第三章 第04話 船出

 かがみさんはまず、正面の黒板に大きく「方舟はこぶね」と書いた。

 それから「大目標」と続け、そこに「元の世界へ帰ること」と付け加えた。


 すると壬生みぶさんがすっと立ち上がり、黒板の方へと移動し始めた。

 鏡さんからチョークを受け取ると、立ったまま何かを待っている。


「それではまず、新リーダーとしての所信表明といこう」


 何度目になるだろう、彼は再び私たちをぐるりと見回した。

 視線と言う鎖でつなごうとするような、妙に力のある瞳だった。


「長々とは言わない。まず私の役目は、先ほども述べたように私自身を含めた皆を元の世界に戻すことだ。そのために必要なものは全て使う、必要なことは全てやる。そして、それをはばむものは人であれ物であれ、容赦なく排除していく。そのつもりでいて欲しい」


 しんと静まったまま、誰も言葉をはっしようとしない。

 沈黙を了承ととらえたのか、鏡さんは少しだけ口角を上げて続ける。


「私は強権的なリーダーになるだろう。トップダウン型というやつだ。そこに異論は認めない。しかし独裁者になるつもりもまた、ない。皆の意見に耳を傾ける用意はある。提言ていげん諫言かんげん、いつでも歓迎しよう。しかし、最終的に決定するのは私だ」


 そう言って、明らかに私の方を見た。

 私は決して目をらさない。


「念を押しておくが、今後はたとえどれほど不本意であろうと決まったことには従い、役目をまっとうしてもらう。それが出来ない者は――排除だ。どれほど有能な人材であっても例外はない。これは脅しではないし、必ず実行する。いいかね、黒瀬さん」


 私が目をつけられているのは当然の事だろう。

 望むところだ、と思いながら私は立ち上がり、ひとつの疑問を投げかける。


「ひとつ聞かせてください」

「何だね?」

「鏡さんがかかげた大目標――それはもちろん転移当初からのものなんですが、相当難易度の高い目標ですよね? そもそも元の世界に帰るための具体的な方法なんてまだ分かっていないと思うのですけれど、鏡さんはその辺りにも自信のほどがうかがえるように見えます。何か目途もくとが立っているんですか?」

「なるほど。当然の疑問だろうな、黒瀬さん」


 穏やかに話すのを聞いて、私が彼に屈服したとでも考えているのだろうか。

 鏡さんはうなずきながら続けた。


「だが、申し訳ないが今それについて詳細を話すことは出来ん。だが目標達成に向けて鋭意努力しており、確かに進行中であることだけは明言しておこう。いずれ皆にも伝える時が来る」

「……分かりました」


 私はそれ以上追及せず、大人しく座る。

 鏡さんが横の壬生さんに何か小声で話すと、壬生さんは何かを黒板に書き始めた。


 カッカッと言う音を背中に、鏡さんが口を開く。


「では所信表明の次は、組織についての話をしようと思う。人数も減り、体制も新たに変わったところで現在の役割分担も見直す必要がある。今、壬生さんに書いてもらっているこれは素案そあんではあるが、基本はこれで行くつもりだ」


 既に組織改編にも着手していたとは……。

 今しがた聞かされた、元の世界へ戻るための何かしらが本当のことであるとするのなら、くやしいけれどどうやら鏡さん一派の人たちは一歩も二歩も私たちに先んじて行動しているらしい。


 そして、壬生さんが書き連ねていくにつれて、小さなどよめきが上がることなる。

 そこに書かれていたのは――


 執行部――――――――――――――

 執行部長:かがみ龍之介りゅうのすけ

 執行部副部長:壬生みぶ魁人かいと

 執行部実行班担当:久我くが純一じゅんいち

 執行部食料物資班担当:秋月あきづき真帆まほ

 執行部食料物資班担当:久我くが英美里えみり


 実行班――――――――――――――

 実行班班長:たちばな響子きょうこ

 実行班副班長:瓜生うりゅう蓮司れんじ

 実行班副班長:黒瀬くろせ真白ましろ

 班員:如月きさらぎ朱莉あかり

 班員:加藤かとう七瀬ななせ

 班員:諏訪すわいつき

 班員:早見はやみ澪羽みはね

 班員:天方あまかた聖斗せいと

 班員:神代かみしろ朝陽あさひ


 食料物資班――――――――――――

 食料物資班班長:花園はなぞの沙織さおり

 食料物資班副班長:不破ふわ美咲みさき

 食料物資班副班長:椎奈しいなあおい

 班員:上野原うえのはられい

 班員:御門みかど芽衣めい


 ざわめきが止まらない中、鏡さんは手振りでそれを抑えて説明を始める。


「これが新体制での業務の割り振りになる。まず大まかにだが、一番上に執行部を据え、その下に実行班と食料物資班を配置した。執行部で立案した計画を元に、実行班に動いてもらうと言う形だ。食料物資班については、基本的にこれまでと比べて大きな変化はない。皆の食事全般に関する業務をになってもらう」


 完全に恣意的な人事。

 執行部とやらの面々を見れば、それは一目瞭然りょうぜんだ。


「各班の班長には、不定期に開かれる執行部会議に参加してもらう。そこで決まったことを班員に伝えて仕事を進めるというのが基本的な流れだ」


 実行班というのは、要するに何でも屋ということだろうか。

 私を副班長の一人に据え、早見さんも配置しているところを見るに、これまでの保健衛生班としての仕事は継続させるものと考えていいように思う。

 ただ、外交班がないことが気になる。


「執行部の各班担当者は、普段は担当する班での実働に従事する。彼ら三人は班の実態を常に把握し、現状を執行部に上げる役割と思ってほしい」


 もしかして、久我夫妻と秋月さんはつまり監視役?

 そう邪推してしまう自分がいる。


「そして私と壬生さんは、最終決定機関であり渉外担当者という位置づけだ。今後は現地の人たちとの折衝せっしょうがこれまで以上に重要になってくる」

度々たびたびすみません、質問いいでしょうか」

「何だね、黒瀬さん」


 いちいち横やりを入れてくる私がそろそろ鬱陶うっとうしいのだろうか。

 彼の声音こわねにわずかなけんが混じるのが分かる。

 でも、そんなのに構ってなんかいられない。


「外部との折衝の重要性は私にも理解できます。今まではそこを外交班が頑張ってくれていたと思うんですが、今回の班割りにそれがない理由は何でしょうか」

「外交班の実績については当然評価している。ただ仕切っていた頭二人・・・がいない今、仮に同じメンバーを集めても同様の成果を期待するのは難しいだろう。それに」


 鏡さんは壬生さんと何やら顔を見合わせて、続けた。


「現在東の森付近に建設中の製材所や、『長屋ながや計画』でも分かると思うが、私は外交班とは別ルートでチャンネルを構築している。外交班のこれまでの成果と積み重ねたものは、所属していた久我さん(純一)とザハドのオズワルコスが引き継いで生かしてくれるだろう。心配は無用だ」

「分かりました」


 オズワルコスさんと言えば、八乙女さんや山吹さんと一緒に活動していたザハドの先生だったはず。

 いつの間に鏡さんは彼と接触したのだろうか。

 もしかしたら、鏡さんはずいぶん前からこの日のある事を想定して準備を始めていたのかも知れない――そう感じてしまう私はひねくれている?


 ……分からない。


 でも確かなのは、もうこの体制で物事が進み始めてしまっていると言うこと。

 他の人たちも、納得しているのか諦めているのか知らないが、私以外に質問する人は誰もいなかった。


    ◇◇◇


 こうして私たち「方舟はこぶね」は、鏡さんを頂点とする新体制となって新たな海へとぎ出したのだった。


 その先に待つのが、あれほどに荒れ狂う海だと知らないままに。

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