第三章 第07話  In a Piquetan Market 1

 朝霧あさぎり彰吾しょうご校長殺害の冤罪えんざいをかけられ、私的制裁とも言える裁判によって学校を追放された八乙女やおとめ涼介りょうすけ


 彼を慕う久我くが瑠奈るなと共にザハドを目指し、頼みとしていた食堂兼宿屋である山風さんぷう亭にたどり着くも、その夜、謎の集団による襲撃を受けてしまう。

 間一髪のところを、エリィナことアウレリィナ・アルヴェール・ヴァルクス――ヴァルクス家の女性――の部下であるマルグレーテ・マリナレスに救われた二人。


 彼女の言葉に従い、用意された馬車に乗ってあわただしく向かった最初の行先は――ピケ。


 そこはザハドの領主でもあるディアブラント・アドラス・リューグラム――リューグラム弾爵だんしゃく――の本拠地であり、彼が治める領地の領都りょうとでもある地だった。


    ◇◇◇


 馬車は夜通し駆け続けた。

 途中で三回、馬を替えたのは知っている。


「うーん……いててて」


 伸びをすると、背中や腰がバキバキと音を立てた(ような気がする)。

 何しろ一晩中馬車に揺られていたのだ。

 ところどころ記憶がないから少しは寝ていたんだろうけど、まったく眠った気がしない。

 隣に立つ瑠奈るなも、何度も目をこしこしとこすっている。


 カーン……キン……キン…………


「大きなかねがひとつと小さいのが二つ……一時いちじしょうのティリヌス、つまり午前七時ということか。マジで夜を徹して走ってたんだな」

「せんせー」


 瑠奈が俺の左手をくいくいと引きながら言った。


「お腹すいた……」

「そうだな。どっかいてる食堂でもあるといいんだけど……」


 瑠奈は小学三年――いや、一応年度が替わったから四年生になるのか?

 そう言えばもう九ヶ月近く、この子はいわゆる学校教育を受けてないんだ。

 今さらと言えば今さらだけどね。


 辺りを見回す。

 何となくだけれどどうやらここは、日本で言うタクシー乗り場とかバスターミナルみたいな感じがする。

 俺たちの他にも馬車から降りたり、別の馬車に乗って出発したりするような人たちもいるしで、割と朝早いと思うのに結構にぎやかなのだ。

 通勤客……と言うのもちょっと違う気がするけれど、これならこの人出ひとでを当て込んだ食べ物屋があってもおかしくないんじゃないだろうか。


 実際、少し歩くとあわただしく準備をしている一軒の屋台マトラが目に入った。


「瑠奈、あそこで何か食べようか」


 指さしながら俺が言うと、彼女はこくりとうなずく。

 この子――久我くが瑠奈は、いわゆる場面緘黙かんもく症である。

 彼女の場合、自宅以外の場所ではまったくと言っていいほど話をすることが出来なかったらしい。

 それなのに何が気に入ったのか分からないが、どうやら俺には心をひらいていくれたようで、こうしてぽつりと言葉を発するようになった。

 と言っても、まだ必要最低限って感じがいなめないけど。


やってるイレキート?」

「ヤァ。リポヴァススタルソヌールコトラス、プリムスーラ」

分かりましたベーネそれじゃネルデン二つくださいウスルテーム


 どうやらザハド以外でもちゃんと言葉が通じるみたいで、ほっとした。

 俺が話したのはエレディール共通語ノアロ・ヴェルディスなんだから当たり前なんだけど、もしかしたらザハドとは別の言葉を使ってるって可能性もあったからさ。

 ちなみに、目の前の人のさそうなおじさんがしゃべったのは、「昼までは『コトラス』しか出せねえけどな」ってところかな。

 コトラスが何かは分からないけど、今作ってるこれ・・のことだろう、多分。


    ◇


 そんなわけで、俺――八乙女やおとめ涼介りょうすけ――と久我くが瑠奈るなはその辺の適当なところに腰かけて、コトラスをパクつき始めた。

 これ……タコスだな。

 ちょっとスパイシー目な肉と野菜を、クレープのようなピタパンのような丸いもので折ってはさんである。

 飲み物は隣の屋台で買った、何かの果実かじつすいだ。


「結構美味うまいな、これ」


 瑠奈は黙ってうなずきながら、小さな口でもぐもぐしている。

 この子にはちょっとからいかもと思ったけど、どうやら大丈夫そうだ。

 とりあえずはよかった。


 正直言うと、ひとつじゃちょっともの足りない。

 それでも、腹にものが入ってくると、ぼーっとした頭も少しずつ動き始めてくる気がする。


(ピケに着いたら、お疲れでしょうがなるべく早く、ネイヴィスを探してください)

(グラーシュがわをずっとくだると、オーゼにそそぐところにオーゼリアと言うとても大きな街があります。そこを目指してください)


 あのあわただしい中で、マリナレスさんと交わした精神感応ギオリアラを思い出す。

 彼女は、俺たちがすべきことをたん的に教えてくれた。


(こちらを持って、オーゼリアの「ヴァルクス」という家をたずねるのです)


 彼女に手渡された短剣は、背中のリュックサックの中に入っている。

 この世界に日本のような銃刀法があるとは思わないけれど、Tシャツにショーパンという恰好じゃあ吊り下げる場所もない。

 そもそも俺は、短剣の使い方なんて分からないしね。


「……」

「ん? どうした?」


 瑠奈が突然、俺の方に身体を寄せてきた。

 脇腹わきばらの辺りに顔をうずめるようにしている。

 ふと顔を上げると――おっと……見られてるな。

 道行く人たちからの視線が、明らかに俺たちに集まっている。

 わざわざ近寄ってくる人はいないが、足を止めてまでこちらを凝視ぎょうししてくる姿はちらほらある。


 ――ちょっとヤバいかもな、こりゃ。


 俺たちにはごく当たり前のこの黒髪くろかみも、ここではとにかく目立つらしい。

 理由こそよく分からないが、今の俺たちは一応追われる立場なのだ。

 この状況がよろしくないことぐらい、素人でも理解できる。

 それに……この服装も物珍しさを助長してるんだろうな。

 早いところ、何とかしないとまずい。


「瑠奈、もう少ししたら服屋を探そう。まずは着てるものを何とかしないとな」


    ◇


「おお、こりゃすごい」


 簡単な朝食を済ませた後、俺たちはまず着替えを売っている店を探した。

 道行く人三人ほどに聞いたところで、割と近いところで大きな市場いちばが朝からひらいているということが分かったので、急ぎ向かった。


 俺たちの目当てはもちろん、周りから浮かない程度に風景に馴染んだ服と、黒髪くろかみを隠せる帽子とかフードのたぐいなわけだ。

 だけど、目の前に広がっているのはそう言った衣料品は勿論、野菜や肉、穀物なんかの各種食料品から鍋や皿のような調理器具や食器、き物、何だかよく分からない日用品など、多種多様な物品がやりとりされている景色だった。


 そして、数多あまたの露店がところせましとひしめく中を、それに負けないほどのたくさんの人たちが歩き、並ぶ品を手にとっては選び、店主と交渉しているのだった。


 いろんな料理を食べさせている店もあちこちでいい匂いをさせている。

 俺たちがさっき食べたコトラスはもちろん、サモサのような三角形の揚げ物や、シシカバブみたいな何かの肉の串焼きらしきものとか……服を見つけたらちょっとまんでみたい気になる。


 とにかく俺と瑠奈は、その熱気と喧騒けんそうに当てられて、市場の入り口でしばらく立ち尽くしてしまっていた。

 瑠奈の、俺の左手を握る力がいっそう強まったのが感じられる。


ファルタセルチスイオロなにかおさがし?」

「えっ!?」


 そんな俺たちの後ろから、突然声が飛んできた。

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