第三章 第03話 二択

「まずこれより先に話を進める前に、ここにいる皆には各々おのおの去就きょしゅうを明らかにしていただこう」


 かがみさんは自分の席を立つと職員室の前の方へ移動し、正面の席に腰かけた。

 隣に位置する場所に座っていたたちばな教頭先生が目をく。

 そこは即ち、朝霧あさぎり校長先生が座していた場所だからだ。

 思わず問い掛ける教頭先生に、鏡さんが鋭く答える。


「なぜ、あなたはその席に?」

「さっきから言っているではないですか。私はリーダーたらんとしていると」

「ですがまだそうと決まったわけではありません」

「それをこれから問おうと言うんですよ。この先、あなたのようにいちいち突っかかってくる人の相手をするのは面倒なんでね」

「ぐ……」


 黙り込む教頭先生をよそに、鏡さんは正面に向き直る。


「もう一度言おう。私をリーダーとして認めるか否か。認めぬ者はここを去っていただきたい」

「!」


 なんて乱暴な……!

 私は立ち上がって叫んだ。


「そんな二択、断じて認められません!」

「私も黒瀬さんと同感です。リーダーに相応ふさわしい方はあなただけではないと」

「ならば花園はなぞのさん。その人の名を出して今この場で推薦してください。またはあなた自身が名乗り出ますかね」

「いえ、それは……」

「ふっ……」


 あざけるような笑みを花園さんに投げつけ、鏡さんは続けた。


「他の方たちも、対案たいあんがあるのなら今ここで出してください。立候補でも構いませんよ。とにかく我々を引っ張る者はすぐにでも必要な存在。時間をかけて話し合い、吟味を重ねて本人に確認し……などと悠長にやっている暇はない。そもそもそんな形で決めたとて、本当にリーダーとして有能なのかどうかは分からないはず。そのようなものに意味はない!」


 強い口調でまくしたてる鏡さんに、挙手するどころか誰もがうつむいてしまい、何も言えずにいる。

 もちろん、私も……。

 なぜならリーダーと聞いて私の脳裏に浮かんだのは、あの少し能天気な八乙女さんの顔だったから。

 決して強いリーダーシップを発揮しそうなタイプではないけれど、あの人ならば何となくもっといい状態に持っていってくれるような、そんな気がする。


 でも、彼はもういない。


 ――三十秒ほどの沈黙のあと、再び鏡さんが口を開いた。


自薦じせん他薦たせんも対案も、いずれもないようですな。今から一人ひとりに確認していきます。私をリーダーと認めるのなら『はい』、認めないのなら『いいえ』とだけお答えください」


 そう言うと、鏡さんは一年一組の如月きさらぎさんから順番に問い始めた。

 如月さんは小さな声で「はい」と答えた。

 その後も質問は続き、学級担任の先生たちは誰もが肯定と返している。

 瓜生うりゅうさんや椎奈しいなさんですら、だ。


 私の番が来た。

 これまでさんざん口答えしてきたからだろうか、問い掛ける鏡さんの眼が何となく面白がるような光を帯びているように感じられる。

 でも……私の心はとっくに決まっている。


「はい」


 私はしっかりと鏡さんの眼を見据えて、はっきりと答えてやった。

 何となく意外そうな表情をしたが何も言わず、鏡さんの問いかけは次の上野原うえのはらさんに移っていった。


 だって、私は八乙女さんにあれこれ託されている身。

 ここを逃げ出すなんて、最初からあり得ない選択肢なのだ。

 リーダーがたとえ鏡さんでも――いや、むしろ鏡さんならなおさらのこと、私は子どもたちを守らなきゃならない。


「少しだけ聞いてもいいですか? 先生」


 ここまでずっと短い返答だけだったのが、あるところで止まった。

 神代かみしろくんだ。

 早見はやみさんにしても彼にしても、鏡さんにおくせず疑問をぶつけているのが子どもたちだけという事実……本当に一体何があったと言うのだろう。

 頼もしく思える反面、少し危うさを感じてしまうのは、私が彼らを守らなければならないと気負い過ぎているせい?


「本来ならイエスかノーだけなのだが、君は私の教え子でもある。何だね?」

「口では『はい』って言っておいて、心の中では『いいえ』というのはアリなんですか?」

「ふっ」


 薄く笑う鏡さん。


「なかなか正直な質問ではあるな。ちなみに君が言う態度のことを『面従めんじゅう腹背ふくはい』と言う。覚えておくといい」


「はい」


「まあ立場によっては『臥薪がしん嘗胆しょうたん』とも言えるのだろうがね……それで質問の答えだが、物事には『大義たいぎ』と言うものが必要なのだよ」


「大義……ですか?」


 何だか国語の授業が始まったような雰囲気になってきたような……。

 でも、私には鏡さんがこれから言及しようとしていることが相当にえげつない・・・・・ものだと何となく分かる。


「私は自分の意見や立場について十分すぎるほど説明をし、何度も意思確認の機会をもうけてきている。さらに今はこうして一人ひとりに確認して回るという念の入れようだ。つまり私は手続きを十全に踏んでいると言える」


「はい」


「君が言ったような行為はもちろん可能だ。しかし、公明正大に振舞っている私に比べて卑怯・卑劣な行いであることは明白だろう。何しろ皆の眼の前で堂々といつわりを述べているのだ。それは要するに『大義がない』ということ」


「……分かります」


「そういう卑怯な振る舞いをする者は、時に強権的である以上に印象が悪い。つまるところ自分は言動に信が置けない人間だと自白しているのに等しいわけだからな。そのような者も、それについて行こうとする者も等しく『賊軍』なのだよ。善悪に当てはめれば当然『悪』のがわとなる」


「はい」


「皆の前で嘘をくということは、それだけリスキーなのだということを覚えておきなさい」

「分かりました。じゃあ僕の答えは『はい』です」

「よろしい。その返事が心からのものであることを願おう」


 それから、最後に答えた早見はやみさんに至るまで、彼に「ノー」を突きつけた人は誰一人としていなかった。

 つまりこの瞬間、私たちのリーダーは名実ともに鏡さんに決まったということになる。


 客観的に考えて、この人にリーダーシップがないとは思えない。

 むしろこれまで同僚として接した経験から言えば、朝霧校長とは違ったタイプ――先頭に立ってぐいぐいと引っ張っていくリーダーとして十分な素養があることに疑いはないだろう。


 ……それでも、だ。


 八乙女さんの一件から、壬生みぶさんの使い方・・・から、彼を頭に据えたこの組織がどうなっていってしまうのか――どうにも暗い未来しか浮かんでこないのは、私があまりに彼を色眼鏡で見すぎだからなのだろうか。


 胸の中に湧き上がる、このどす黒い予感がどうか杞憂きゆうでありますように――そう考えていると、かつかつと、黒板にチョークがぶつかる音が聞こえてきた。

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