第三章 第53話 狂信者と白き智者

 ――望星教会エクリーゼ


 単一国家エレディールにおける、最大規模の宗教組織エリジオ・アントルガーナ

 旧き神々の闘争ヴァルカ・ノヴィナ・ステーラによって混沌におちいったエレディールの地を救ったミラドを主神クリィナと定め、その教義レグドをアスキュラータと呼ばれる聖典に多神教プリィナイトである。


 頂点には、神々との対話を司ると言われる祈華主フラーリント(きかしゅ)が存在し、その下に司葉卿ベルトアール(しようきょう)と呼ばれる大幹部が八名おり、彼らが祈華主を支え、教会組織を運営している。


 数多あまたホストアに包まれた一輪のリントと、その上に輝くアスタ紋章ファルマースとしている。

 これは、教義の中心である「いつか真の主ドミニア・エギアたるが来たることをみ祈る」を図案化したものと言われている。


 日本のある世界テリウスにおける一般的な宗教と同様、エレディール各地に支会アダリオと呼ばれる信仰の場を置き、活動の拠点としているが、その活動のうちで特筆すべきは、「星祭りアステロマ」と「聖名贈りエゼレーラ」の二つであろう。


 聖典アスキュラータの冒頭にしるされている混乱から復興までをなぞらえた「星祭りアステロマ」は、広大なエレディールのほぼ全土において毎年チウヤーニュ実施されている。


 聖名贈りエゼレーラは、聖名ゼーナ・ヘレーラと呼ばれるいわゆるミドルネームを、新しく誕生した貴族の子女に贈るものである。

 聖名せいめいは、その貴族の歴史の中で象徴的な事物が選ばれることが多く、望星教会には全ての貴族の歴史を記した書が収蔵されている。


 望星教会は多神教プリィナイトということもあり、聖会イルヘレーラを始めとした現在も地方レギノスに残る土着の民間信仰ディジーナ・ゼレナプリバラを迫害するようなことは、基本的にしていない。


 そう――――基本的にはオルナリアリ


    ◇◇◇


 リューグラムが客間を出ると、すぐに玄関広間トランセローアの方から騒々そうぞうしい物音が彼に耳に飛び込んできた。

 大声で話す複数の人のヴォコと、時折ガチャガチャと聞こえる金属音――何やらキュラーソ(よろい)でもまとっているかのような。


面倒なガイカリーア……)


 リューグラムは心の中で舌打ちをする。

 門衛ガルドゥラ・ヘイグ何故なぜ通したのかと、呼びつけてひとこと文句を言いたくなる気持ちを抑えながら、彼は音のする方向へ足を速めた。

 領主屋敷ゼーレ・ユーレジアはもちろん領主の邸宅だが、各種行政機関ミニストラードも内包している。

 基本的に門戸もんこは開かれているのだ。

 現時点で彼らに責を問うのは酷と言うものだろう。


(分かっているさ)


 彼の後ろでは、従者エルファのラーシュリウス・ベック・オリヴァロと副執事マルメナスのトライヴァルト・ハッセルベルガーが遅れじとあとを追う。

 トライヴァルトが一番隊コル・イシガ(いわゆる近衛隊に当たる)に連絡するよう、近くにいた使用人パーラブに早口で指示イストルースを出した。

 それを聞きながら、指示が遅いのではないかと八つ当たりしたくなる気持ちをリューグラムは再び抑える。


(落ち着くのだ……)


 闖入ちんにゅう者――と言っていいだろう――の目的ヘルブルーアは見当がついている。

 大方おおかた例の街中の騒ぎを聞きつけて、難癖クラファスをつけに来たのだろう。


 そろそろ広間アレトワに通じる廊下アルワーグが終わるというところで、玄関トランセ付近に集まる人影を、リューグラムは視認した。

 思っていた通りの出で立ちの集団だった。


 足早に向かってくるリューグラムたちの姿を確認した男は、彼らをそれ以上中へ入れまいと頑張っている使用人たちの頭越しに、大声で呼びかけた。


「おお! やっと領主殿のお出ましか!」


 声のぬしは、メルス(メートル)を越えようかと言う大男だった。

 精緻せいち彫刻エスカルトラが施された白銀色ヴィティジベリィに輝く鎧を身につけ、抜いてこそいないものの異様な存在感を放つ大剣グランパダいている。

 まとう鎧と同じ色の髪は、丁寧に後ろにでつけられているが、彼の顔からにじみ出る粗暴さ、傲岸ごうがんさをちっとも和らげていない。

 さらに、もう少し小柄だが同じような恰好をした者が、彼の後ろに二人立つ。


 そして、大男の横にいるのは、わざわざ対照性を際立たせようとするかのようにすずやかな雰囲気を纏う長身細身の男。

 白金色ラニスキィの長髪を背中に上品に流している。

 身につけているのは真っ白な祭服さいふく

 キリスト教のアルバのような、ゆったりとしたローブバータである。

 胸には、望星教会の紋章が輝いている。


「お前たちは持ち場に戻ってよい。ご苦労だった」


 リューグラムは大男に返事をせず、まず使用人たちに声を掛けた。

 彼らはあからさまにほっとした表情で、またたく間に散っていった。


「それで」


 リューグラムは凍りつくような視線を、目の前の大男たちに向けた。


「一体、この狼藉ろうぜきは何なのだ? 見たところ望星教会エクリーゼの者のようだが」


 不満と抗議を凝縮して固めたような言葉に全くひるむこともなく、長身の男はリューグラムに優雅な礼で返した。


お約束フォラーガもなしにこうして押しかけたことについては、衷心ちゅうしんよりお詫び申し上げましょう、領主様ノスト・ゼーレ


 合わせたように、大男と後ろの男たちも頭を下げる。

 しかし、場の空気は一向に和らぐ様子を見せない。


わたくしは、望星教会エクリーゼピケ支会アダリオ・ピケを預かっております、中司葉マ・ベルトクリセルラント・ノストレームと申します。そしてこちらが」


 涼し気な声で自己紹介した男は、そう言って大男を手で差し示す。


護衛騎士団長グヴァルドを拝命しております、リグベストラ・ヴァイクライトでございます、リューグラム領主様ノスト・ゼーレ・リューグラム


 今度は頭を下げるのではなく、右手を胸に当てて第二騎士礼ダンク・ヴァシャルド・ウスガの姿勢を取る大男――ヴァイクライト。

 リューグラムは視線を長身の男に移して言った。


「自己紹介痛み入る。が、あなた方のことは存じているよ。望星教会エクリーゼの『白き智者エグドーラ・ヴィッティ』ノストレーム殿と――」


 数瞬のをあけて、リューグラムは続けた。


「――狂信者プリジャーロ、ヴァイクライト殿だったかな」


 ヴァイクライトの目に剣呑けんのんな光が宿る。


「我が信仰ゼレナの深さを表す二つ名ドニゼーナをご存知であられるとは、ありがたき幸せ」


 全くありがたくなさそうな声音こわねで返すヴァイクライトに構わず、叩きつけるようにリューグラムは言葉を繋ぐ。


「それで、このような横紙破りをしてまでいらっしゃるとは、如何いかなる用件なのであるか。よほどの緊急事態アスタン・プレミーゾラだと見るが?」


もちろんでございますビ・ネーブレ


 ノストレームは静かに微笑みながら応じた。

 リューグラムが隠そうともしない苛立いらだちや怒気を、微風そよかぜのように受け流している。


「先般、ピケ市中にて乱闘騒ぎが起きたことはご存知でいらっしゃいますね?」

「もちろん」

「その件について、気になるリクサスを耳にしました」

「……噂?」

「ええ」


 ひとつ、小さく咳払いをしてから、ノストレームは続けた。


「当事者の一方が――――レアリウスの手の者だった、と」

「レアリウス、だと?」


 そんなことは百も承知……と言う心の声をおくびにも出さずに、真顔で首を捻ってみせるリューグラム。

 ノストレームの目がすっとほそめられた。


「領主様におかれては、ご存知ないと?」

「もちろん調べているが、今のところそのような情報は出てきておらぬ」

「……そうですか」


 切り込むようなノストレームの視線を正面から受け止めて、リューグラムは表情筋のひとすじも動かさない。

 探るように領主の顔を見つめていたノストレームは、何を思ったのか急に辺りをきょろきょろと眺め始めた。


「何か気になることでもおありかな? ノストレーム殿」

「ええ、時に領主様」

「何だ」


 瞳を屋敷の奥に向けたまま、ノストレームが言った。


「……家宰メナールのお姿が見えないようですが?」

「……何?」


 ノストレームは、視線を再びリューグラムに定めた。


「こちらの家宰であるカルヴァレスト殿は、今いらっしゃらないのですか?」

「……そうだ。今は所用で出ている」

「……そうでしたか」


 口角を小さく上げながら、ノストレームは続けた。


「実は……もうひとつ、別の噂を耳にしておりましてね」

「……別の噂、だと?」

「ええ。その、カルヴァレスト殿に関するものなのですが――――彼がレアリウスの者であると言うのは、本当のことなのでしょうか?」

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