第三章 第02話 方舟

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 20XX年 4月13日(星暦12511年 始まりの節)


 こうして日々のことを記すようになって、もう何日経っただろう。

 私は今、ここに来て初めての大きな後悔と無力さを感じている。

 朝霧あさぎり校長が何者かの手によって、亡き者にされてしまった。

 そしてその犯人として、八乙女やおとめさんが追放されてしまったのだ。


 かがみさんたちによれば、状況証拠が全て彼を指し示していると言う。

 八乙女さんはもちろん、強く否定していた。

 でも何が真実なのか全く分からない私は、究極の選択を突きつけられて彼を追放する方に手を挙げてしまった。

 正直私は鏡さんと、壬生みぶさんが怖い。


 今日、朝霧先生を皆で送った。

 そして――――

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     ◇◇◇


「今後、我々は自身のことを『方舟はこぶね』と名乗ることとします」


 職員室の中は一瞬だけざわつき、すぐに静まった。

 でも、問い掛けるのではなく確定事項として告げる鏡さんの口調に、私はどうにも不安を抑えられない。


「まあ多少手垢てあかのついた表現であることは認めます。だが、『宇宙船 地球号』のような言い方もある。我々が元の世界――日本に戻るという目的に向かって皆で協力していくさまを一隻の船になぞらえるのは、自然かつ合理的だと考えます」


 いつからか鏡さんは、私たちのことを「我々」と言うようになった。

 使う言葉が少し変わっただけで、何かが決定的に違ってきたように思える。

 鏡さんは皆の反応をうかがうようにぐるりと私たちを見渡し、空気がそれほど否定的でないことを確かめると続けた。


「本日我々は、この『方舟』の船長だったかたを送りました。異郷いきょうの地に放り出された我々をここまで引っ張ってくださった大変立派で、かけがえのない方でした。彼を失ったのは私にとってもこの上ない悲しみであり、『方舟』にとっても莫大ばくだいな損失と言えるでしょう」


 心の奥がざわめく。


「しかし、悲しみに暮れてばかりもいられないのもまた事実。不謹慎と言われようとも生きるためのかては変わらず必要であるし、何より我々は当初からの大目標である『元の世界に戻る』ために力を尽くさねばならない。そこに異論のある方はいないと思います」


 その通りだ。

 確かに鏡さんの言う通りではある。

 でも……


「今、混乱の極みにあるのはある程度仕方のないことでしょう。しかし私がうれえているのはそこではない。それは、先日朝霧あさぎり校長を害したかどでここを追放された八乙女やおとめ涼介りょうすけのような男の存在です」

「ちょっと待ってください!」


 私は我慢出来ず、思わず叫んで立ち上がってしまった。


「彼がやったという確たる証拠はありません! 今のような物言いには到底納得がいきません!」

「そして、あなたのような存在もだよ、黒瀬くろせさん」


 そう言うと、鏡さんは私を刺しつらぬかんばかりの視線を投げかけてきた。

 私は負けまいと、正面から見返す。


「どういうことでしょうか」

「まず八乙女涼介の件については既に決着がついている。今さら蒸し返して再びこの場をさらなる混乱におとしいれ、無用な騒擾そうじょうをもたらそうとする――私から言わせれば許し難い行為だな」

「あんな恣意しい的で、かたよったさばかたでですか?」

「その言い方は、ここにいる人たちすべてに対する侮辱だよ、黒瀬さん。彼の追放は私が決めたわけではない。純粋な多数決によるものだ。そもそも私が求めていたのはうれいを根元から断つための、彼の処刑だったわけなのだからな」

「っ……」


 あの、人民裁判じみた異様にひりつく空気が私のはだよみがえる。

 八乙女さんを冷たく見据える、幾筋いくすじもの視線。

 それに必死に耐え、あらがっていた八乙女さんの眼。

 瞳からあふれそうになる涙を、私は必死にこらえる。


「そして、あなたのように我々が先に進もうとする足にかせのように絡みつく存在だ。我々の歩みを妨げようとする者には、はっきり言っておこう。ここを去っていただきたい」

「なっ……」


 私ばかりでなく、他の人たちの表情までが固まるのが感じられた。


「そう言う意味で、山吹さんや久我さんの娘が八乙女涼介の後を追ったことは、むしろありがたいことだ。無能な味方は敵よりもよほど性質たちが悪い。久我さん夫妻には申し訳ないことだがね」


 振り向かなければ確認できないけれど、今、久我さんたち二人はどんな顔していることだろう。

 彼らから娘を引き離すのに積極的に加担した身として、私はまだ罪悪感をぬぐいきれずにいる。

 壬生みぶさんがにがい表情をしているのには、正直ざまあみろという気持ちしか起きないけど。


「他の方たちにも言っておきましょうか。この混乱した状況を収拾して一刻も早く我々が元の世界に戻るために、この私が先頭に立っていくつもりです」

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 今度は、これまでずっと黙って話を聞いていたたちばな教頭があわてて声を上げた。


「鏡さん、それは今後あなたがこの集団のリーダーとして皆を導こうと、そうおっしゃるのですか?」

有体ありていに言えばそういうことですな、橘さん」

「しかしそれは、あまりにも……」

「あまりにも、何ですかな?」

「非民主的と言うか……」

「それならあなたが我々を率いて、目的に邁進まいしんしてくださると言うのですかね?」


 鏡さんの舌鋒ぜっぽうは、今度は橘教頭に狙いを変えた。

 いつもはきりりとしている教頭先生も、しどろもどろになってしまっている。


「いえ、そういうわけでは……」

「その覚悟も気概きがいもない方が、ご自分の感情だけで発言するのはやめていただきたい。今の我々が置かれている現状をどう思っているんですか? リーダーは殺され、メンバーは抜け、まさあさごとしと言っていい。そんな集団を引っ張る存在を、これから会議でも開いて呑気のんきに合議で決めようと言うのですか?」

「……」

「多少の強引さは自認していますよ。だがいま必要なのは、仲間クルーを束ねて目的地を目指す船長キャプテンだ。行先を会議で決める船など聞いたことがない。この船はまだ出航前なんかではなく、とっくに海に出て、トラブルが続出して漂流している状態なんですよ!」


 鏡先生のあまりにも鋭い言葉の数々に、教頭先生は言葉もないようだ。

 他の先生たちも同じように目を伏せ、口を閉じたまま。


「鏡先生、あなたは私たちを支配したいと思っているんですか?」


 そんな中で声を上げたのは驚いたことに、早見はやみ澪羽みはねさんだった。

 眉をぴくりと動かし、彼女を見る鏡さん。


「ほう……気弱で引っ込み思案な子だと思っていたが、この空気の中で発言しようとする胆力はなかなかどうして、大したものじゃないか」

「答えてください、鏡先生」


 皆、驚いた顔で早見さんを見つめている。

 私も同じだ。

 一体、彼女に何があったのだろうか。


「いいだろう。だが何故なぜ、そんな風に思ったのかね?」

「私には、鏡先生がまるで専制君主みたいに振舞うように見えたからです」

「なるほど。私は先導者リーダーと言っているのであって、支配者ルーラーたるつもりなど欠片かけらもないのだがね。そもそもこんな二十人弱の集団を支配したとして、何か私に得るものがあると思うのか」

「私は……それを尋ねているんです」


 気丈な態度を崩さない早見さん。

 同じ高校生の御門みかどさんが、呆気あっけにとられた顔で彼女を見ているのが対照的だ。


「まず朝霧校長のようなタイプのリーダーは、本来集団が安定している時にこそよく機能するものだ。それが転移当初からうまくいっていたのは、混乱していたとは言え『生き残る』という目的のために皆の気持ちが一本になっていたから、そして一人ひとりの意識が高くリーダー的だったからに過ぎない。ここまでは分かるかね?」

「はい」


 素直にうなずく早見さんを見て、鏡さんは続ける。

 少し面白がっているようすら見える。


「ところが今は状況が全く違う。この集団は混乱の極みにあり、誰もが何をどうしたらいいのか分からず、ただいたずらに右往左往するだけだ。そんな集団を先に進めていくためには、強いリーダーシップが必要なのだよ。バラバラになった砂鉄を強力な磁石で向きを揃えるようにな」

「……理解できました。鏡先生はあくまで目的に向かって私たちを力強く引っ張るためにリーダーを務めるつもり、ということですね」

「その通りだ、早見さん」


 鏡さんは満足そうにうなずいている。

 私にも、鏡さんの言うことは正論のように響いている。

 それでも……。


「君たちが信じようと信じまいと勝手だが、私の本心はあくまで日本に戻ることにある。これは徹頭徹尾、変わっていない。この――エレディールと言ったかな――見知らぬ土地に骨をうずめるつもりなど毛頭ないのだよ。このことは私の最も大切な、妻と娘に誓ってもいい」

「分かりました。ありがとうございました」


 そう言うと、早見さんは静かに席に腰を下ろした。

 他に意見はと言う鏡さんの問いかけに、答える人は誰もいなかった。


 そして、改めて厳しい選択が鏡さんから突き付けられることになったのだ。

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