第三章 第06話 ピケへ――2

「ピケ……ですか?」

「ああ」


 私――山吹やまぶき葉澄はずみ――の問いかけに、向かいに座っている彼女はうなずいた。

 彼女というのは、エリィナさん。

 正式には、アウレリィナ・アルヴェール・ヴァルクスと言うらしい。

 長い。

 そしてこの人は、貴族なんだそうだ。

 こちらの言葉では「ドーラ」って言うんだけど。


「ピケはね、ここからずっとウータスにあるバジャでね、ザハドよりもずっとずっと大きいんだって!」


 私の右隣りでこう話すのは、リィナ。

 リィナは愛称で、正しくはサブリナ・サリエール。

 ザハドにある宿屋「山風さんぷうてい」の娘さん。

 彼女の両親公認で、私の旅についてくることになった、好奇心旺盛な女の子だ。


 ちなみにだけど、驚くことにエリィナさんは私とは「日本語」で話している。

 見た目は完全にエレディールの人なのにも関わらず、だ。

 リィナは、基本的にはこちらの言葉――エレディール共通語ノアロ・ヴェルディス――で会話する。


 私もリィナもお互いに相手の言葉を勉強中で、時々思い出したように相手側の言葉で話したりもするのだけれど、エリィナさんという優秀な通訳がいてくれるお蔭もあって、私の場合、ついつい日本語を多用してしまっているのだ。


 ……と言うか、なぜエリィナさんがこんなに日本語が堪能たんのうなのか。

 その理由については、今もまだ分からない。

 どう見ても日本人じゃないんだから、普通に考えれば誰かに教わったんだと思うんだけれど……問題はその誰かが誰なのって言う話になる。

 その辺りについて尋ねても、エリィナさんは首を横に振って答えてくれない。


「それにピケには、領主様ゼーレがいるんだよ」

「確か、リューグラム弾爵だんしゃくだよね?」

そうそうヤァヤァ。はずみも会ったことあるもんね」


 こんな会話も、実際のところはエリィナさんの通訳が挟まってたりする。

 リィナは私より頑張っていて、なるべく日本語で話そうとしてるし、私のつたないエレディール共通語を結構理解してくれているみたい。

 エリィナさんが言うには「感受フェクト」って言う魔法ギームがあって、それを意識していると相手の言いたいことや感情が何となく伝わってくるんだとか。

 ちょっと羨ましい。


 ただ、この感受フェクトは相手が伝えようとしていることがより分かりやすくなるだけで、思考を勝手に読んだりするようなものじゃないらしい。

 そこは正直、ちょっと安心している。


 ――今、私たちは馬車で移動している途中だ。


 私は、とんでもない冤罪えんざいで学校を追放された八乙女やおとめさんと瑠奈るなちゃんを追って、ザハドの山風亭に辿り着いた。

 でもそこで待っていたのは、二人が前日の夜に何者かに襲われて、既に宿をった後という事実だった。


 そして私は、突然現れたエリィナさんに驚愕きょうがくの事実を知らされた。

 彼女によれば、私たち二十三人がこのエレディールに転移してきたことに、かがみさん――鏡龍之介りゅうのすけが関わっていると言うことらしい。

 そのことを知らされた朝霧あさぎり先生が、調子を崩すほどに悩んでいたことも。


 ただ、具体的にあの男がどう関わっていたのかと言うことについては、まだ聞けていない。

 私も知りたい気持ちは当然あるけれど、正直なところ聞く勇気がないと言うか、ちゃんと受け止める覚悟がまだ出来ていないように思う。

 エリィナさん自身も、進んで話そうという気は今のところないように見えるしね。


「八乙女涼介りょうすけ久我くが瑠奈の窮地きゅうちを救った私の部下は、最終的な目的地としてオーゼリアにある私の実家――ヴァルクス家を伝えたが、まずはピケに向かい、そこから川をくだ定期船ネイヴィス・アトーラで向かうように指示したようなのだよ」


「やっぱり船の方が速いんですか?」


「そうだな。それでも途中でチェース、ミラコスと経由して、オーゼリアに到着するにはピケからでも最低四日はかかる。天候によってはさらに日程が延びることもあるが、陸路を馬車で進むよりは遥かに早いと言えるだろう」


 八乙女さんたちが乗った馬車は、ものすごい超特急でピケに向かったらしい。

 普通の馬車ならゆっくり三日くらいかけて進むところを、途中で馬を替えながら夜通し駆け続けて朝方には到着するという……多分すごい乗り心地なんだろうけれど、命には代えられないものね。


「そういうわけで、この馬車はピケに向かっている。途中で小さな宿場しゅくば町に寄りながらなので、到着はさっきも言ったように三日後だ」

「でも、エリィナさん」


 私が答える前に、リィナが先に疑問を口にした。


「りょーすけたちがそんなに急いでピケに向かったのに、私たちがのんびりしていたらあんまり意味がないような気がするんですけど」

「そうだな。だが彼らを急がせたのは、まず追手からなるべく距離を取るためだ。それともう一つ理由があってな」

「理由、ですか?」

「ああ。実は定期船は一節いっせつ一月ひとつき)に二便びんしか運航していないのだよ」


 月にたった二便だけ!

 いやでも、片道の航路が一週間くらいかかるのなら、そんなもんなのかな。

 それに、何でも日本の感覚で考えてたらダメだとも思う。

 でも……それだと……


「オーゼリア行きの便びんは、先日既にザハドを出航しているらしい。八乙女涼介たちはほぼ入れ違いで間に合わないだろう」

「それじゃあ、次の便がくるまでの二週間、八乙女さんたちはピケで足止めされるということに?」

「にしゅうかん? ――ああ、およそ半節はんせつ、そういうことになるな。それでも、無事に船に乗ってしまえば陸路よりは格段に安全だし、早い」


 ……これが、単に待ち時間が長すぎるというだけの話ならいいのだけれど、八乙女さんたちは今、追われている立場なのだ。

 見知らぬ街でそんなに長い間、無事でいられるものだろうか。


「山吹さん、あなたの心配はよく分かる。私も同じことを懸念けねんしているゆえ、既にピケには人員を手配している」

「さっきリィナが言ってましたけれど、ピケにはリューグラムさんがいらっしゃるんですよね? 事情を話して彼のお力を借りることは出来ないんでしょうか?」

「それなんだがな……ふーむ」


 途端に難しい顔になるエリィナさん。

 何かあるのだろうか。


「それが出来ればなおいっそう心強いのだが、彼の元が必ずしも安全とは言えないのだよ……残念ながら」

「えっ、それはどういう……?」

「あの、それってもしかして、こないだエリィナさんが言ってた……確か『レアリウス』と言うのが関係してるんですか?」


 口を挟んだリィナに、エリィナさんは驚いたように目をみはった。


「君は好奇心が旺盛おうせいなだけではなく、なかなかにさといのだな、リィナ」

「えへへ」

「レアリウスって、確かオズワルコスさんがそうだって、山風亭でエリィナさんが言っていた言葉でしたよね?」

「ああ。私たちの調査によれば、リューグラム家はレアリウスに『汚染』されてしまっている。弾爵だんしゃくご自身もそれには気付いていて、手は打っているようなのだが」

「そうなんですか……」

「だから、私の部下も八乙女たちに、領主館には近づかぬよう伝えているはずなのだ。私たちが到着するまで、何とかしのいでくれることを願うしかあるまい」


 私の脳裡のうりに、瑠奈ちゃんの手を引いてたたずむ八乙女さんの姿が浮かび上がった。

 彼は確かに椎奈しいなさんから空手を習ってはいたけれど、殺しの専門家のような人たちに対抗できるとはとても思えない。

 あせりのあまり、うなじの辺りが焼けるように感じる。

 私は思わず、正面に座るエリィナさんの手を取って懇願していた。


「エリィナさん、どうか八乙女さんたちを何とか、何とか助けてあげてください。お願いします。どうか、どうか……」

「はずみ……」

「落ち着くんだ、山吹さん。さっきも言ったように手は打ってある。もちろん楽観視は出来ないが、今は彼らと私の部下を信じるしかない」

「は、はい……」


 大きなため息をついて座席に腰かけ直した私の背中を、リィナがさすってくれる。


「あ、ありがとう、リィナ……」

「二人はきっと大丈夫だよ、はずみ。特にるぅながいるなら、ね?」

「え? 瑠奈ちゃん? 何で?」


 八乙女さんがいるからって言うなら、まだ分かるけど……どうして瑠奈ちゃん?


「あの子、『感受フェクト』がすごく強いメタ・インダーツよ。強いって言うか、ものすごく敏感センティコルアなんだと思う。だから誰かが悪意マリンティアとか持っていたらすぐに分かるんじゃないかな」

「そ、そうなの?」

「うん。私もそういうの強めだって言われたことあるんだけど、私なんか比べものにならない強さだって思ったもん」


 私には魔法ギームのことなんてさっぱりなんだけど、もしリィナの言うことが本当なら、もしかしたら危険回避に役立ったりするんだろうか。


 私の視界に、リィナの向こうの車窓の先が入ってきた。

 街道沿いに植えられている灌木かんぼくがフィルムのコマのように過ぎていく向こう側に、滔々とうとうと流れる大河と、そこを行き交う小舟が見える。

 普段ならきっと、足を止めて眺めってしまうほどに美しい景色なんだろうけれど、あの二人がいなければ何の意味もない。


(早く、一刻も早く、ピケへ――――)

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