第二章 第44話 歳末小景1 ―天方家―

「お母さーん、早く早くー!」

「ちょっと理世りせ、そんなに急いでも電車はまだ……」


 天方あまかた母子おやこの姿は今、N津駅のホームにあった。

 これから隣のM島駅まで普通列車で移動し、そこから東海道新幹線に乗って東京駅へと向かうのだ。


 今日は年の瀬も間近に迫った十二月二十八日。

 そして、天方家が待ちに待った日でもある。


「あれ、どっちかな」


 上り線のホームには、両方に列車が止まっている。

 どちらもオレンジと緑に塗り分けられた、湘南電車とも呼ばれる車両だ。


「ねえねえお母さん、これどっちに乗るの?」

「はあ、はあ……えーと、こっちね」


 母親の返事を聞くや否や、車内に飛び込む理世。

 そんな娘のあとを、さくらは小ぶりなスーツケースを転がしながら追う。


 ――お財布もなーんにも要りません。ぜひ手ぶらで来てくださいね。


 さくらの耳に、スマホ越しの銀月ぎんげつ真夜まよの声がよみがえる。


 そう。

 あの約束――銀条ぎんじょう会の巫女みこ様こと琉智名るちなと天方家が交わした「京都にあるわたくしたちの家にご招待いたしましょう」という約束が果たされる日が来たのである。

 それはつまり、あの懐かしいベーヴェルス母子おやこ――アルカサンドラとエルヴァリウスに再会できるということ。


 年末の京都行きが決まった時、学校から帰ってすぐにそのしらせを聞いた理世は文字通り狂喜乱舞のありさまだった。

 もちろん、さくらもりくも嬉しい気持ちでいっぱいだった。


「あたし、立ってる!」


 しばらくして列車が動き始めると理世はそう宣言して、背中にしょったリュックサックのショルダーハーネスを両の手でぐっと握りしめ、足を踏ん張った。

 目をキラキラさせながらゆっくりと流れる車窓を眺めている。


(やっとここまでこぎつけられたわね……)


 電車に乗ってひと息ついたさくらは、京都訪問が決まってから今日までのことを思い出していた。

 全てが順調に進んでいた中、陸の仕事の方で問題が起こってしまったのだ。

 十一月から東京の会社に出向することになった陸だが、そちらで携わるプロジェクトが相当に忙しいらしく、クリスマスまで返上することになってしまった。

 それでも、京都行きのために取得した年末年始休暇は死守せんと彼は頑張り、何とか本日、ぎりぎり午前中で仕事納めすることが出来たのだった。


 このあと、さくらと理世は東京駅で待つ陸と合流し、そのまま東京発ののぞみで京都に向かう予定である。


    ◇


「ええっ!?」


 さくらと理世はそろって大声を上げることになった。

 待ち合わせ場所である、東京駅の新幹線のりかえ口で二人を待っていたのは、にっこにこ顔で手を振る陸と――――ベージュのロングコートに身を包んだ銀月真夜の姿だった。


「久しぶり~、理世ちゃん」

「なんでー!? なんで真夜……お姉ちゃんがいんの!?」

「へへ~、驚いたあ?」

「ま、ちょっとしたサプライズだよ。銀月さんと事前にちょこっと打ち合わせしといたのさ」


 得意顔の陸。

 じろりとにらむさくら。


「それはそれは。さぞお忙しかったでしょーねー」

「さくらさん、うちから話を持ちかけたんですよ~。旦那さんは悪くないですから」


 真夜が苦笑いしながら仲裁する。

 そんな彼女に理世がぎゅっと抱き着いた。


「びっくりしたけど嬉しい!」

「相変わらず可愛いね~、理世ちゃんは」

「さあ、新幹線の時刻まで少しあるから、駅弁買っていこう、駅弁」

「駅弁、いいわね!」

「東京駅はとても広いから少し歩くけど、グランスタっていうところなら駅弁が選び放題なんだよ。さあ行こう!」


    ◇


「うわー……ねえねえ、床が絨毯じゅうたんだよ?」

「私、新幹線のグリーン車なんて初めて乗るわ……」

「僕もだよ。しかもこれ、のぞみのグリーン車だからね」

「皆さん、先に席に移動しましょうよ」


 周囲をきょろきょろしてなかなか進まない天方家の三人に、銀月真夜が笑って声を掛ける。

 指定された席を見つけてからも、


「ねえねえ真夜お姉ちゃん、このレンズみたいなの、何?」

「あ~それは、読書灯かな。ここのスイッチをポチっと」

「わっ、ホントだ。ビームみたい!」

「ねえあなた、このスイッチを押すと……ほら」

「おお、下からあったかくなるね」

「それはシートヒーターですよ。今日みたいに寒い日は助かりますよね」

「何これ……あ、いた」

「理世ちゃん、それはインアームテーブルって言って……ほら、こうすると」

「ちっちゃいテーブルになった!」

「あとでそれも使って駅弁食べようね~」


 と言った感じで、真夜がとうとうあれこれ仕切り出すほど三人とも大興奮。

 途中でおしぼりを配りに来た車掌も苦笑いであった。


    ◇

 

「天方さん、さっき名古屋を出発しましたからもうちょっとで京都に到着ですよ。あと少ししたら降りる準備してくださいね~」


 駅弁をすっかり平らげ、まったりとくつろいでいる三人に真夜が声を掛けた。

 

「え、もうかい?」

「名古屋―京都間は三十分くらいですからね。あっという間ですよ」

「すごいわねー、東京から二時間ちょっとで着いちゃうなんて」

「……」


 陸とさくらが答える中、理世だけは返事をせずにじっと車窓の先を見ている。


「どうしたの、理世ちゃん」

「……んーん、何でもない」

「何か困ったことがあるなら、遠慮なく言って? うち、お姉ちゃんなんだから」


 真夜の言葉に振り向いた理世の頬には、涙がつたっていた。


「ど、どないしたん?」


 驚きのあまり、思わず京ことばに戻ってどもる真夜。

 理世はごしごしと目元をこすると、にっこり笑って言った。


「ちょっとね……お兄ちゃんとも一緒に来たかったなって思っただけなの」

「理世ちゃん……」


 陸とさくらも思わず言葉を失う。

 痛々しい笑顔をの当たりにして、真夜は思わず天方聖斗せいとが生存している可能性を彼女に伝えてしまいたくなった。


あかんあかんだめだめ


 辛うじて、真夜は自制する。

 万が一、結果としてぬか喜びになってしまっては申し訳が立たない。


(辛抱せなしなきゃ――確かめるまでは・・・・・・・


 トンネルを抜けると、車内チャイムと共に間もなく京都に到着すると言うアナウンスが流れてきた。

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