第三章 第54話 最善手

「ええ。その、カルヴァレスト殿に関するものなのですが――――彼がレアリウスの者であると言うのは、本当のことなのでしょうか?」


 望星教会エクリーゼの「白き智者グドーラ・ヴィッティ」と呼ばれる中司葉マ・ベルトクリセルラント・ノストレームは、まゆはしを下げながらそう言うと、領主ゼーレであるリューグラムの顔を見た。

 いかにも心底困ったと言う風情ふぜいだ。


(一体どこまで、つかんでいるのだ?)


 白々しいノストレームの表情イレームに、苦々しい思いが湧き上がるリューグラム。

 しかし、そんな素振りは欠片も見せずに答える。


「どこからそのようなリクサスが出ているのか知らぬが、ずいぶん穏やかではないことだな。何のあかしもなしに、軽々しく口にのぼせるような話ではないと思うが、如何いかがか?」


「これは失礼いたしました」


 対するノストレームの表情からは、何も読み取れない。

 相変わらず涼しい顔をしたまま、小さく頭を下げた。


「確かに確たる証拠はありません。しかし『ズィールもないのにシンドゥえぬ』とも言います。わたくしどもは、その噂の真偽を確かめるために、あえて無礼を承知でこうしてまかしたのです」


「まさかとは思いますが、虚偽ブリンガを述べているなどと言うことはありませんかな? 領主様ノスト・ゼーレともあろうおかたが」


「貴様……無礼ザーカールであろう」


 ノストレームの横に立つ狂信者プリジャーロ――リグベストラ・ヴァイクライトの傲岸ごうがん不遜ふそんな物言いに、リューグラムの従者エルファであるラーシュリウス・ベック・オリヴァロが、ベルツェルつかに手を掛けながら気色けしきばんだ。


 リューグラムはそれを手で制しながら答えた。


「そのようなことはない」

偉大なる主神ミラドマグネアクリィナ・ミラドに誓えますか?」

「いかにも」


 しれっとこう答える辺り、リューグラムも貴族ドーラらしいと言える。

 実際のところ、望星教徒エクリゼリスとしてのリューグラムがあがめているのは主神であるミラドではなく、戦の神ラーズイナヴァルカ・ラーズということもあるのだが。


「分かりました」


 リューグラムの表情を確認して、ノストレームは一応引き下がった。

 もちろん納得してのことではないことぐらい、彼にも分かっている。

 ヴァイクライトのにやにや顔も勘に触るが、挑発には断固として乗るつもりはないと表明するかのように、リューグラムは彼の姿を視界から微妙に外している。


「噂のご本人もどうやらいらっしゃらないようですし、ここは一先ひとま退くこととしましょう。いずれ直接、お話を聞かせていただきたいとは思いますが……しかし」


 ノストレームは胸の紋章に握りしめたフォーシュを置いた。


わたくしども望星教会エクリーゼは、レアリウスの存在を決して許しませぬ。十年前の惨劇ハルムレイカーはご存知でいらっしゃいますね?」


「……うむ」


「あの時には、多くの尊き命が失われました。もちろん、望星教においても被害は甚大でした。しかし」


 隣りにいるヴァイクライトをちらりと見て、ノストレームは言葉を続けた。


「こちらのヴァイクライト団長のご活躍によって、それら大いなる犠牲オルフェーロも無駄になることはありませんでした。ピケに蔓延はびこっていたレアリウスは本部イートライゴごと跡形あとかたもなく浄化プーリーグされ、あの忌々しくも恐るべき『悪魔の子ヴィルニアシス』どもを根絶やしにすることが出来たのですから!」


 いつしかノストレームの言葉は玄関広間トランセローア朗々ろうろうと響き渡っていた。

 身振り手振りまで加え始め、さながら劇歌ジョラスリーゼを吟じるかのような様子のノストレームに、リューグラムはにがり切っていた。


「ただ」


 突然、ノストレームの動きが止まる。

 これまでずっと涼しげだった彼のアルノーの奥に、白い炎ローガヴィッティひそやかに燃え上がり始めたかのような錯覚イルゾアを、リューグラムは感じた。


「レアリウスの本体はピケではなく、ザハドにあります」


 驚いたことに、ノストレームの両のこぶしは震えていた。


「かの魔窟まくつ神の雷トロムアィナにて焼き払い、全ての禍いヴェーモンの根を滅さぬ限り、エレディールの地に平和ローザスは訪れませぬ」


 ノストレームは右手を高くげ、虚空こくうに視点を定めた。

 まるでそこに、神自身がすかのように。


レアリウスに、神の裁きをエヴァイアヌヴィナ・ア・レアリウス

レアリウスに、神の裁きをエヴァイアヌヴィナ・ア・レアリウス!」


 ノストレームのことばに、ヴァイクライトと後ろに控えていた騎士たちも、一斉に声を上げて唱和した。

 領主屋敷ゼーレ・ユーレジアの玄関広間に、彼らの放った残響が殷々いんいんとこだまし、周囲一帯は異様な空気に包まれる。

 リューグラムたちは言葉もなく、ただただ圧倒されていた。


 リューグラム自身も、聖名ゼーナ・ヘレーラを授かっているからには敬虔けいけん望星教徒エクリゼリスの一人である。

 と言うより、事実上望星教が国教となっている現状では、ほとんど全ての貴族ドーラ帰依きえしていると言っても過言ではない。


 それに、十年前にピケで起きた事件についても、リューグラムは父親からレアリウスの危険性は伝えられていたし、先ほどイングレイ・カルヴァレスト自身から事の経緯や内情について告白されたことで、非は明らかにレアリウス側にあると分かっている。


 つまり、今のところ望星教会について責め立てるようなことはないのだ。

 むしろ客観的には、正しいことを主張しているようにすら聞こえる。


(しかし……何なのだ、この不安は……)


 それでもリューグラムは、とてもではないが目の前の男たちに合わせて唱和する気になどなれなかったし、ましてや望星教会に力を貸そうなどと言う思いは欠片かけらほども湧いてこない。


 レアリウスの本来の目的ヘルブルーアや、エレディールの未来エトルチカうれうイングレイの真摯しんしな態度を、自身のマータリンガで確認したせいもあるかも知れない。


「お判りいただけましたか? 先代の領主様ゼーレ・レコアロであるあなたのお父君にもご理解いただき、レアリウスに対しては断乎とした対応をしていくというお約束もいただいておりました。今代こんだい領主ゼーレでいらっしゃるリューグラム様ノスト・リューグラムにおかれましても、同様の対応を望星教会としては期待しております」


 先ほどの異常な熱量はどこへやらという感じで、ノストレームは再び涼やかな表情を取り戻しながら、口を開いた。


「分かった。胸に刻んでおこう」


 それでも表向きには動揺を見せず、落ち着いて無難な言葉を返したリューグラムも、なかなかの胆力と言っていいだろう。

 それは領主ゼーレとしての、そして貴族ドーラとしての矜持フィエーロであったのかも知れない。


    ◇


 望星教会エクリーゼの厄介な集団がようやく帰ったあと、リューグラムはそのまま足を館内にある特別な部屋ルマへ向けていた。


 そこでは、今後のことについてまだ打ち合わせが残っている八乙女やおとめ涼介りょうすけたちを待たせているのだ。

 部屋を移したのにはもちろん、万が一の時のために、望星教会の目が届かない場所へ隔離かくりするという目的もある。


 リューグラムとしてはレアリウスへの対策だけでも頭が痛いのに、望星教会まで絡んでくると余計に事態が複雑化して、正直投げ出してしまいたくなる気持ちは否めないところ。

 おまけに、この件については聖会イルヘレーラとも連携を図らなければならないのだ。

 絶妙なかじ取りが要求されることとなるだろう。


 それでも、レアリウスに対する方針をああして明らかにし、ある意味裏切り続けていたと言ってもいいイングレイ・カルヴァレストの処遇をあのようにしたことを、彼は後悔していない。

 道筋を決めたからには、泣き言をこぼすつもりもないのだ。


 しかし、それにしても――


(――リョースケ・ヤオトメか……)


 不思議な存在だ。


 思えば禁足地テーロス・プロビラスに彼らが現れて、最初に接触した者たちの中にも彼はいた。

 代官屋敷セラウィス・ユーレジアでの会談でも、中心的な役割を果たしていた。


 話によれば、ヤオトメは元いたガッコウという場所を、冤罪で追放されたと言う。

 それから隣町とは言え、それなりに距離のあるこのピケに現れた。

 そして今、レアリウスや聖会、望星教会とのやり取りする場にもああして姿を見せ、関わることになっている。


 黒髪黒目という部分はともかく、ヤオトメのような風貌・雰囲気を持つ人間はエレディールでも特に珍しいわけではない。


(特別に力のあるような人間には、とても見えないのだがな)


 それなのに、何らかの重要な局面となると、気付けばそこにいるのだ。

 もちろん、彼自身が異なる世界からやってきたという特別な事情もあるだろう。


(彼らに聖会の巫女と会うように勧めたことは――恐らく間違っていない)


 むしろ、最善手だったとさえ思える謎の確信が、リューグラムにはあった。

 ――最善手? 何にとってのだ?


 それがヤオトメたちの望む元の世界への帰還についてなのか、エレディールの未来にとってなのか、はたまたアリウスとテリウスを巻き込んだ世界の行く末に関わることとしてなのか――――


 分からないながらも、自分のとった選択肢に対する不思議な自信に小さな笑みを浮かべながら、リューグラムは八乙女涼介たちが待つ部屋へと足を速めるのだった。

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