第二章 第26話 浮遊

 その二人の男女は、軽く目礼もくれいをしながら静かに部屋へと入ってきた。

 自分と面識のある二人ではない……と犬養いぬかい宗久むねひさは思った。

 仕事がら、一度意識して見た人の顔を、彼は忘れない。


「お二人とも、どうぞお座りください」


 少司しょうじたかし柔和にゅうわに迎えると、男性は少司の右隣へ、そして女性の方は左隣に座った。


「犬養君、紹介しよう。まずこちらの男性が九条くじょう豹牙ひょうがさんだ。詠従えいじゅう研究所というところの所長をされている」

「九条です。お初にお目にかかります、犬養さん」

「犬養宗久です」


 ――若いな。


 はす向かいでにこりと笑う男に、宗久はシンプルに応じた。

 自分と同年代か少し上と言ったところか。

 えいじゅう研究所――聞いたことのない施設名だが……。


 いつもの癖で早速プロファイリングを始める宗久。

 そんな彼の様子に気付きながらも、少司は構わず進める。


「そしてこちらの女性が、白鳥しらとりうららさん。株式会社ドメン・ブランの会長をされている方だ」

「白鳥麗と申します。お話は少司さんよりうかがっておりますわ」

「犬養宗久です」


 ドメン・ブラン――こちらも知らん会社だ……。

 うっそりとこたえながら、宗久は思った。

 年のころは――


「おいおい犬養君。女性をそんな目で見るもんじゃあない」


 宗久のあまりに不躾ぶしつけな視線に、少司は苦笑しながらたしなめる。

 しかし麗はさして気にした風でもなく、艶然えんぜん微笑ほほえんだ。


「構いませんわ。敏腕びんわん警視さんでいらっしゃるのでしょう? お仕事に熱心なかたですのね」

「あ、いや、これは大変失礼いたしました」


 ふと気が付いたように、宗久は頭を下げた。

 いかんな……どうやら自分は少しナーバスになっているらしい。

 胸中きょうちゅう自嘲じちょうしながらも、少司に注意されることで彼は少し落ち着きを取り戻した。


    ◇


「ま、魔法まほう……ですか?」


 多少なりとも持ち直した宗久むねひさの精神だったが、少司しょうじたかし一言ひとことに再び大きく揺さぶられることになった。


「そうだ。まあ他に言いようがないからそう表現するしかないのだが――超能力、異能、神通力じんつうりき、妖術……何でもいい。そう言った超常的な力だな」


 現実主義者リアリストたれ――少司が宗久の上司だった頃、耳にタコが出来る程聞かされていた言葉だ。

 言葉の持つ意味はいくつかあるが、彼の言うリアリストとは決して感情に左右されず、冷静な対処や応対・評価が出来る人間のことだった。

 想像力や推理力が重要であっても、それにもたれかかるような夢想家ロマンチストになってはいけない。

 砂のブロックではなく事実を積み上げろ――それが少司かれ口癖くちぐせだったはずだ。


――その男の口から、よりにもよって・・・・・・・「魔法」だと!?


「ははは、思った通りの反応だな。まあそうでなくては困るのだが」

「それは……比喩ひゆとか婉曲えんきょく表現などではなく?」

「そうなんだよ。事実としての『魔法』だ」


 宗久の戸惑いにそう答えると、少司は再び口を開けて笑った。

 まるで悪だくみが図に当たった子どものようだ。

 少しばかり苛立いらだつ宗久。


「少司さんのお言葉とは思えない矛盾ですね。『事実』と『魔法』は対義語のようなものじゃないですか。そんな表現はあり得ない」

「その通りだ、犬養いぬかい君。そしてこういう言葉もある。『百聞ひゃくぶんは一見にかず』」


 少司はそう言うと、ふところから茶色いタバコの箱を取り出した。

 そのリトルシガーが、少司が禁煙するまで愛好していた銘柄だと言うことを、宗久は知っている。

 禁煙はめたのだろうか。


 封をけて一本つまみ出すと、少司はそれを指にはさんだまま、それまでにこにこと二人の様子を黙って見守っていた白鳥うららに言った。


「白鳥さん、お願いします」

「はい」


 白鳥麗がそう答えるやいなや、タバコの先端せんたんが赤く光り始めた。

 ほんのりバニラの香りをまとった煙が、部屋に広がっていく。

 宗久は目をいた。


「こ、これは……!?」

「だから魔法だよ、犬養君」

「ま、魔法?」


 少司は宗久の顔を楽しそうにながめると、少し名残惜しそうに紫煙しえんが立ち昇る先端を灰皿に押しつけた。


「一応、禁煙の誓いは破っていないのでね」

「はあ……」

「どうだ? 魔法は」

「い、いや」


 宗久は、それでもあらがうかのようにうめいた。


「何かのトリック、ではないかと」

「ははは、そう言うと思ったよ。それじゃ白鳥さん、もうひと押し、お願いします」

「わかりましたわ」


 ぐらり。


 宗久は地震が起きたのかと思った。

 しかし、足元の座布団が動いたのは左右ではなく、上方向だった。


「ううわっ!」


 いつもの宗久らしからぬ声が思わず口を突いて出る。

 それでも無様に体勢を崩さず正座したままの姿勢をたもっていたのは、鍛え上げた彼の体幹の強さゆえだろう。


 そうして、彼の目線は他の三人よりも半メートルほど上に位置していた。

 少司もうららも、ここまで挨拶以外では口をひらいていない九条くじょう豹牙ひょうがまでもが、口角を上げて宗久を見上げている。


 宗久は座布団ごと宙に浮いたまま、恐る恐る後ろを振り返った。

 もちろん、誰もいない。


 彼の背中を、再び冷たい汗がつたった。

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