガリスの声音こわねはひたすら低く、冷たいままである。


 どうしてっ! ――と、かぶせるように言われて、咄嗟とっさに叫びそうになる気持ちを、セラは辛うじて抑えた。


 この人には感情的に訴えたところで、大して意味がない。

 そのことを、セラはとっくにわきまえていた。

 商人エムルカなのだから、イラベザで動くのは当たり前なのだが、それでしか動かないドルガリスのことを、改めて厄介に思うセラ。

 身内である、というアドバンテージですら、この叔父にはほとんど効果がない。


 それでも……両親オビウスを亡くして行き場のなくなった自分たちを拾い、育ててもらった恩を、セラは感じている。


「ドルさん」


 セラは兄のアーチーと違って、ドルガリスのことをおじさんではなく「ドルさん」と呼ぶ。

 その度にドルガリスが何とも言えない複雑な表情になることを、セラは「おじさん」と言わないことが原因だと思っている。

 叔父を呼ぶのに名前を敢えて使うことで、何となく他人行儀と言うか、どこか隔意かくいのある印象を与えていると自覚しているからだ。


「その、レアリウスに行ってわたしは何をするの?」

「……それは、向こうに行けば知らされるだろう」

「今ここで教えてはもらえないってこと?」

「そういうことだ」


 取り付く島もないとは、まさにこのこと。

 会話を始めてから、知りたいことは何一つ返ってこない。

 つまり、これは命令オルディナ

 ネヴィノとは言え、風見鶏亭ここ従業員ダンギートに過ぎないセラは、命じられれば従うしかない。


 それでも彼女は、少しでも答えエランドを引き出そうとする努力ペナードを放棄しなかった。


「教えてドルさん。これって……お兄ちゃんブラットリィのことと関係あるの?」

「……」

「お兄ちゃん、昨日から帰って来てない」

「……」

「昨日見た時、アローラにすごい怪我レジオアしてた」

「……」

「あれは……ドルさんがやったんでしょ?」

「……」

「怪我もそうだけど、お兄ちゃん、見たこともないようなマータをしてた」

「……」

「お兄ちゃんのあんな怖い目、わたし初めて見たよ……」

「……」

「一体、お兄ちゃんに何があったの?」

「……」

「――お兄ちゃんが時々、風見鶏亭うちとは関係ない仕事してたの、知ってるよ」

「……」

「それがもしかして、レアリウスだったの?」

「……」

「わたしは」


 そこまで言って、セラは一旦いったん口を閉じた。

 両手をぎゅっと握りしめる。

 そして、勇気サルディアを振り絞るようにして、続く言葉を投げかけた。


「……わたしはここに……風見鶏亭に帰ってこられるの?」

「……」


 沈黙ボードンが、全ての答えを雄弁に物語っていた。

 セラは自分の運命フェルディスを悟った。

 それはもう、きっとくつがえらない。


 そんな彼女の心に、一瞬だけある思いが頭をもたげた。


 ――逃げちゃおうか……?


 しかし、心の中でセラは首を横に振った。

 自分がレアリウスに行かされることと、兄のことにはきっと関係がある。

 もしここで逃げ出せば、風見鶏亭ここに戻ってきた兄は……ただでは済まない。


 握りしめたフォーシュに、さらに力が入る。

 セラは――――覚悟を決めた。


「――分かったよダット、ドルさん。ザハドに……レアリウスに、行くから」


 それだけ言うと、セラはきびすを返した。

 その背中ディエートルに向かって、ドルガリスはようやく再び口をひらいた。


出発ブレフォールは、三日後だ。それまでに全ての支度・・・・・を済ませておけ」

「……分かった」


 セラは振り返らずに答えた。

 それ以上、ドルガリスの言葉がないと分かると、つぶやくように言った。


「ねえ、ドルさん」

「……何だ」

「お兄ちゃんに……優しくしてあげて」

「……ああ」


 戻ってきたのは、予想通りの返事。

 それでもセラは何も言わず、今度こそヴラットを開けて執務室ロマ・ビューラスを出て行った。


「……」


 ドルガリスは椅子に座ったまま、閉じた扉をしばらくながめていた。

 そして咳払いをひとつすると立ち上がり、執務室のさらに奥に通じる扉を開けた。


 中に入ると、そこには魔法ギームによる遠距離通信用を行うための「黒針ヴァートリオ」が設置されている。


 定められた手順に従い操作すると、ある場所への通信回線へと接続された。

 定型のやり取りをし、お互いの素性を明らかにすると、ドルガリスは相手に用件を話し始めた。


「……はいヤァ……はい。本人も納得しました」

「――――」

「ではこれで、今回のピケでの失態は帳消しということで、お願いしますよ」

「――――」

「大丈夫です。セラピアーラは間違いなくレアリウスにお返しします・・・・・・・・・・・・

「――――」

「はい。では、くれぐれも(アーラオルド・)ハンブレーウス様(レアリウス五司徒レガストーロの一人。生体部門長)によろしくお伝えください。では」


 通信が切れると、ドルガリスは大きくため息をいた。

 そして、小さくつぶやく。


「……許せ、セラ」


    ◇◇◇


 ドルガリスの執務室を辞したあと、セラピアーラは階下かいかり、食堂ピルミルにいた店員クロフィスタに何かひと言ふた言告げると、そのまま店の外に出た。


 歩きなれた市場メルコスを抜け、市街地を通り、彼女が足早に向かったのは、広大なグラーシュ川アバ・グラーシュのぞむピケのホルニアだった。


 太陽オーヌは傾き始めているが、まだ夕方ヴェセールには少し早い時間帯。

 セラはネイヴィスの泊まっていない波止場ピカイアを選んで、腰を下ろした。

 川をゆったりとくだっていく船。

 頭上をひらひらと舞うカモメミーヴォーたち。


 幼い頃、アーチーとセラはこうして波止場に座って、川を行く船や飛ぶ鳥たちを眺めたり、気まぐれにヤリオをやったりしていたのだ。


 手近にあった小石アルマピードを拾って、何となく川に投げ入れるセラ。

 ぽちゃん、と言うかすかな音が、彼女の記憶を刺激する。


 何も知らなかったあの頃。

 当時と比べて、今の自分の身の上の、何と心細いことよ。


「あーあ……何でこんなことになっちゃってんだろ……」


 思わず愚痴プレンダントがこぼれ出る。

 二つ目の小石を投げ入れようとしたその時。


「……セラか?」

「えっ!?」


 驚いて振り返ると、そこに立っていたのは――アーチーだった。

 昨日出て行った時の服装のまま、口のはしを青くらせたまま。


「お、お兄ちゃんっ!?」


 あわてて立ち上がるセラ。

 駆け寄るアーチー。


「お前、こんなとこで何してんだよ」

「何って――じゃなくて! お兄ちゃんこそどこ行ってたのよ!?」

「え?」

「昨日帰ってこなかったじゃない!」

「あ、ああ」

「心配したんだよ!? ホントにもう!」


 そう言うと、セラは兄の両肩をつかんで前後にすぶった。


いつっ!」

「え?」

「痛いから、ちょっと離せ」


 身動みじろぎして、セラの手を振りほどくアーチー。


パラス、どうかしたの?」

「いや……別に何でもねえよ」

「じゃあどうして痛がってんの?」

「何でもねえっての。そんなことより」


 アーチーはセラの目をじっと見た。


「何してんだ、お前こそ。店はどうした」

「え」

「店、開いてる時間じゃねえか。こんなところで油売っててマルストレートいいのか?」

「……えーっとね……」


 ぽつぽつと、ドルガリスに言われたことをセラは話し始めた。


    ◇


「――何だと……?」


 拳をわなわなと震えさせるアーチー。

 彼の目に、あの時に見せた不穏な光が再び宿り始めた。


「それで、お前は同意したのかよ」

「うん……」

「何でだ!」

「何でって、だってしょうがないじゃない。ドルさんに言われたら断れないよ……」

「くそっ、あの野郎ギズ……」


 虚空に向かって、アーチーは毒づいた。

 その時、彼の脳裡にある考えが浮かぶ。


(このまま、こいつを連れて逃げるか……?)


 図らずも、妹と同じ考えが湧き上がった。

 しかし、やはり妹と同じように心の中でかぶりを振った。


(いや、ダメだ。すぐに追手がかかるだろうし、何の準備も出来てねえ。もしつかまったら……俺もこいつも、ただじゃ済まねえだろう)


「セラ」

「な、何?」

「出発は三日後って言ったな?」

「うん、そうだけど?」


 視線を少し上に向けて、アーチーは考えを巡らせる。

 そして、今度は彼がセラの両肩を掴んで言った。


「とりあえず、今日のところは帰るんだ」

「え?」

「三日後、必ず迎えに行く。それまで大人しくしてろ」

「え? ええ?」

「俺はどのみち、風見鶏亭うちには帰れねえ。だから、俺と会ったことは言うな」

「わ、分かった」

「それまで俺は準備をする。俺のことは心配しなくていい。分かったな」

「う、うん」


 それだけ言うと、アーチーは振り返りもせずに駆け出していった。

 遠ざかっていく兄の後ろ姿を、セラは呆然とただ眺めるしかなかった。

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