第三章 第30話 うるせえ

「このバカヤロウギズ・カダグラーヴァがっ!!」


 ドルガリス・ローザントが思い切り振るったフォーシュは、アーチークレール・モレノアの右の頬ジリク・イウスを直撃したあと、そのまま空気ウィリアまで切り裂こうかと言うほどに鋭く、激しいものだった。

 無防備にそれを受けたアーチーは、声を上げるもなく執務室ロマ・ビューラスヴラットまで吹き飛ばされた。

 にぶい音を立てて、そのまま糸の切れた操り人形パリネートのように倒れ伏す。


「う、ぐ……」

「何度も念を押しただろうが! 油断すんじゃねえと!」


 床に丸まるアーチーのベリマックを、ドルガリスは容赦なく蹴り上げた。

 アーチーの身体は「くの字」に折れ曲がり、床からわずかに浮き上がる。


「ぐほぁっ!」

「よりによって、一番肝心なところでヘタァこきゃあがって!」


 いろいろな液体にまみれたアーチーのアローラを、ドルガリスは髪を鷲掴わしづかみにして引き起こした。


「あ……ふぁ……」

「おい、いいか? アーチー」


 ドルガリスは、半目になっているアーチーを覗き込んですごんだ。

 光を失いかけている彼のアルノーが、力なく上に動く。


「お前はこれから、あの二人を見つけてくるまで戻って来るんじゃねえ」

「う……」

「分かったか、コラ」

いやノインローザント殿ノス・ローザント。それには及びませんよ」


 ドルガリスの横に立っていたノァスが口を開いた。


「この男の話を聞くに、二人を連れだしたのはそれなりに訓練を受けた者たち。こやつの手には余る相手でしょう」

「そ、そうか……」


 ドルガリスはアーチーの髪から手を離した。

 ゴズン、という音と共にアーチーの頭が床に転がる。


 その時、扉を叩く音が聞こえた。


「誰だ?」


 ドルガリスが誰何すいかすると、扉の向こうからくぐもった声が響いてきた。


「『セス』です」

「どうやら私の部下バルトランのようですな。部屋ルマに入れても?」

「ああ」

入れヴェーニル


 男の呼びかけで扉がひらくと、男と同じような恰好をした別の男が音も立てずに入室してきた。

 入ってきた男は直立し、左手の親指を右手で握り込み、左手の他の指を右手にかぶせた構えを取り、言った。


「先ほど『ゼド』を追わせた『ライ』以下五名との連絡タクティラスが途絶えたと、『リンガ』が」

「ほう……場所は?」

「ここからおよそディヴ五百ゴウィグメルス(五百メートル)ほど離れた付近のようです」

探れセルチス。分かり次第、私も向かおう」

かしこまりましたセビュート


 入ってきた男は短く答えると、再び静かに部屋を出て行った。

 男が言う。


「それなりの手練てだれのようですな。場所が特定されたら、残りの者たちで仕掛けましょう」

衛士ガルドゥラの方は、大丈夫だろうか?」

領主屋敷の方・・・・・・で手は回っているでしょう。何、多少騒がしくなっても衛士どもが到着する前に撤収すれば問題ない」

「すまんが、よろしく頼む、アロイジウス殿ノス・アロイジウス

「あなたに言われるまでもないですよ。それと」


 アロイジウスと呼ばれた男は、ドルガリスの眼を見て言った。


「ここでは、『フォンタ』と」


 そう言い捨てると、彼は「セス」と同様に、物音を全く立てずに部屋をあとにした。

 扉が閉まると、ドルガリスは床に倒れ込んだまま動かないアーチーを再びめつけた。


「ったく、しょーがねー野郎ギズだ。しばらくツラも見たくねえから、ここに来んじゃねえぞ」

「……」

「大人しく食堂ピルミル料理ミルでも運んでやがれ。あんまりお前が使えねえようなら」


 氷のような視線をアーチーに向けて、ドルガリスは続けた。


「いよいよセラの方に仕込むしかねえが……」

「そ、それはっ!」


 アーチーがはじかれたように顔を上げ、ドルガリスの足に取りすがった。


「フォ、約束フォラーガだ、ろ? それだけは、ぐふっ……やめて、くれよ……」

「うるせえ、触んじゃねえよ」

「あがっ!」


 ドルガリスは、すがるアーチーの手を踏みつけて、答えた。

 底冷えのする声音こわねだった。


「ぐうぅぅ……」

「それが嫌なら、使いもんになるところを見せろ。言っとくが次はねえ。心しておくんだな」


 手を押さえてうめき声を上げるアーチーを一瞥いちべつすらすることなく、ドルガリスは部屋を出て行った。


    ◇


 セラピアーラは、言いようのない不安に襲われていた。


 さっき、ドルガリスが恐ろしいほど不機嫌な空気をまき散らしながら、上から下りてきたのだ。

 彼はすれ違いざま、セラに憤怒ふんぬに満ちた視線を浴びせると、店の前で調理していた店員に何かわめき散らし、そのままどこかへ立ち去ってしまった。


(さっき、変な人たちが出入りしてたし……何があったんだろう)


 実際のところ、この風見鶏亭プル・コキドヴェテロアに何となく怪しい風体ふうていの人物がいるのは、初めてのことではない。

 そもそも、食堂ピルミル宿屋ファガードにはいろいろな人たちが出入りするのは日常茶飯事なので、セラは特別に警戒心を持つこともなかった。


 それなのに、今日は嫌な予感が止まらない。

 セラは、店の様子が落ち着いていることを確かめると階段をのぼり、叔父であるドルガリスの執務室へと向かった。


 そして――


「ブ、お兄ちゃんブラットリィ! どうしたの!?」


 セラが到着したのと同時に、偶然部屋の中から出てきたのは、背を丸めたままよろよろと足元の覚束おぼつかないアーチーの姿だった。


 セラはすぐに兄の元へ駆け寄ると、正面から彼の身体を支えながら続けた。

 うつむいているが、口の周りが真っ赤になっているのがはっきりと分かる。


「一体どうしたのよ!? ……まさか、ドルさんにやられたの?」

「……せえよ」

「え……?」

「うるせえって、言ってん、だ……どけ」


 かすれた声でそう言うと、アーチーはセラの手を払いのけた。


「ちょっと! 手当てしないと――」

「おい、セラ……」


 顔を上げたアーチーの瞳が、セラを捉える。

 血と涙と汗にまみれた中でそれは強烈な、しかし不気味な光を放っていた。

 思わずひるむセラ。


「な、なに……?」

「あの二人は、どうした……」

「え?」

「あの、野郎ギズと……小せえアルマガキカカーラは……どこだ?」

「……りょーすけと、るぅなの、こと?」


 つねとはまったく異なる迫力のアーチーに、セラは若干じゃっかん声を震わせながら答えた。


「そうだ……」

「あの人たちなら、部屋ルマにいるんじゃないの?」

「くそっ……」


 毒づきながら、アーチーは身体をゆっくりと起こした。

 そのまま歩き去ろうとする。


「ちょ、お兄ちゃん! 手当てを――」

「セラ」

「え?」

「もし、街中まちなかで万が一、あの二人を見つけるようなことがあったら……すぐ俺に教えろ」

「え?」

「……まあ、その前にぶっ殺されてるだろうが、万が一……だ」

「え、ぶ……ぶっ殺って、え?」


 アーチーはセラの言葉に答えず、振り向きもしないままよろよろと去って行った。

 この状況シーダスも、兄の言葉ヴェルディスも、何ひとつ理解できていないセラは、その場でただ呆然と立ち尽くすほかなかった。

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