第三章 第34話 つぶやき

 目の前で、フードをかぶった男が銀色のやいばを振り上げている。

 俺に出来ることは何もなく、ただ瑠奈るなを腕の中でかばうだけ。

 ただ、相手から視線をらすことだけはしなかった。


 すると次の瞬間、無表情だった男の顔は驚愕に染まり、左頬ひだりほおに短刀のつかを生やしながら、俺の視界から下に向かって消えようとしていた。


 ……短刀?


「ぐぶっ!」


 声のような音のような、とにかく気味の悪い音波を口から発しながら、男の身体は「くの字」に折れ曲がって、今度は俺の視界を上方じょうほうに向かって吹き飛んでいった。


 ヴェンが、倒れ込む男を思いっきり蹴り上げたのだ。


 ざっと二メートルは浮かせた後、べちょりと地面にうつ伏せにちた敵の頬から、ヴェンは素早く短刀を引き抜くと、それを躊躇なく男の背中に突き立てた。

 男はビクンとるように痙攣し、そのまま伏して動かなくなる。


 俺は短刀が飛んできた方に、素早く視線を向けた。

 するとそこには、恐らく倒れたまま投擲とうてきをしたであろう姿勢で、苦し気に顔をゆがめているアーチークレールの姿があった。

 どうやらコレットに肩の関節を外されたらしく、右腕は力なくぶら下がっている感じがする。

 ヴェンも彼の方を一瞥いちべつしたが、すぐに別の敵への対処に戻る。


(どういうことだ?)


 ――あの短刀はアーチーが投げたのか?

 ――何故、俺たちを襲った彼が……?


 しかしそれを彼に問いただしている暇などない。

 正面切って襲ってきた敵はこれで一人減ったわけだが、どこからか俺たちを弓矢で狙うやからへの対処が残っているのだ。

 そんなことを考えているあいだにも、矢は時々不気味な音を立てて飛来し、コレットやヴェンに叩き落されては地面に散っている。


(すごいな……)


 こんな事態の最中さなかでも、二人のその驚異的な動体視力と反応速度に思わず感心してしまう。

 とにかくこれで、敵は二人。

 弓矢のやつを抜けば、数的にはイーブンになった――あっ!


 ドズンッ!!


 という重々しい音と共に、少し離れたところへ黒い影が落下してきた。

 すぐ後から弓が転がってきたところを見ると、こいつが矢を放ってたのか?

 っていうか、どうして落ちてきた?


 パシッ! パシッ!


 音の方向に目を向けると、コレットが縄のようなものを手にして、地面に打ち付けている。

 あれは……あれか、風見鶏かざみどり亭で俺たちを屋根の上に引っ張り上げてくれた――そして、恐怖の人間ハンマー投げを体験させてくれやがったあの縄か!

 縄と言うより、むちだな。

 接近戦では使いづらい武器だと思うけれど、余裕が出てきたのだろうか。


 などと思っていたら、コレットの鞭はあっと言う間に敵の腕に巻き付き、彼女はそれを思いっきり引っ張ったかと思うと自分もダッシュして、カウンター気味に膝を相手の顔にめり込ませた。

 そして、崩れ落ちる敵の背後に素早く回り込むと、鞭を左手に持ち替え、ポケットから短刀を取り出した。

 あれは多分、最初にアーチーから奪ったやつだ。

 そしてこれまた躊躇なく、うつ伏せに制圧した敵の背中へと静かに短刀を突き立てた。


 ん? ――コレットをよく見ると、左腕の籠手こてに何かが――小さいクロスボウのようなものが取り付けてある。

 もしかして、あれで弓兵きゅうへいを狙ったのだろうか。


 ……何と言うか、味方ながら彼女の戦闘力の高さが恐ろしくなる。


 正面きって自分たちより数の多い敵と立ち回りながら、飛んでくる矢を叩き落しつつその元凶を捉えて、あまつさえそれをミニクロスボウで撃ち落とすと言う……はっきり言って人間わざとは思えない。

 それを、俺たちを守りながら、しかも外見からまったく想像のつかない少女の姿でやってのけるのだから、恐れ入ると言う他ないだろう。

 もちろん今、最後の敵となった男と激しくやりあっているヴェンも同じだ。


 コレットは、先ほど落下してきた男にとどめを刺すべく、素早く移動した。

 あとはヴェンが相対している敵を仕留めれば、これでひと安心――――


 ――ふいに俺の左側に気配を感じた。


 思わず顔を向けるとそこには、灰色の影が静かに立っていた。

 表情はよく見えない。

 ただ、男の左手に短剣のようなものがあるのは分かった。


 男は声も上げず、ただ短剣のつかに右手をかけ、それを居合いの如く抜き放とうとしている。

 狙っているのは、恐らくは俺ののど

 どういうわけか、分かってしまう。

 俺の目はそれを捉えながら、何も出来ないでいる。

 動くことも、目をらすことすらも。


 俺の右側からヴェンが飛び込んでくるのが分かった。

 彼が俺たちをかばおうと伸ばしたその左腕が、消える。

 消えたと思ったその腕は次の瞬間、宙を舞っていた。


 ヴェンが倒れ込むようにひざをついた。

 ひじの先から切断された腕は、その断面をさらしている。

 赤い血をまき散らしながら。


 男は振り抜いた短剣を引き戻し、ひと振りして血を払い落とした。

 そして、改めて構え直した。


 男の向こうで、コレットが凄い形相ぎょうそうでこちらに向かってきているのが見える。

 でも……とてもじゃないが、間に合う距離じゃない。

 男が短剣を振り抜くのに、あと数秒もかからないだろうから。

 今から鞭を振るったとしても、短剣の方がきっと早い。


 再び、死が間近に迫る。

 それなのに、俺は相変わらず動くことも出来ないままだ。

 灰色の男と目が合った。

 何の感情も読み取れない、暗い瞳だった。


 さっきから、妙に脳内がクリアに感じる。

 あと数秒経てば、必ず俺はむくろと化す。

 それなのに何故か、こんなにあれこれと思考することが出来ている。

 もしかしてこれが、あの死の直前には目の前の出来事がスローモーションになって見えるというやつだろうか。


 しかし、例えそうだとしても動けなければ何の意味もない。

 結末までの時間が、ただいたずらに引き延ばされているだけだ。

 構え直した男の右手が、動き始める。


 ふと、腕の中のあたたかいものが身動みじろぎした。


 ……そうだ。

 俺の命が奪われれば、次に狙われるのは当然、瑠奈だ。

 それだけは、防がなければならない。


 とは言え、今の俺に何が出来る?

 身体は動かない。

 土壇場どたんばでうまいこと、何かの新しい力が覚醒するなんて都合のいい展開、期待するだけ無駄だろう。

 出来るのは、ただただこうして思考することだけ。


 そう、思考。


 ――それなら。


 一か八か、俺は小さくつぶやいた。


「――――――剣山けんざん

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