第三章 第21話 アズアズ! オパオパ!

ちょ、ちょっと待ってくれメ、メントバ!」


 俺――八乙女やおとめ涼介りょうすけ――は今、屋根の上・・・・を走って……いや、歩いている。

 アニメでなら何度も見たシーンだけど、実際やってみるとこれはヤバい。

 俺は別に、高いところが苦手というわけじゃないし、むしろ高所からの眺めは人一倍好きな方だと思う。

 しかしそれも、ある程度安全が保障されている状況での話。


「急いでくださいよー、八乙女様ノス・ヤオトメ

「いや、そんな事もなげに言われてもだな――うわっと!」


 こうして足を踏み外しそうになるのも、もう何度目か分からない。

 まさか斜めのところを移動するわけにもいかないので、天辺てっぺんむねと呼ばれる部分を行くのだが、当然細いところなのでまるで綱渡りのような塩梅あんばいなのだ。

 とてもじゃないが、前を行く彼女・・のようにはいかない。


早く早くアズアズ! ほらほらオパオパ!」

かすなっての!」


 思わず日本語で毒づいてしまう。

 十メートルほど前で、瑠奈るなを横抱きにしている彼女は、きょとんとしている。

 それでも……ここは行かなきゃならないのだ。

 何故なら――――


    ◇


 怪しい人影が、客室の天窓に映っている。


 瑠奈はこちらに飛び込むや否や、俺の腹のところに顔をうずめたまま。

 俺は彼女を腕の中に抱えたまま、天窓の人影を見上げて呆然としてしまう。

 また天窓かよ……と、山風さんぷう亭での出来事が脳裡のうりをよぎる。


「――――!」


 ん?


「――!、――――!」


 落ち着いてみると、人影はどこかを指さして何やら叫んでいる様子。

 襲撃者じゃ、ないのか……?

 逆光になっているのと、ガラスの質があまりよくないこともあって、顔がよく分からない。

 とりあえず、人影の声に耳を傾けてみる。


「――フル!」

「……?」

開けてマーフル!」

「……けて?」

「開けて! エストラ!」


 窓をけろ?

 どうやって?

 見たところ、天窓ははめ殺し・・・・になっているようだし、当然のことながらスイッチらしきものも見当たらない。

 仮に取っ手がついていたとしても、とてもじゃないが届く高さじゃない。

 それに……相手の正体も分からないのに、下手にけて、そのままなだれ込んで来られても困る。


 こういう時は……仕方ない!

 マナー違反と言われても、緊急事態ってことで勘弁してもらおう。


 俺は、天窓の外の人影に向かって「心にノック」した。

 遠目にも、相手の肩がびくっとしたのが分かる。

 ほどなく魔素線ギオリアラがつながる感覚がした。


(あんたは、誰だ?)

(あーびっくりした。 ……突然精神感応ギオリアラなんてやめてくださいよ)

(失礼なのは承知の上だ。もう一度聞くが、あんたは誰だ。俺たちに何の用だ?)

(そっかあ、警戒シンガルドするのも当然ですよね。心配しないでネディネイパ。私はあなたたちを保護ガルドスするために来たんです)


 保護だと?

 俺たちを保護してくれるような人物に心当たりはないが。


(とりあえず名乗ってくれ。誰かも分からない人間と話は出来ない)

慎重プルズーラなんですねー。そう言うの、いいと思います。私はコレット。ユーリコレット・マリナレスです)

(ユーリコレット、マリナレス……?)


 マリナレス……どこかで聞いたことが――あっ!


(もしかして、えーっと確か……マルグレーテ・マリナレスさんの知り合いか?)

はいヤァ! マルグレーテは私のお姉ちゃんアデラリィです。お姉ちゃんから、あなたたちを安全に定期船ネイヴィス・アトーラに乗せるまで保護しろって、命令オルディナされてます。八乙女様ノス・ヤオトメ久我様アルナ・クガ


 これは……信用していいのだろうか。

 俺たちの名前を知っている上に、マリナレスさんの名まで出した。

 俺は思わず、腕の中の瑠奈を見てしまう。


「瑠奈。あの人、信用できそうか?」


 小四の女子に確かめるのもおかしな話だが、こういうことに関してこの子の判断は外れたことがないのだ。


 ……こくり。


「そうか、よし分かった」


 顔をうずめたままうなずくのを見て、俺はコレットとやらの話を聞くことにした。


(あなたを信用することにするよ、ユーリコレットさん)

(またもうー、堅苦しいですねー。どうぞコレットとお呼びください!)

(分かった、コレット。それで、俺たちは何をすればいいんだ?)

追手ヤーザールが迫ってるので、とりあえず窓を開けてくださいな)


 ……何だって!?

 まさに緊急事態じゃないか!

 それなのに、このコレットとやらの話し方が妙にのんびりしていて、そのギャップに頭がおかしくなりそうになる。


(開けろと言われても、どうやって? 天窓エストラ・セレスタの開け方が分からないんだが)

これ・・は固定されてますから、ムロスの方の窓をけてください。そしたらラノを下ろしますんで、それにつかまってくださいね)

(は……?)


 向こうの言うことに、今ひとつ頭がついていかない。

 それでも、追手と聞いてはいちいち細かいことを言ってはいられない。


(縄に掴まるとは?)

(この宿ファガードが安全かどうか分からないので、私たちの拠点オイナリアにお連れします)

(……縄は?)

(下のジョールを行くより、こっち・・・の方が安全です。あ、縄にはちゃんと輪っかヨアーナを二つ作ってありますから、そこに片手ウーナム・マーニ片足ウーナム・ピドラを突っ込んでくださいね!)

(……こっち、とは?)

(もちろん、屋根テリアットですよ! さ、ほらオパ。急いでくださいな)

マジかブラウディ……)

(マジですとも。まずはその、ちっちゃいアルマ久我様アルナ・クガからどうぞ!)


 瑠奈がなおいっそう強い力で、しがみついてきた。

 あれ……瑠奈、聞こえてるのか?


    ◇


 ――とまあ、こういうわけなのだ。


 つい先ほどのことだけど、既に忘れたい記憶である。

 とにかく滅茶苦茶怖かった。

 縄と言っても、とび縄に毛の生えた程度の太さで、とてもじゃないが命を預けようと思える代物しろものじゃなかったし、ただひたすら声を上げないようにするだけで精一杯だった。


 それなのにコレットは、瑠奈はもちろん、俺のことも涼しい顔ですいすいと引っ張り上げていったのだ。

 どういう腕力をしてるんだ?


「あの赤いクルーミィ屋根のイル目的地ヘルブリーズです! もう少しだから頑張ってセリ・ホレーラ!」


 そう言われても、見渡す限りほとんど赤い屋根なんだが……。

 ただし、びっしり屋根が詰まってるというわけでもなく、ところどころに大きく穴が空いているように見える。

 中庭パティオか何かだろうか。


 とりあえず不幸中の幸いと言うべきか、建物と建物の間はごく狭いので、飛び移ると言うより大股で渡る感じで移動できる。

 それでも怖いのに変わりはないけれど、これでもういくつもの建物の上を飛び越えてきているのだ。


ここセマルですよー! ここー!」


 コレットはそう言うと、瑠奈を抱いたまま、ある屋根のはじから飛び降りた。


「お、おい!」


 彼女が消えたところから、まだ三十メートルは離れている。

 ベランダか何かあるのか?

 とにかく俺は、早くたどり着こうとよたよたしながらも歩を進めた。


 あと十メートルほどというところで、コレットがまた屋根の上に上がってきた。

 瑠奈が……いない!


「コレット! 瑠奈はどうした!?」

仲間ハーブルに預けたから、心配しないでネディネイパ!。今そっちへ行きます!」


 こっちに来る?

 俺、彼女に横抱きにされるんだろうか。

 手をつないでくれるくらいでいいんだけ――――


伏せてポネス!!」

「えっ」


 バゴッ!!


 突然、足元のスレートが音を立てて砕け散った。

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