第二章 第42話 あの方

 そして小田巻おだまきじんは、白鳥しらとり家の応接室のソファにひとり腰を沈めていた。


 一体どのくらいの広さなんだろう――実際は三十二畳ほどだが――迅は首をぐるぐると回して部屋の中をながめながら思った。

 天井高てんじょうだかが彼の下宿先の倍近くもあるので、実際の畳数たたみかずよりも大分だいぶ広く感じる。

 背の高い迅をしても窮屈きゅうくつさを全く感じさせない、吹き抜けのような開放感があった。


 応接室とは言っても、ここは母屋おもやから独立した離れのようである。

 母屋の方ではなくここに案内されたのが、単にこういう応接室しかないからか、何かしらの警戒感の表れであるのか迅には分からない。


(警戒するのも無理はねえけど……だったら最初から招かれたりしねえよな)


 ここで少しお待ちになっていて――と言われて、そろそろ十分じっぷんほど経つ。

 たっぷりとしたドレープカーテンがかかる窓の向こう側には、木々のこずえが風に揺れる以外にまだ何の動きも見られない……と思っていると――


 カチャリ。


 玄関に続くドアとは別のとびらが静かにひらいた。

 そこにはティーカートを自ら押してくる白鳥摩子まこの姿があった。


「あれ……そっち?」


 迅の言いたいことをすぐに察知した摩子は、笑顔で答える。


「こちらはキッチンですわ。わたくしは裏口から入ってきましたの」


 そう言うと、彼女はカートの上のティーセットをてきぱきと準備し始めた。

 茶葉を透明なティーポットに入れ、熱湯を勢いよく注いでふたをする。


「でも、本当にお昼ご飯はよろしかったのですか? 今からでも準備させられますけれど……」

「いやホント、それはいいって。予定もあるしさ」

「そうですか。ではせめて紅茶を――――お聞きしませんでしたけれど、お飲み物は紅茶でよかったのかしら」

「あ、ああ、もちろん」


 迅は摩子の流れるような所作しょさに目を奪われていた。

 彼女の第一印象的に、飲み物の準備など使用人にでもやらせるものと勝手に思っていたが、摩子の手際てぎわは素人目にも十分に洗練されている。

 豪華な室内とあいまって、目の前で紅茶を淹れる摩子の姿がまるで一幅いっぷくの絵画を見ているように迅には思われた。


 何となくほうけた感じの迅を見て、摩子が首をかしげる。


「どうかなさいました?」

「……ああ、いや」


 迅は正直に言った。


「何て言うかさ、見とれてた。紅茶をれるのとか、えーと……家政婦さんとかがするのかなあなんて思ってたからさ」

「うちにも使用人はおりますけれど、紅茶くらい自分で準備できますわ」


 摩子はそう言うと、ティーポットの中をスプーンでひと混ぜしてから茶しを片手に、ティー・コージーに包まれたサーブ用の陶磁器製ポットに紅茶を移し始めた。

 紅茶の華やかな香りが立ち昇り、迅の鼻腔びくうにまで届く。


「何か、すごく美味うまそう……」

「そうですか?」

「いやだって俺さ、紅茶なんか多分ティーバッグのやつしか飲んだことないからさ」

「ティーバッグにはティーバッグのよさがありますわ」


 摩子は微笑みながら、植物の枝にとまる小鳥の絵柄が入ったティーカップへと紅茶を注ぐ。


「さあ、召し上がってくださいな」


    ◇


「――そういうことでしたか」


 迅の話をひと通り聞いて、摩子は小さくうなずいた。


「そう言えばあの三家さんけ会議の日、怪しい車が黒瀬家の門外にとまっていたと聞きましたが……あれはあなたがただったというわけですね」

「うえ、バレてたのかよ」

「まああなた方が並々ならぬ努力の末、わたくしたちに辿り着いたということは分かりましたわ。お気持ちも理解できます。大切なお友達のためですものね」


 ――大切な友達。


 摩子が何気なく発した言葉に、迅の心の奥底で何かがざわめいた。

 確かに上野原うえのはられいは、自分にとって大切な友達に違いない。

 それ以上の感情をいだいてもいる。

 だからこそ、彼女の安否を知るためにこうして動いているのだ。

 しかし……何かが揺らぐのを迅は無意識のうちに感じていた。

 この時点ではまだ、それが何なのか彼自身理解していない。


「それでも……申し訳ありませんけれど、わたくしの立場から何かを明言してさしあげることは出来ませんわ。強いて言うなら、その檜山ひやま讃羅良さららさんに直接お尋ねになるのが一番ではないかと」

「そっかあ、やっぱりそうだよなあ。俺たちもそうするのが手っ取り早いってのはわかってるんだけどさ」

「何かそうされない理由でも?」

「まあいきなり聞いてもすっとぼけられるだろうからまず証拠をちゃんと集めて、最終的には突きつけながら本人にとつするしかないって感じかな」

「なるほど。ちなみに証拠と言うのは何の証拠なのですか?」

「えっ……」


 何の証拠?


「えーと――何だっけ」


 苦笑しつつ、摩子は続ける。


「結局、あなた方は何を知りたくて探偵のようなことをされているのでしょうね」

「うーん、それは――やっぱり、上野原さんの消息だよな」

「それを知るために、三家について掘り下げていくというのは少し迂遠うえんに過ぎるようにわたくしには思えますわね」

「そうなのかな」

「もうひとつ付け加えるのなら、わたくしたち三家に関してあれこれぎまわること自体、おすすめ出来ることではありませんわ」

「げっ、そうなの?」


 表情を引きつらせる迅を見て、摩子は優雅にティーカップを口元に運ぶ。


おどすわけではありませんけれど、ご覧の通りわたくしたちはとても古い家です。そうしたところと言うのは、何かしらの秘密を抱えているものでもありますわ」

「……」

「調べる過程で、うっかりアンタッチャブルな部分に触れないとも限らない――その時どんなことが待ち受けているのかを、わたくしの口から申し上げることは出来ませんが」

「それって、やっぱり脅しじゃね?」

「あなたがいろいろ率直に話されているから、わたくしもこうしてフランクにおはなししていますの。これは白鳥家当主としての忠告ですわ」

「ええっ!?」


 迅は驚きのあまり、思わず手に持っていたカップを取り落としそうになった。


「あんた、ここの当主だったのか?」

「既に数年前に継承しています」

「マジかよ……」

「さて、ほかに何かお聞きになりたいこと、ありますか?」


 いま驚愕きょうがくめやらぬといった感じの迅だが、少し考えてから答えを出した。


「いや、今日のところはこの辺で引き下がるとするよ」

「そうですか。大してお役に立てず申し訳ありません」

「そんなことないさ。俺の方こそ、こんな丁寧に対応してもらって助かった。正直どこから手をつけたもんか考えてたところだったからさ。ありがとう」


 そう言って立ち上がる迅に合わせて、摩子も腰を上げた。


「どういたしまして。それでは門までご案内しましょう」

「頼んます」


    ◇


 そうして、小田巻迅は白鳥家の門を出て行った。

 彼の姿を少しの間見送っていた摩子が門内に戻ると、一人の少女が立っていた。


こずえ、どうしたの?」

「あの、お姉さま」


 摩子に梢と呼ばれた少女は、おずおずとに尋ねた。


「今のかたは?」

「見てたの? あなた」

「はい。先ほど琴葉ことは季白すえしろ琴葉:摩子たちの護衛)が、お姉さまが何やら珍しいお客様をお招きになっていると」

「そう」

「それで、今の方はどなたなのですか?」

「あの人は――ちょっと困っていたわたくしを助けてくれたの。何か聞きたいことがあるっておっしゃったから、お礼がてらお招きして対応していただけよ」

「そうなのですか。それで、あの――あの方のお名前は?」

「名前? ――えーっと、確か『小田巻おだまきじん』と名乗っていらっしゃったわ」

「小田巻、迅――さま」


 両手を胸の前で組みながら、先ほど門を出て行った男の名をつぶやく妹を見て、摩子は何かをいぶかしむように目をほそめた。

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