第三章 第56話 分かったな
「……レアリウス?」
セラピアーラにとって、久しぶりに耳にする
一緒に呼び起こされる
彼女の実の
そのいざこざの一方の当事者が、そのレアリウスという耳慣れない
そんな、
セラには
だから口をついて出たのは、ごく当然の疑問だった。
「どうして、わたしが?」
しかし、ドルガリスは答えない。
疑問が疑念に変わりつつある。
「レアリウスって、あれでしょ? 何か怪しい人たちみたいな話を聞くし、そもそもわたしの……
「もう決めたことだ」
少しずつトーンの上がるセラの
どうしてっ! ――と、
この人には感情的に訴えたところで、大して意味がない。
そのことを、セラはとっくに
身内である、というアドバンテージですら、この叔父にはほとんど効果がない。
それでも……
「ドルさん」
セラは兄のアーチーと違って、ドルガリスのことをおじさんではなく「ドルさん」と呼ぶ。
その度にドルガリスが何とも言えない複雑な表情になることを、セラは「おじさん」と言わないことが原因だと思っている。
叔父を呼ぶのに名前を敢えて使うことで、何となく他人行儀と言うか、どこか
「その、レアリウスに行ってわたしは何をするの?」
「……それは、向こうに行けば知らされるだろう」
「今ここで教えてはもらえないってこと?」
「そういうことだ」
取り付く島もないとは、
会話を始めてから、知りたいことは何一つ返ってこない。
つまり、これは
それでも彼女は、少しでも
「教えてドルさん。これって……
「……」
「お兄ちゃん、昨日から帰って来てない」
「……」
「昨日見た時、
「……」
「あれは……ドルさんがやったんでしょ?」
「……」
「怪我もそうだけど、お兄ちゃん、見たこともないような
「……」
「お兄ちゃんのあんな怖い目、わたし初めて見たよ……」
「……」
「一体、お兄ちゃんに何があったの?」
「……」
「――お兄ちゃんが時々、
「……」
「それがもしかして、レアリウスだったの?」
「……」
「わたしは」
そこまで言って、セラは
両手をぎゅっと握りしめる。
そして、
「……わたしはここに……風見鶏亭に帰ってこられるの?」
「……」
セラは自分の
それはもう、きっと
そんな彼女の心に、一瞬だけある思いが頭をもたげた。
――逃げちゃおうか……?
しかし、心の中でセラは首を横に振った。
自分がレアリウスに行かされることと、兄のことにはきっと関係がある。
もしここで逃げ出せば、
握りしめた
セラは――――覚悟を決めた。
「――
それだけ言うと、セラは
その
「
「……分かった」
セラは振り返らずに答えた。
それ以上、ドルガリスの言葉がないと分かると、
「ねえ、ドルさん」
「……何だ」
「お兄ちゃんに……優しくしてあげて」
「……ああ」
戻ってきたのは、予想通りの返事。
それでもセラは何も言わず、今度こそ
「……」
ドルガリスは椅子に座ったまま、閉じた扉をしばらく
そして咳払いをひとつすると立ち上がり、執務室のさらに奥に通じる扉を開けた。
中に入ると、そこには
定められた手順に従い操作すると、ある場所への通信回線へと接続された。
定型のやり取りをし、お互いの素性を明らかにすると、ドルガリスは相手に用件を話し始めた。
「……
「――――」
「ではこれで、今回のピケでの失態は帳消しということで、お願いしますよ」
「――――」
「大丈夫です。セラピアーラは間違いなく
「――――」
「はい。では、くれぐれも(アーラオルド・)ハンブレーウス様(レアリウス
通信が切れると、ドルガリスは大きくため息を
そして、小さく
「……許せ、セラ」
◇◇◇
ドルガリスの執務室を辞した
歩きなれた
セラは
川をゆったりと
頭上をひらひらと舞う
幼い頃、アーチーとセラはこうして波止場に座って、川を行く船や飛ぶ鳥たちを眺めたり、気まぐれに
手近にあった
ぽちゃん、と言う
何も知らなかったあの頃。
当時と比べて、今の自分の身の上の、何と心細いことよ。
「あーあ……何でこんなことになっちゃってんだろ……」
思わず
二つ目の小石を投げ入れようとしたその時。
「……セラか?」
「えっ!?」
驚いて振り返ると、そこに立っていたのは――アーチーだった。
昨日出て行った時の服装のまま、口の
「お、お兄ちゃんっ!?」
駆け寄るアーチー。
「お前、こんなとこで何してんだよ」
「何って――じゃなくて! お兄ちゃんこそどこ行ってたのよ!?」
「え?」
「昨日帰ってこなかったじゃない!」
「あ、ああ」
「心配したんだよ!? ホントにもう!」
そう言うと、セラは兄の両肩を
「
「え?」
「痛いから、ちょっと離せ」
「
「いや……別に何でもねえよ」
「じゃあどうして痛がってんの?」
「何でもねえっての。そんなことより」
アーチーはセラの目をじっと見た。
「何してんだ、お前こそ。店はどうした」
「え」
「店、開いてる時間じゃねえか。こんなところで
「……えーっとね……」
ぽつぽつと、ドルガリスに言われたことをセラは話し始めた。
◇
「――何だと……?」
拳をわなわなと震えさせるアーチー。
彼の目に、あの時に見せた不穏な光が再び宿り始めた。
「それで、お前は同意したのかよ」
「うん……」
「何でだ!」
「何でって、だってしょうがないじゃない。ドルさんに言われたら断れないよ……」
「くそっ、あの
虚空に向かって、アーチーは毒づいた。
その時、彼の脳裡にある考えが浮かぶ。
(このまま、こいつを連れて逃げるか……?)
図らずも、妹と同じ考えが湧き上がった。
しかし、やはり妹と同じように心の中で
(いや、ダメだ。すぐに追手がかかるだろうし、何の準備も出来てねえ。もし
「セラ」
「な、何?」
「出発は三日後って言ったな?」
「うん、そうだけど?」
視線を少し上に向けて、アーチーは考えを巡らせる。
そして、今度は彼がセラの両肩を掴んで言った。
「とりあえず、今日のところは帰るんだ」
「え?」
「三日後、必ず迎えに行く。それまで大人しくしてろ」
「え? ええ?」
「俺はどのみち、
「わ、分かった」
「それまで俺は準備をする。俺のことは心配しなくていい。分かったな」
「う、うん」
それだけ言うと、アーチーは振り返りもせずに駆け出していった。
遠ざかっていく兄の後ろ姿を、セラは呆然とただ眺めるしかなかった。
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