第二章 第24話 覚悟

 黒瀬くろせ和馬かずまは出張先から帰る途中、以前よくかよっていた町中華「八龍はちりゅう」に少し早めの夕飯を食べに寄った。

 そこは彼の先輩であり、小学校消失事件で行方不明になった八乙女やおとめ涼介りょうすけの実家でもあった。


 和馬はそこで、涼介の離婚したかつての元妻――犬養いぬかい莉緒りお――が店員として働いていることに驚く。

 注文をして、久しぶりに食べるショウガ焼き定食を楽しんでいたところ、店の扉から突然現れた闖入ちんにゅう者。

 その男は莉緒を恫喝どうかつしているようだったが、その彼女から店を出て欲しいとやんわり言われたこともあって、首を突っ込まずに和馬は退店する。

 しかし、男のはっしたある一言ひとことにちょうどとびらを閉めようとしていた和馬がブチ切れ、男をくびり殺す勢いのまま右腕だけでリフトアップ。


 我に返って気づかう和馬たちに捨て台詞を残し、男は去った。

 結局、自分からめ事に巻き込まれに行った形の和馬。

 莉緒から話を聞いて欲しいと懇願こんがんされ、店主たちをまじえてテーブルを囲むことになったのだが、彼はそこで八乙女涼介と莉緖に関する真実を知ることになった。


    ◇


 先日、八龍はちりゅうに寄って犬養いぬかい莉緒りおたちと出会ってから、黒瀬くろせ和馬かずまはほぼ毎日、莉緒とメッセージのやり取りを続けていた。


 大抵は一日せいぜい二往復程度、「調子はどうですか?」とか「あれから何かありましたか?」くらいの内容。

 莉緒のほうからも「大丈夫です」「特にありません」と、当たりさわりのない無難ぶなん文言もんごんが返るばかりである。


 和馬は、ある意味同じ境遇きょうぐうにある彼女りおや、割と世話になっていた八龍の二人のために何かの力になりたいと思っている。

 しかし、あれこれ考えた結果明らかになるのは、自分がこういう時に如何いかに無力な存在なのかということだった。


(ただの学校の先生だしな……オレ)


 自分の仕事にはもちろんほこりを持っている和馬だが、今回のことは彼の業務の範囲はんいを完全に逸脱いつだつしている。

 たん的に言って、畑違いもいいところだ。


 だが――彼は真実を知ってしまった。


 それを知って、もし莉緒が一人でかかえ込まず涼介に相談していれば、また別の展開があったんじゃないかという気持ちはどうしてもき上がっている。

 それでも、お互い似た立場にいるという共感シンパシー以上に、彼女が夫である涼介りょうすけに余計な心配をかけまいとして選んだ行動――結果的に本人を傷つけてはしまったが――と、その思いにほだされてしまったのだ。


 助けてあげたい気持ちと、何もしてやれない無力感で、ベッドの上で一人ひとり頭をかかえていると、かたわらのスマホがふるえた。


(ん? ……あっ)


 横目で画面を見た和馬は驚く。

 そこには<莉緒りおさん>の文字が表示されていたのだ。

 電話はおろか、メッセージすら自分から送ってくることのほどんどない彼女が、音声通話を求めている。


「はいっ、もしもし――」


    ◇


 そして翌日夕方、和馬は黒家こっけ宗家である黒瀬家の門の前にいた。

 もちろん、彼はそこが三家さんけいちであることなど知るよしもない。


 門をくぐった和馬は、黒瀬家の執事しつじである香椎かしい修一しゅういちに案内され、応接室にたどり着いた。

 ほんの一分も経たないうちに、黒瀬白人はくとはやってきた。


「久しぶりだね、和馬くん」

「ご無沙汰してます、お義兄にいさん」

「何だか電話だとずいぶん切羽せっぱまった様子だったから、ちょっと驚いたけど……大事な話があるんだって?」

「はい……」

「今日はこのあと、何の予定もないからね。ゆっくり話してくれて構わないよ。それと、いつものように夕食を食べていくといい」

「ありがとうございます。実は――――」


    ☆


「――――ふーむ、なるほどね」


 ひと通りの話を和馬かずまから聞いた白人はくとは、腕を組んで軽くうなった。

 そんな彼へ、和馬は申し訳なさそうな表情でうつむきながら言う。


「すみません……オレ、こんなことをお義兄にいさんに頼むなんて、他力たりき本願もいいとこだって分かってます」

「……」

「自分の手に余るなら、無責任に首を突っ込むなって自分でも思います。でも、でもオレ、ても立ってもいられなくて……」

「まあまあ、顔を上げなよ、和馬くん」


 白人は目の前でしょぼくれている二つ年下の義弟ぎていに、優しく声を掛けた。


「まあはっきり言えば、厄介やっかい事だね。うん」

「はい……」

「なかなかに面倒そうな話だし……ちょっと一筋縄ひとすじなわではいかない感じだねえ」

「やっぱり……そうですよね……」

「それで、だ。和馬くん」


 白人は続けた。


「結局君は、どうしたいと思ってるんだい?」

「どう……とは?」

「君がその女性――えーと、犬養いぬかい莉緒りおさんだっけ――を助けたいってのは分かった。副次ふくじ的に八乙女やおとめ夫妻とやらもね」

「……はい」

「つまり、具体的にどういう状態になることを望んでいるのかってことさ。彼女を救うにもいろんな形がある。例えば――――敵対者を全て消す・・・・とか」

「えっ……」


 和馬は思わず鼻白はなじろんだ。

 普段と変わらない、柔和にゅうわな様子の白人から思わぬ一言ひとことが飛び出たからだ。


「消すって……まさか、殺すってことですか?」

「まあ消すにもいろいろあるけど」

「さすがに殺すってのは……ちょっと」

「和馬くん」


 少し真面目な顔つきで、白人が和馬の眼を見る。


「『くさいニオイは元からたなきゃダメ!』って言葉、知ってるかい?」

「え? ……いや、聞いたことあるようなないような……」

「昭和の時代のCMのコピーらしいけど、言い得てみょう文言もんごんだ。その場しのぎの――まあ正しい意味での姑息こそくな――処置じゃあ、ダメなんだよ。場合によっては事態を悪化させてしまうこともある」

「だから殺すべき、だと?」

「まあもし、君がそういう意味で私を頼ってきたとしたら、君のしたことは殺人の教唆きょうさに当たるだろう。万が一明るみになれば、正犯せいはんと同じ重罪だ」

「……」


 黙り込む和馬を白人はじっと見つめる。

 はくともそこからは口を開かず、和馬の考えがまとまるのを待つ。


「――思ったんですけど、オレは別に相手に死んでほしいってわけじゃないみたいです。要するに奴らが莉緒りおさんや八龍はちりゅうにちょっかいを出さなくなれば、それでいい――みたいな」

「ふむ」

「オレ自身には、奴らに対する憎しみとかは……まあやりくちとかムカついてはいますけど、そこまで強い感情は持ってません」

「それはつまり、殺さずにめて欲しいってことでいいのかな?」

「う……そう、だと思います」

「ふーむ……」


 白人は腕を組んだまま、再び小さくうなった。

 その姿を見て、和馬は自分の都合で白人に無理難題を吹っ掛けたことに気付く。


「や、やっぱり難しいです、かね……?」

「そうだねえ――さすがにお茶の子さいさいとは言えないかな」

「すみません……オレ、頼んでる分際ぶんざいで都合のいいことばっか言ってますよね」

「和馬くん。ひとつ言っておくけどね」


 白人は人差し指を一本立てて言った。


「何かよく分からないけど、どうにかしてくださいくらいの気持ちで君がいるのなら、私は動くつもりはないよ」

「はい……そうですよね」

「私はね――――君の覚悟のほどが知りたいのさ」

「覚悟、ですか……?」


 和馬は思わずごくりとつばを飲み込んだ。

 厳しい表情をくずさない白人。


「今回のことは、その辺の野良猫に気まぐれにえさを与えるようなこととはわけが違う。正直、魑魅ちみ魍魎もうりょうたぐいの巣に手を突っ込むことになるかも知れない。やるとなれば私は極力君を守るつもりではいるが、何らかの火の粉をびる可能性は十分じゅうぶんにある。それでも私を動かすかい?」


 和馬は五秒ほど考えたあと、決然と白人の眼を見て言った。


「はい、お願いします!」

「さして親しいというほどでもない、ただの先輩である人の元妻と実家のために?」

「……そうですね。確かにすごく親しい人、とまでは言えないと思います」

「……」

「でも、あの人たちはオレと同じつらさをかかえてます。それに、莉緒さんがえて自分が泥をかぶってでも先輩を守ろうとした気持ち、めちゃくちゃ分かるんです。だから、そんな人の力になってやりたい」


 ここで和馬の顔が、くしゃりとゆがんだ。

 彼の脳裏のうりには明るく微笑ほほえむ妻と、彼をしたう教え子たちの顔が浮かんでいた。


「それに、どうせオレにはもう――もう、真白ましろさんもいない。お義兄にいさんがオレに何かやれってんなら、やります。何なら、ちょっとぐらい危ないことだって――――」

「そんな捨てばちになる必要はないよ」


 白人は苦笑しつつ言った。


「君を危険な目にわせたり、犯罪の片棒をかつがせたりするようなことをしたら、私が真白に怒られてしまう。そんなのはゴメンだからね」


 白人はここで、真白の生存の可能性について明かすかどうか迷った。

 が、結局触れなかった。


「君にそこまでの覚悟があるって言うのなら――可愛い義弟おとうとの頼み。私が無下むげにするわけがないだろう?」

「ほ、ホントですか!? ありがとうございます!」


 和馬は立ち上がって、白人に深々と頭を下げた。

 それを手振てぶりでおさえながら、続ける白人。


「ただね……私の力でもどうにか出来るとは思うんだけど、それだとちょっと時間がかかりそうなんだ。割と急ぐんだろう?」

「はい」


 莉緒は和馬への電話で、最後通牒つうちょうを突きつけられたようなことを言っていた。

 あまり猶予ゆうよはないように思える。


「それなら――仕方ないか。あっちの力を借りよう」


 そう言うと、白人はその場でどこかへと電話をかけ始めた。

 彼の様子を、和馬はじっと見つめている。


「――あ、もしもし……はい、そうです。黒瀬白人です。ご無沙汰しております――――ああいえ、その母子おやこの件ではなくて、はい、はい……いや、巫女みこ様でもいいんですが、あなたにちょっとお願いがありまして、真夜まよさん」

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