第二章 第43話 罪悪感

「おう、ずいぶん熱心に読み込んでるじゃねえか」

「……はっ」


 叔父である小田巻おだまき八雲やくもに話しかけられて、じんはようやく顔を上げた。

 手に持っている調査報告書は、まだ最初のページのままである。


「オレが目の前に座ったのにも気づかねえくれえ、集中してたな」

「いや……ちょっと思い出してたんだ」

「何を?」

「この、叔父さんに調べてもらった白鳥しらとり摩子まこって子と出会った時のことだよ」

「ああ」


 八雲は、ふところからおしゃぶりこんぶの箱を取り出すと、一枚つまみ出した。

 口のはしにくわえてしがみ・・・だす。


「叔父さん、タバコやめたんだな」

「ん? ああ、沙夕さゆくんがうるさくてよ」

「聞こえてますよ、ボス」


 衝立ついたての向こうから、風祭かざまつり沙夕の声が飛んできた。

 彼女はこの興信所――オダマキ探偵社の調査員見習い兼事務員である。

 現状ではもう一人、調査員の高丸たかまる寛人ひろとを加えた三人で、こじんまりとしながらもこの事務所を回している形だ。

 高丸は先ほど昼休みに入り、ランチを食べに出て行った。

 八雲と迅は、互いに顔を見合わせて肩をすくめながら苦笑する。


「ま、それはそれとして、だ」


 八雲がソファに座り直して言う。


「そのお嬢ちゃんの行動パターンを調べて、どうしようってんだ?」

「んー、ちとアプローチをかけようかと思ってる」

「アプローチぃ?」

「ああ」


 迅は真面目な顔で答えた。


「一応、俺たち三人の間ではさ、調査は一旦いったん終了ってことになったんだけど、俺はまだ続けようかと思ってるんだ」

「何のためにだ? 聞いた限りじゃ、知りたいこと――その、上野原うえのはらって子のことについては、一定の答えが出たって話だったじゃねえかよ」

「まあそれはそうだな。これ以上の深入りはやめとけって釘も刺されたしさ」

「さっきも言ったが、オレの方でもあんまりおすすめ出来ねえぞ? 白鳥あのいえに深く関わるってのは」

「やっぱそうかなあ」


 迅は、いつの間にか目の前に出されていたお茶を一口飲むと、ぼそりとつぶやいた。


「悪いこたぁ言わねえ。面白半分に首を突っ込むと火傷やけどなんかじゃ済まねえぞ」

「うーん……」

「何だ? おめえにしちゃやけに歯切れがわりいが……別の理由わけでもあんのか?」


 今回迅が八雲に依頼した調査――白鳥摩子の一週間の行動パターンを知りたい――は、親戚価格とは言え正式な仕事として迅自身が自腹を切り、きちんと依頼料を支払ってのものだ。

 可愛がっているおいの頼みということもあって、三週間ほどかけてきちんと調査をした上で報告書を作ったわけだが、迅の様子を見て八雲は少しだけ後悔していた。


「自分でもよく分かんねえんだけどさ、知りたいんだよ……あの子のことを」

「ふーん?」


 嫌な予感が少しずつ形を作り始める。

 八雲は敢えて突っ込んでみることにした。


「おめえまさか……惚れたとか?」

「っ……」


 迅の呼吸が一瞬詰まる。

 八雲は天を仰いだ。


「やれやれ、図星かよ」

「いや、マジで自分でもよく分かんねえんだって。大体、俺ぁそもそも上野原さんのことが――」

「ま、そういうこともあるんだろうけどな……男も女もよぅ」

「つーかさ、俺たちの話、向こうにいる沙夕さゆさんに丸聞こえなんだろ? ちっと恥ずかしいんだけど」

「バカおめ、そもそもクライアントとの打ち合わせは全部録画録音してるっての。使うこたぁ滅多にないがな」

「マジか」

「そんなこたぁとりあえずどうでもいい。話を戻すがおめえ、その調査報告書を手にしてこれからどうするつもりなんだ?」


 八雲は、迅が手にしている紙束を指さして尋ねた。

 迅は一瞬報告書に目を落とすと、目の前のテーブルの上に置いた。


「ちょっとゆっくり考えてみることにするよ」

「ストーカーじみたことに使うんじゃねえぞ?」

「分かってるよ。大体、あの子には護衛の人がいつも付き従ってるみたいだしさ、変なことすればソッコーで取り押さえられちまうと思う」

「だろうな」

「さっき言ったみたいにアプローチをかけるにしても、こそこそしねえで堂々と正面から行ってみるよ。別にわりいことしようってわけじゃねえし、仲間にはO市こっちに来るの、卒論がらみだって言ってあるしさ」

「ホントは卒論なんて、関係ねえんだろ?」

「……まあ、ね」


 少しだけうつむき加減で、迅は答えた。

 本来ほんらい迅がどこに行こうと、花恋かれん慶太郎けいたろうの許可など必要ないのだが、二人をごまかして行動していることに若干の罪悪感をぬぐいきれないでいるのだった。


    ◇


 それから小一時間ほど雑談めいた話をしたあと、迅は事務所を出て行った。

 途中から暇を持て余していた風祭沙夕も加わり、男女の付き合い方やそれにまつわる自分たちの現状について話に花を咲かせた。


「迅さん、大丈夫ですかね……」

「そうだなあ」


 かちゃかちゃとマグや湯呑みを片付けながらつぶやく沙夕に、ソファに仰向けに座ったまま八雲は答えた。


「あいつもバカじゃねえが、色恋沙汰となると……どうなんだろな」

「さすがボス、経験豊富なご様子で」

「そりゃあ一応、これでも沙夕くんの倍は生きてんだからよ」


 そう言うと、八雲は投げ出した両脚りょうあしを上に上げ、思い切り下げる勢いでソファから立ち上がった。

 そのまま奥の仮眠室へ向かう。


「いざとなったらちっとは面倒みてやるつもりだが……そうならないことを祈るぜ」


 ひらひらと手を振って歩き去る八雲を、沙夕は黙って見送った。

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