第三章 第40話 侵入

「さて、と」


 日もとうに暮れて、家々のあかりや篝火かがりび夜闇よやみに浮き上がる頃。

 ユーリコレットは今、ピケ中心部のある大きな建物コンストラットを、少し離れたところから見据えていた。

 その建物はぐるりと高いムローマ(へい)で囲まれており、入り口となる門扉もんぴひらかれている。

 しかしヘイグの両脇では、屈強そうな二人の衛士ガルドゥラが周囲にするどい目を光らせており、彼らに気付かれず内部に侵入することは不可能だと誰もが思うことだろう。


 そこは領都ピケの治安維持部隊(第三大隊=三番隊)が本拠地とする「大隊本部ドゥ・イートライゴ」である。

 普通「詰所スタシドーム(つめしょ)」と言えば、ここ大隊本部を指し示し、その他にいくつか設置されている小さな詰所については「第二ウスガ」「第三セスガ」のように序数をつけて呼ばれているのだ。


 当然のことながら、門に限らず厳しい警備体制セクリートガムスが敷かれており、関係者以外が気軽に立ち入るようなことは出来ないし、普通はしたいとも思わない。


 しかし――――


溶け込めウルタルニル


 コレットが一度、自分の上下左右前後をぐるりと見回してから「ギルーザ」を口にするや否や、何と彼女の姿は次第に薄くなり、数秒セクトス後にはとうとう消えてしまった。


 この魔法ギームこそ、コレットが自分で編み出した独自の現象メノリスであり、着想を得た動物ホローナの呼び名から「メルオイア」と名付けているものだった。


(それじゃ、行きますか)


 コレットは、門に向かって静かに歩き始めた。

 彼女がこんな物騒なところに出向いてきたのは、当然、中でカーチャルに入れられている八乙女やおとめ涼介りょうすけ久我くが瑠奈るなを救い出すためだ。


 ちなみに彼女の「メルオイア」は、簡単に言えば保護色を利用した魔法である。

 一般的なそれと比べて優れているのは、彼女の身体の全方向に対して効果を発揮するところである。


(静かに……静かに……)


 そして、気を付けなければならないのは、本当に姿が消えてしまったわけではなく、背景の風景を体表に映し出しているだけである、ということだ。

 視覚的に感知できなくしているだけであり、それ以外の五感ゴウフェクタス――味覚ガストはともかくとして、触覚タクトはもちろん、イコス匂いハーユも隠せてはいない。


「……ん?」

(ひー……)


 おまけに、勘の鋭い者にはちょっとした違和感をいだかせてしまうこともある。

 現に今、衛士の一人の注意を引いてしまっていたりする。

 幸いなことに、彼は視線を向けた方向に何も確認できないことから、気のせいだと判断したようだが、コレットはいつものことながら気が気ではない。


(ふー……危ない危ない)


 文字通り第一関門を無事通り過ぎ、コレットは前庭ぜんていを入り口に向かって歩く。

 足音をさせないようにするのは当然として、現実的に気を配らなければならないのは「ぶつからないようにする」ことなのだ。

 何しろ周りから見れば何もない空間なのだから、時々通行人が真っ直ぐコレットに向かってくるのである。

 前方であれば目視できるが、左右から、特には後方から高速で移動してくるようなものに対しては、より一層いっそう意識して注意しなければならない。


 建物の入り口が近付いてきた。

 ヴラットの左右にも、当然のように衛士が一人ずつ立っている。

 コレットは扉ぎりぎりに近づき、上着の中から石ころピードを二つ取り出すと、それを左右の地面に素早く投げた。


「んっ?」

「む?」


 カツン、という音に衛士が気を取られて視線を外しているごくわずかなに、コレットは扉を最小限に開けると、身体を内側にするりと滑り込ませた。


(よし、侵入成功……と)


 中から出てくる人にぶつかることもなく、コレットは建物の中に入った。

 建物の中ではなおさら、他者とぶつからないようにしながら、目的地である牢を目指す。

 内部構造については、協力者クラボレイアからの情報で把握済みである。


地下グラスパへの階段エスカロは……こっちか)


 地下牢の手前にある、当直の衛士たちが詰めている部屋の前で、協力者は待っているはず。

 これもコレットにとって幸いなことなのだが、その協力者が本日の当直を務めることになっていたのだ。

 こうしたちょっとした運の良さ、彼女が関わった事態は決して最悪の展開となったことがないことから、コレットは姉であるマルグレーテに「持っている」と評されているのである。


 目的の人物を見つけて、コレットは魔法メルオイアを解除した。

 突然、目の前に現れた彼女に協力者は驚いた表情を浮かべたが、当然彼もコレットの魔法については知っているので、思わず怪しげな声を上げてしまうようなことはなかった。


(ついてこい)


 と身振りで伝える協力者の後を、コレットは静かについていく。

 通路アルワーグの両側に、鉄製の牢屋が奥まで続いている。

 しかし今日のところは、どの牢もからのようだ。

 コレットはこのことにも「ついている」と思った。

 目撃者は少ないほど、いい。


 通路の一番奥からひとつ手前の牢の前で、協力者は止まる。

 薄暗い中、確かに人の気配をコレットは感じ取った。


八乙女様ノス・ヤオトメ


 コレットはささやくような声で、牢内に呼びかけた。

 ごそごそという音とともに、八乙女涼介が顔を見せる。


「コレット、来てくれたのか」

「うん、何かこんなことになっちゃって、ごめんね?」


 安堵に満ちた表情の涼介に、コレットは片目をつぶって答えた。


「……」

「……」

「……どうしたの? 八乙女様」

「いや」


 涼介は首をかしげながら小声で言った。


「あまりしゃべらない方がいいだろうと思ってさ、精神感応ギオリアラを繋げようとしてるんだけど、どうもうまくいかないみたいなんだ」

「ああ……それはね、牢屋の中とこの通路のところでは、魔法ギームは使えないようになってるの。魔素ギオが強制的に循環ジルクラートさせられているらしくて、ちゃんと操れないんだって」

「そうだったのか……どうりで」


 涼介とコレットが静かに会話している中、協力者は黙ってブロケアけると、若干じゃっかん渋い顔で二人に告げた。


「とりあえず急いでくれ。他の衛士の目につかないうちに」


 涼介はうなずくと、奥で膝を抱えて座っていた瑠奈の手を引いて立ち上がり、牢の外へと出た。

 協力者は牢に錠を再びかけ、三人の先頭に立って歩き始めた。


    ◇


 通路を通り、衛士部屋の前を過ぎ、上へあがる階段を一行はゆっくりとのぼった。

 予定では、裏口から三人を密かに逃がすことになっている。


 ――しかし。


 階段を上りきり、一階にたどり着いた彼らを迎えたのは、交差された二本の短槍ターオットだった。

 後ろで、別の衛士が彼らの行く手をはばむ。

 その男の顔に、涼介は見覚えがあった。

 彼こそ、途中から尋問を代わり、傍若無人かつ傲慢な態度で涼介に相対あいたいした、ハンスオーロフと言う副小隊長ブロートリスだった。


「貴様、どういうことだ?」


 ハンスオーロフが、先頭の協力者をにらみつける。


「その二人と……知らない女だな? なぜそいつらが牢を出ているんだ?」

「あ、いえ。その、これは――」

「おい、こいつらをとらえろ」


 協力者の言葉が終わるのを待たず、ハンスオーロフは短槍を持つ二人に命じた。

 騒ぎを聞きつけて、他の衛士たちが集まって来る。


「それと、その衛士もだ。囚人プリキャプトを逃がそうとした。ぶち込んでおけ」


 ハンスオーロフの言葉で、周囲の衛士たちが武器を構えて近づいてきた。

 思わず身構える涼介と、彼の後ろで服の裾をつかみながら隠れようとする瑠奈。


(……やるしか、ないのかな?)


 コレットが周囲の状況を把握し、最終的かつ物騒な手段を取ろうとしたその時――

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