第三章 第39話 三者三景

「う……うぅ……」


 人気ひとけのないピケの裏通りのどこかで、小さなうめき声が周囲の空気をかすかに震わせていた。


「も、もう……少し、だ」


 アーチーは、建物と建物のあいだの狭い隙間すきまに滑り込んでいた。

 彼は壁を利用して、無事な方の腕を壁につけ、コレットに外された肩の方の腕をだらりと垂れ下がらせている。

 彼がなぜ、そんな方法を知っているのかは定かではない。

 しかし、怪我の応急手当てにある程度精通している黒瀬くろせ真白ましろが見たとしたら、それがいわゆる「下垂かすい脱力ゼロポジション」を活かした肩関節脱臼だっきゅうの整復法だと指摘しただろう。


 ヌルン、という何とも言えない感覚と共に、上腕骨頭こっとうが関節に無事はまったことをアーチーは感じた。


 軽く肩を回してみる。

 つきり、とわずかに痛むので、けんを痛めているのかも知れない……が、普通の活動をするのにとりあえずは支障なさそうである。

 アーチーは安堵のため息をらした。

 しかしそれは、今後の彼の行く末に対しての、不安のため息でもあった。


風見鶏亭うちには……戻れねえ)


 恐らく、「リンガ」という役割の者によって状況は伝えられているはず。

 あのアロイジウスとか言う、灰色の男ノァス・アスケスィだって一旦退いたが、すぐに次の計画を練っているだろう。


(セラのことは気になるが……くそっ)


 あの二人――ヤオトメとクガ――を追おうにも、衛士ガルドゥラに連れていかれてしまったからには、彼にはどうしようもない。


 おまけに、ただ単純に任務を失敗したというだけでもマズ過ぎるのに、あろうことか彼は味方側であるはずの実行部隊の一人に、短刀ポナードを投げてしまっていた。

 その男のとどめを刺したのは、あの坊主頭グラーヴァ・カポ野郎ギズだったけれど、きっかけを作ったのはアーチー自身であることに間違いない。


(どうして俺は、あんなことを……)


 正直なところを言えば、アーチーにヤオトメを助けようと言う気はなかった。

 それなのに、気付けば地面に伏せたまま、彼は短刀を放っていた。

 そしてそれは、今まさにヤオトメを害さんと銀色のやいばを振り上げていた男の左頬ひだりほおに、吸い込まれるように刺さっていったのだ。


(て、手元が狂っただけだ……そうに違いねえさ)


 いくら体勢が悪かったとしても、あの距離で俺が外すわけがねえ、という心の声にふたをして彼は立ち上がった。


 目的も、目的地も明確に定まらないまま、アーチーはふらふらと歩き出した。


    ◇◇◇


「はあ……マジかブラウディ


 パタン、と閉まったヴラットを、ユーリコレットはため息をつきながら見遣みやった。


 ここはピケにある、会員制酒場ベルタナ・シオスタ・ブローマシュルーム」。

 言わずと知れた、コレットたちの拠点である。

 たった今出て行ったのは、衛士としてひそかに送り込んでいる、彼女たちの協力者の一人。

 協力者は、重大なしらせを持って「青」を訪れていたのだった。


 コレットは頭を抱えながらも店の奥へ続く扉をくぐり、別の一室へと入った。

 そこには「酒場」という名にまったく似つかわしくない、医療器具や薬品などに囲まれて、アリスマリスとヴェンデレイオがいた。


 ヴェンは寝台サリールの上で静かに寝息を立てている。


「ヴェンはどう? マリス」

「うん。一応つながったと思うわ。ちゃんと動かせるようになるには、まだしばらくかかると思うけれどね」

「そう、よかった……」


 治癒師クラクール資格クヴリークを持つアリスマリスは、同時に医師フォマールとしての知識シグレッド技術ロジカを身につけている。

 彼女は魔法ギームによって大規模な現象メノリスを起こすことは苦手な一方で、繊細で緻密な魔素支配力ギオ・フィラリオカを持っていた。


 エレディール――少なくともピケにおける医療技術ロジカ・コメドアは、現代日本のそれに比べてかなり低い水準にとどまっている。

 しかし、魔法ギームを併用することで驚くべき治療効果を上げているのだ。

 今回ヴェンが負った傷についても、切断された腕を外科的に縫合した後、魔法によって治癒力を促進することで再結合させている。


「それで、衛士・・は何て?」

「うん……八乙女様ノス・ヤオトメたちがね……」


 マリスの問いに答えるコレットは浮かない顔だ。

 何となくいいしらせではないことを、マリスは察した。 


カーチャルに入れられたんだって」

「ええ? どうして?」

「はっきりとは言わなかったけど、事件アクディエント主犯エルーダン・アロアルもくされているらしいの」

「そんな! どういうことなの!?」


 マブロイを吊り上げるマリス。

 コレットは瞳を伏せながら続けた。


「途中から、第四中隊シートス・タスガ副小隊長ブロートリスが来たんだって。尋問プリデマンダを強引に代わったって」

今年セオヤーニュは、領都中央部ゼーレグラード・ネトロス第五中隊シートス・ゴウガの担当のはずよね? どうして第四中隊が来たのかしら?」

「思ったより深く、レアリウスの手が回っているみたい」


 領都ピケでは、三番隊コル・セスガと呼ばれている第三大隊バロイア・セスガが治安維持に当たっている。

 領都は中央部ネトロス北部ウータスィス南部セレータスに分けられ、それぞれを三つの中隊シートスが分担しており、一年ごとに担当地区を変えているのだ。


「まさかとは思うけど、ヒエロリウス(三番隊隊長兼、第四中隊隊長)が関与してるのかしら?」

「どうだろね。あの人なら、仮にそうでもおかしくない気がする。クヴィスダール中隊長シートスロス・クヴィスダール(三番隊みぎ副隊長兼、第五中隊隊長)だったら、絶対に不正を許したりしないと思うしね。とにかく」


 コレットはきっぱりと告げた。


「これから、八乙女様たちを助けに行ってくる」

「一人で大丈夫なの?」

「正直心許こころもとないけどさ、のんびりしてられる状況シーダスじゃないよ」

「そうだけど……」

「一応さ、さっき帰った衛士にも協力クラボーラを頼んであるから、何とかなると思う」

「分かった」


 マリスは余計なことは言わず、ただ一言で了承した。


「マルグレーテ様には、さっき黒針ヴァートリオで諸々報告ポルタートしといたわよ」

「げっ……何て言ってた? お姉ちゃんアデラリィ

「牢に入れられたことは、今聞いたから言ってないけれど、早急さっきゅうに二人の身の安全を確保しろって」

「ま、そうだよね」


 コレットは、両のほっぺたを軽く二回ほど叩いて言った。


「じゃ、行ってくるね」

「気をつけてね」


    ◇◇◇


「な、何だと……?」


 ドルガリスは、「リンガ」からアロイジウスたちの襲撃が失敗したという報告を受け、狼狽ろうばいしていた。


「信じられん……あのアロイジウス殿ノス・アロイジウスが、しくじっただと?」

「『耳』によれば、ゼドノァスが何らかの魔法ギームを行使した様子だと」

「魔法……」


 ドルガリスに報告しているのは、ここ「風見鶏亭プル・コキドヴェテロア」の従業員ダンギートの一人。

 もちろん、レアリウスの一員でもある。


 考え込むドルガリスに、彼は続ける。


実行部隊ギザトラプスのほとんどは殺されましたが、アロイジウス様はお一人で相手方を圧倒していたそうです」

「それならなぜ、失敗したのだ?」

「ほどなく衛士ガルドゥラが到着したとか。アロイジウス様はやむなく撤退し、まとの二人は馬車カーロで連行されていきました」

「むう……」


 うなるドルガリス。


ヒエロリウス大隊長バロイアロス・ヒエロリウスには話が通っているはずだが……」

「そこまでは、何とも。そして、もうひとつ」

「まだ何かあるのか?」


 ドルガリスは従業員に胡乱気うろんげな目を向けた。

 彼はそれを流し、淡々と報告を続ける。


戦闘エスクルの最中のことですが、アーチークレール殿が……」

「アーチーがどうした?」


 途端にけわしくなるドルガリスの目にひるむことなく、従業員は答える。


「アーチークレール殿が、まとがわに加勢したと」

「……何だと?」

「アーチークレール殿が投げた短刀ポナードが、実行部隊の一人のジリクを刺し貫いたとのことでした」


 ダンッ!!


 ドルガリスが机に両手を叩きつけた音にも、従業員は眉一つ動かさない。

 彼の癇癪かんしゃくには慣れているらしい。


「……それは本当のことなのか?」

「『耳』によれば、確かだそうです」

「あンのくそガキガヴァカカーラがぁ……」


 ドルガリスのこめかみに、ビシリと青筋が立った。

 ボロスの上で握りしめたフォーシュが震えている。


「役に立たねえどころか、裏切りやがっただと……?」


 ドルガリスは大きく息を吸い、吐き出した。

 それをもう一度繰り返すと、彼は従業員に冷たい声で告げた。


「……セラを呼んでこい」

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