第三章 第32話 いたぜ……

「いない……」


 お兄ちゃんブラットリィがいない。


 昨日ネロス、明らかに様子エスタットがおかしかった。

 ほっぺたジリクちょっと腫れてたし、口元にはサンブラだって……。

 何があったのか分からないけれど、きっとドルさんと揉めたんだ。


 あのあとお兄ちゃんは出て行ったまま、今日になっても帰って来てない。

 どうしよう。

 何だかすごくイヤな予感がする……。


    ◇


「いたぜ……」


 アーチークレール・モレノアは、ピケの街中まちなかつぶやく。


 彼の視線の先には、探し求めていた者たちの姿があった。

 八乙女やおとめ涼介りょうすけと、久我くが瑠奈るなだ。

 あの背格好……ヴィーザランをまとっているが、先ほど確認した横顔に間違いはない。

 二人の後ろには見知らぬ、ただ明らかに護衛レスコールと思われる別の男女がぴったりと付き従っている。


(いやがった……が)


 そう考えるアーチーの顔は、前日にドルガリスから受けた暴行の傷もまだ生々しく、右頬には簡素な麻の綿紗フロール(ガーゼ)が張り付いていた。

 口元の血こそぬぐわれていたが、口のはしは青く変色し、瞳に宿る不気味な光と相まって、彼の表情を不健康で剣呑けんのんなものに見せている。


 彼の両手はそれぞれ衣嚢ポルシコ(ポケット)の中の短刀ポナードでていた。

 不安な気持ちを少しでもやわらげようとするかのように。


 彼としては、狙われていると分かったはずの彼らが、たとえ護衛をつけているとは言え、堂々と街を歩いて姿をさらしていることに違和感を覚えていた。

 だから、夜通し街を歩き回り、そろそろ陽も高くなり始めた頃、偶然二人の姿を見つけた時にまず思ったのは「カプチロか?」ということだった。


 それでも、もし慎重になり過ぎてどこかの建物に入られてしまえば、それで機会は永遠に失われてしまうかも知れない。

 アーチーは短刀のニカスをぎゅっと握りしめた。


 ――彼の唯一の特技アルスプラットである短刀投げカスタポナード


 ゼドは二人なので、ちゃんと二口ふたふり用意してある。

 そして、短刀の先にはトウゴマスコチェックから抽出したジェドスがたっぷりと塗られている。


 獲物は視認済み。

 しかも、まだ向こうには気付かれていない。

 準備は万端である。


 しかし今回の場合、投擲とうてきしても万が一はばまれてしまえば、任務を完遂かんすいすることは出来なくなってしまう。

 二人とも確実に仕留めるには、どうしても直接体内にやいばを埋め込まなければならないのだ。


 そして何よりの問題は――アーチーがまだ、生身の人間に対してやいばを振るった経験がないということだった。


 狩りヴィクの要領で小動物アルマホローナを相手に試したことは何度かある。

 リグノで作ったまとや樹木に向けてなら、数えきれないほど。

 しかしそもそも、他人を殺傷するのが目的で修めた技術アールスではないのだ。


(いや……やれる。まとは的で、それ以上でも以下でもねえはずだ)


 アーチーは自分を鼓舞する。

 その時、何故か分からないが、彼の脳裡をセラの顔がよぎった。

 自分が役目をまっとう出来なければ、そのツケがセラに回ってしまう。

 そうならないためにこそ、自分はレアリウスの下っ端として頑張ってきたし、その胡散臭い存在を彼女の目から隠し、遠ざけてきたのだ。


(……よし)


 自分の行動原理を再確認したことで、少しだけ勇気が湧いてきた気がした。

 アーチーは相手に気取られないよう、慎重にを進め、機会をうかがう。


 彼は今、八乙女涼介たち一団の後方ディアメルス(メートル)ほどのところを、一般通行人パスナートズィールに隠れながら、距離を少しずつ詰めている。


 ――彼我の距離がゴウメルス(メートル)ほどにまで縮まる。


 雑踏の中だが、集中すれば彼らの会話も耳に届いてくるようになった。

 どうやら服飾店ブレーゼ・プローデに向かっているらしい。

 この辺にある店だと……アーチーの知る限り、何軒もある。

 入店する前に実行するか、店を出るまで待つか――アーチーは悩む。


 ――距離をタスメルス(メートル)まで詰める。


 既にアーチーと八乙女たちをさえぎる他人は、いない。

 思い切り駆け出せば、すぐに手が届くところにまとがある。

 しかし……後ろを固める二人の護衛が、彼らの背後にも十分気を配っていることは明らかに分かる。

 ぐるりと回りこむうちに、容易たやすく補足されてしまうだろう。


(もう少し……せめてあとイシメルス近付かねえと……)


 右前方を歩く男の方の視線が、肩越しに自分へと投げかけられた気がする。

 ……気付かれたか?


 アーチーは少し考え、左側から一団を追い越しざまにやる・・ことに決めた。

 ゆっくりと歩みを速めながら、彼はじりじりと近付いていく。

 一歩進むごとに、イシディメルス(十センチメートル)ずつ距離が縮まる。

 女性の護衛と、横並びになる。


 次の一歩を出すと同時に、アーチーは右手の短刀を衣嚢ポルシコ(ポケット)から素早く出し、そのままの勢いでに向かってやいばくうすべらせた!


(!!)


 その時アーチーの瞳に映ったものは、驚愕の表情を浮かべる少女の顔だった!

 刹那せつな、彼の腕の動きがにぶる。

 そして、次の瞬間。


「ぐはっ!!」


 アーチーの視界は反転し、凄まじい衝撃と共に彼の身体は路上に叩きつけられた。

 同時にアーチーの右腕はコレットによって固くめられ、激痛のために微動だにさせることが出来なくなっていた。


「うぐぐぐ……」


 うつぶせでうめくアーチーを冷たい表情で抑え込むユーリコレット・マリナレス。

 彼女は地面に落ちた短刀を素早く拾い、先端が濡れていることを確かめると慎重に自分の衣嚢ポルシコに収める。

 もう一人の護衛、ヴェンデレイオ・オーブリール――ヴェンが、涼介と瑠奈をかばいながら、素早く周囲に警戒の目を走らせた。


大丈夫かユニタオーナ、コレット」

問題ないよエック・アラゾーク。あとは――――」


 彼女が台詞を続けようとした瞬間、三つの黒い影が三方向から、突如として彼らに襲いかかった!

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