第二章 第45話 歳末小景2 ―朝霧家と鏡家―

 大晦日のその日、銀条会静岡東部支部の境内けいだいは例年と同じようににぎわっていた。

 時刻は午後十一時を少し過ぎたところ。

 鐘堂しょうどうの前には、除夜の鐘をこうと多くの人たちが白い息を吐きながら列をなしている。


 実のところ、銀条会の教義に煩悩ぼんのう云々うんぬんと言ったものはない。

 故に除夜の鐘など本来は関係ないのだが、鐘そのものが昔は庶民のための時報という役割も担っていたため、いつしか他の寺院のように撞き始めたらしい。


ひとみー、甘酒の新しいお鍋、持って来てー」

「はーい!」

「ねえ瞳、重いからあたしも一緒に運ぶよ?」

「うん頼むね、紅緒べにお


 銀条会ではこちらも例年通り、来場した人たちに無料で甘酒などを振舞っている。

 いわゆる子ども食堂である「こども茶寮さりょう~するが~」で大人数の食事を作ることに慣れている白銀しろがね家だが、それでも忙しいことに変わりはない。

 そんなわけで大晦日の今日は、白銀瞳の友人である深谷みたに紅緒べにおも両親と一緒に手伝いに来ている。


 そしてもちろん、銀条会の行事ならヘルプに駆け付けたのは深谷家だけではない。


朝霧あさぎりー、甘酒ちょーだい」

「違う。朝霧が甘酒渡すのはあたし」

「ちょっ、おいおい雛菊ひなぎくちゃん、足につかまると危ないって」

「相変わらず子どもたちに人気ですよね、あきらさん」


 普段からボランティアで参加している朝霧暁とかがみ志桜里しおりも、子どもたちに囲まれながら奮闘していた。

 いつもならとうに眠りについている時刻のはずだが、さすがに特別な日ということもあってまき六花りっか宮脇みやわき寧緒ねおら小学生たちの姿もちらほら。

 中には、伊勢いせ雛菊ひなぎくのような幼稚園児までぽつぽついるようだ。


 さらには――


「おにい、子どもとじゃれてないでちゃんと仕事してよね!」

「してるじゃんか」

「どーだか。ちらちら志桜里さん見て鼻の下伸ばしてるの、知ってるんだから」

「はあ? 伸ばしてないし」

「あ、あの、くるみちゃん?」


 暁の妹である朝霧くるみと、そんな息子や娘たちを見守りながら、少し離れたところで来賓らいひんをもてなしている朝霧静子しずこと鏡千歳ちとせの姿もあった。


「鏡さん、こんな風に年の瀬を過ごせるようになるなんて、あの頃の私には想像もつきませんでした」

「本当ですね。こんなに賑やかで、楽しい年越しになるなんて……」

「正直今でも、主人のことを考えると胸が痛みます。……でもあの当時のように、悲しすぎて何も考えられず、寝たきりのようになってしまっていた頃に比べて――」

「朝霧さん、ずいぶん顔色がよくなられたと思いますよ。主人のことは……私もまだまだ吹っ切れていません。そもそも吹っ切れることなんてないのかも、なんて思ったりします」

「それでも鏡さんはすごいですよ。家のことも娘さんのこともちゃんと支えていて……私なんて、姉や息子や娘に頼りっきりでしたから」


 このように、暁と志桜里の交際を切っ掛けにしていつしかその親同士も意気投合していたのだ。

 お互い同じ境遇にあるという大きな共通点が、両家を丸ごと近づけていた。

 初めは志桜里のことを何となく避けていたようなくるみも、今では実の姉のように慕っている。


 そして、その来賓席には町内の役員やお年寄りたちに混じって、(株)銀河不動産N津支所所長の九曜くよう崇史たかふみも招かれていた。

 いつものように飄々ひょうひょうとした態度ながらも、周りのおじいさんおばあさんたちと和やかに歓談している様子。


 そして年明けまであと三十分と言う頃になって、鐘堂しょうどうの鐘のが重々しく響き始めた。


「ねーねー朝霧ー、鐘つきしに行こうよー」

「ええ? いや僕はまだ仕事が……」

「おにい、こっちはボクたちがやっておくからさ、その子たちと鐘ついたら志桜里さんと二年参りでもしてきたら?」

「マジか、いいのか?」

「ほら行く、朝霧」

「志桜里さんも行ってきてよ。ボクたちだけでもここは十分回せるからさ」

「ありがとう、くるみちゃん」


 ボランティアの吉岡よしおか沢渡さわたりたちも笑顔で手を振りながら、さっさと行ってこいとうながしてくれている。

 暁と志桜里は彼らの言葉に甘えて、まずは子どもたちを引き連れて除夜の鐘の列に並び、順番が来るとそれぞれひとつずつ鐘をいた。

 ちなみに銀条会では撞く人それぞれが煩悩を消すという建前を取っているため、いわゆる百八回という数にこだわっていない。

 故に大抵の場合、午前零時を過ぎても鐘の音が続くことが多いのだ。


 まとわりついていた子どもたちが親に連れられて行った後、暁と志桜里は参拝用の拝殿はいでんの前に立っていた。

 二人は鈴を鳴らすと百円玉を取り出し、賽銭箱に投げ入れた。

 二拝二拍手一拝した後、暁がお決まりの台詞を志桜里に投げ掛ける。


「志桜里さん、何をお願いしたの?」

「そう言う暁さんは?」

「僕は――――家族の無病息災と……アレさ」

「アレって?」

「そりゃその……ねえずるいよ志桜里さん」

「何が?」

「だって自分は答えないで、僕にばっかり答えさせようとするじゃん」

「ふふ」


 志桜里は一拝した後の手を合わせた状態のまま、暁を見て微笑んだ。

 実はこの人がここのご本尊様じゃないか――と、暁が思わず考えてしまうような美しいアルカイックスマイルだった。


「私も家族の安全と――暁さんとこれからも仲良くしていけますようにって」

「またずるい」

「何が?」

「僕が本当は先に言いたかったのに……」

「ふふふ」


 そんなやり取りを――もちろん音声は届いていないが――遠くから何とはなしに見つめていた来賓席の九曜くよう崇史たかふみのスマホが、コートのポケットの中で震えた。

 彼は端末を取り出すと、軽く周囲に頭を下げながらその場を離れ、人混みから離れた暗がりに移動した。


「はい、九曜です」

「――――」

「ははあ、なるほど……」

「――――」

「……そうですか、九条が――」

「――――」

「分かりました、連絡ありがとう。それと僕はもう九条じゃありません。九曜ですからね」

「――――」

「はいはい、それじゃよいお年を」


 通話を切ると、崇史たかふみは虚空を見上げて独りごちた。


「なかなかに、厄介なことだな」


 朧月おぼろづきは、何も答えない。

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