第二章 第32話 彼我

「そこに気付かれますか……」


 白鳥しらとりうららは、軽いため息と共につぶやくがごとく言った。

 少司しょうじたかし九条くじょう豹牙ひょうがも、目をみはっている。


「一つ言えるのは、一子いっし相伝という継承形態は秘密保持には最適ですが、大きなリスクも抱えているということですわ」

「それは理解できます。断絶する危険性が高いということですね?」

「ええ。病気や不慮の事故、いろいろ考えられますが、出来る限りそうした事態を招かないためのリスクマネジメントをおこなっているがゆえ、とご理解くださいな」

「分かりました」


 宗久は、あっさりと引き下がった。

 空気を読んだとも言えるが、彼なりに事実を推測することが出来たからだ。


 ――恐らくうららは、娘にがせるべき祇乎ぎおとやらを全て継承させていない。


 そこには危機管理以外にも何らかの意図が隠されているように思えるが、これ以上の詮索は多分悪手あくしゅだろう。

 彼はとりあえず、まだきちんと説明を聞いていない事柄について、先をうながすことにした。


「では、もう一つの疑問に答えていただきましょう。魔法――ぎいむと仰いましたか、そもそも一体どういうものなのでしょうか」

「そうですねえ……」


 うららは小さなあごに人差し指をあて、少し考えるような素振りを見せた。


「あまり専門的な説明は無粋なように思えますし、意味もないように思えますし――要するに『祇乎ぎお』というものを操り、他に働きかけて現象を起こすものと言えましょうか」

「ぎお……それは見ることが出来るのですか?」

「いえ、不可視ですわね。見えないどころか、恐らくこの世のありとあらゆるものは、祇乎ぎおに干渉することは出来ないのです」

「それならどうやって?」

「これです」


 そう言って、うららは再び自らの胸元に手を当てた。


「ここには『胸腺きょうせん』という臓器があります。わたくしはもちろん、犬養さんにも、少司さんにも、豹牙さんにも」

「胸腺……」


 宗久も思わず自分の胸に手を当てる。


「一般的には免疫めんえきに関係する器官だそうですが、祇彗无ぎいむに関して言えば、この胸腺だけが祇乎ぎおに干渉し得る物質なのです。いえ――物質と言うよりは、別の生命体のようにすら感じています」

「……は?」

「例えば、先ほどわたくしは少司さんのタバコに火をけました。それはわたくしがタバコの先端が発火するイメージを思い浮かべ、それが実現するよう胸腺に『お願い』することで起きた現象なのですわ」

「……」

「もちろん、胸腺はあくまでわたくしの臓器。実際のところは別の生命体などではありませんけれども、わたくしはそんな風に考えながら祇彗无ぎいむを行使しているのです」


 胸腺に「お願い」?

 比喩にしてもどんなものか、と宗久は思った。

 しかしこれより少し未来、エレディールの地で神代かみしろ朝陽あさひ天方あまかた聖斗せいとに、まさに同じような説明をすることを彼が知ったら、どんな感慨をいだいたことだろう。


「もう少し詳しく説明するのなら――胸腺は、祇乎ぎおに対して認識力と支配力を行使するのですわ」

「認識力と支配力、ですか」

「ええ」


 そう言うと、うららは自分の目の前で、ごく小さな円をくるりと指先でえがいた。


「犬養さん、このくらいの大きさの空間に、気体の分子がいくつあるかお分かりになります?」

「……は?」

いち立方りっぽうセンチメートルほどのごく小さな空間に、大体三千けい個ほどあるんです」

「はあ……」

「そして、祇乎ぎおも同等以上の数だけあると言われていますのよ」


 突然化学の授業のような話が始まり多少面食らった宗久だが、どうやらきちんと関係のある話と分かってひそかに胸をなでおろす。


「ただし同じ空間を対象にしても、能力が高い胸腺には例えば一億の祇乎ぎおを認識できても、能力が低ければ十数個しか把握できないということですわね。わたくしたちは、これを「祇乎ぎおの解像度」と呼んでいますの。現象としての祇彗无ぎいむは、つまるところ胸腺の能力によるわけですわ」


 分子量が出てきたり、モニター画面の話のような言葉が出てきたりと、今ひとつ、うららが説明する内容をつかみきれずにいる宗久。

 しかし、麗と同じ人間であるはずの彼には、もっと気になることがあった。


「なるほど、胸腺が『ぎいむ』を操るのに必要だと言うことは分かりました。念のためにお聞きしますが、それは――私にも胸腺があるわけで、つまり私も『ぎいむ』を行使することが出来るということでしょうか?」

「残念ながら、ノーと言わざるを得ませんわね」

「しかし先ほど九条さんは、誰もが・・・・魔法を使える世、と仰っていましたが」

「そこは豹牙ひょうがさんの言葉が足りないところですわ。わたくしから『いずれは』と付け足しておきましょう」

「ははは、すみません」


 豹牙がポリポリと頭をく。


「申し上げましたように、祇彗无ぎいむの発動には胸腺が祇乎ぎおを認識する必要があります。しかしここには、その肝心の祇乎ぎおがありませんの。あるのはここ」


 そう言って、うららは自分の胸元を手で指し示す。


「わたくしの胸の中、胸腺の中だけですわ。それが理由の一つ目」

「なるほど」

「二つ目。わたくしたち三家にはいくつか分家があります。そのひとつの青蓮坂しょうれんざかでは、長らく祇彗无ぎいむに関する研究を専門的におこなっています。彼らによれば、わたくしたちと血のつながりのない人間が祇彗无ぎいむを行使できた例は、これまでただの一つもないそうですわ」

「それは残念ですね」

「逆に、三家直系ではなくとも『枝』同士が婚姻することで素質のある子が生まれる可能性が高いことはある程度証明されていますの。それでも」


 首を小さく横に振るうらら


「それはあくまで素質の話に過ぎません。祇乎ぎおがない環境では発動させること自体が出来ないのですから。仮に常冬とこふゆの土地に桜が芽吹めぶいたとしても、恐らく開花することなく一生を終えてしまうでしょう。それと同じことですわ」

「と言うことは」


 宗久は軽く腕を組んで言った。


「その異世界には、ぎお・・があるということでしょうか」

うららさんのご先祖様の話をかんがみるに、そう考えるのが自然だと思いますよ。だからこそ、『合一ごういつ』が成れば『いずれは誰もが』魔法を使える世の中が来るというわけですよ」


 豹牙が嬉しそうな顔で言葉をはさむ。

 しかし宗久は腕を組んだまま、難しい顔で答えた。


「しかしそれは、『ただちに』ではありませんね。白鳥さんが仰るように『枝』とやらの方たちにとっては環境が整うと言えるでしょうが、それ以外の――私のような素質のない人間にとっては、必ずしも喜べる世界とは言えないように思えますよ。いやむしろ――」

「気が付いたかね、犬養いぬかい君」


 宗久の言葉に、今度は少司しょうじが反応した。


「とんでもない世の中になるのだよ。この魔法ぎいむと言うものは限りないポテンシャルを秘めている。そして、それを使える者と使えない者に分かれる――どうなると思うかね?」

「新たな格差社会――いや、分断社会の到来でしょうか。考えるのも恐ろしい気がしますね」

「そうだろう。それにこのことを諸外国が知れば、彼らはどうすると思うかね。三家の成り立ちからして、魔法を使えるのは今のところ日本人だけらしい。その状況で、彼らが過激な手段に出ないとどうして言える? 外事がいじ課の課長である君なら痛いほど分かるだろう」

「それは確かに……」

「だと言うのに、今の与党の政治家たちはこの事実に対してまさしく一顧いっこだにしない状況なのだ。さながら五百年前の巫女の託宣の場面の再現と言っていい。まあ無理からぬことではあるが」

「え? と言うことは」

「そうだよ。十年前に再び巫女は託宣に現れたと言ったろう? 銀条会のお膳立てによって、当時のおもだった政治家が集められたのだ。しかし、九条さんのお父君ちちぎみ以外はまるで信じようとしなかった」

「九条さんの……お父君とは」

「九条兼忠かねただ。現在七期目の衆議院議員で、当時の詠従えいじゅう研究所所長だった方だ」


 その議員の名を、宗久は聞いたことがあった。

 前所長ということか。

 それは当然、信じたことだろう。

 何しろ、彼らの研究内容がある意味裏付けられたようなものなのだから。


「そして、白家はっけ以外の黒家こっけ赤家しゃっけは合一が成ったその時、ご先祖の望み通り、全てをなげうって『故郷ふるさと』へ帰るつもりでいるのです」

「……それが何かまずいのでしょうか?」


 うららが顔をしかめてこぼした言葉に、宗久は率直に聞き返した。

 瞬間的にではあるが、彼には黒家と赤家のしようとすることがごく真っ当なものだと思えたのだ。


「当たり前ですわ。これまで三家がどれほどのものを積み上げてきたとお思いですの? 三家の事情に直接関わりはなくても、今では多くの従業員を傘下さんかの企業で雇用しております。彼らの生活に対する責任という意味でも、他の二家がとる選択肢は到底うべないかねるものですわ」

「なるほど……言われてみればそうかも知れないですね」


 そして、重々しい表情で少司が口をひらいた。


合一ごういつを間近に控えて、打たねばならぬ手は数多くある。犬養君、その時・・・が来たとして、君はどちら側に立っていたい?」

「どちら側、とは?」

「もちろん」


 少司は大きくうなずいて言った。


「こちら側か――それ以外、だ」

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