第二章 第20話 八龍

 今岡いまおか小学校消失事件で、妻である黒瀬くろせ真白ましろを失った黒瀬和馬かずま


 妻が行方不明になってからも、表面上はいつもと変わらない生活を送っていた。

 消失事件に関することで目新しいしらせ――特に探し人の行方――などはない。

 夏季休暇が終わり、秋の気配をはっきり感じ始めた頃に、怪しい外国人が現場周辺に出没していたといううわさを小耳にはさんだくらいである。

 もちろん、彼はそれが自分に関係のあることだとも思っていなかった。


 舞台は、ベーヴェルス母子おやこ琉智名るちなたちと共に京都に旅立ってから、一週間ほどったN市から始まる。


    ◇


「ふ――――……終わった終わった」


 彼はある小学校の玄関を出ると、大きく伸びをした。


 今日は午後から出張。

 授業参観をし、全体での研修会をてようやく終了したのだ。


 残暑はもうずいぶん遠くに去った。

 台風やら秋雨あきさめ前線やらで雨がちだった日々も過ぎ、今は初秋しょしゅうさわやかな風が彼をつつんでいる。


 和馬は、臨時駐車場となっているグラウンドに向かい、自分の車に乗り込んだ。

 交通誘導してくれる出張先の教諭に軽く頭を下げながら、校門を出る。


「さて、ちょっと早いけど、どこで夕飯を食うか……」


 ――外食にも大分だいぶ慣れた。


 彼は元々、ラーメンの食べ歩きなどしていた。

 自ら運営する食べ歩き系ブログ「ラーメン虚無僧こむそうがゆく」のためだが、結婚後は妻の真白ましろの忠告で回数をおさえるようになり、そのぶん自宅で夕食を共にすることが増えた。


 しかし、それもすっかり結婚前の状態に戻ってしまっている。


(そう言えば……久しぶりに行ってみるかな)


 和馬は、最近少し足が遠のいていたある場所を思い出して、車を走らせた。


    ☆


 和馬かずまが立っているのは、昔からの町中華の店「八龍はちりゅう」。

 彼が先のラーメンブログとは別に、有志数人と一緒に運営している「汁マニアファミリー」の定例会で使っている店だ。


 そして、先輩の――八乙女やおとめ涼介りょうすけの実家でもある。


 和馬自身は、定例会がなくてもたまにかよっていた。

 しかし例の消失事件以来、何となくおとずれるのがはばかられていたのだ。

 駐車場がそれほど広くないので、集まる時にはみんなで乗り合わせるのが常だったが、今日は和馬一人である。


「まあ仕方ないよな。今日は勘弁してもらおう」


 そうつぶやきながら、彼は店のとびらを開けた。


「いらっしゃいませー!」


 元気のいい女性店員の声が、すぐに奥から飛んでくる。

 ざっと店内を見渡すと、ソロの客がテーブル席に二人ほど。

 カウンターの中の親父さんはこっちを見ると、少しだけ目をみはった。

 それからにっこり笑って、「いらっしゃい」と言った。


(何だか……気のせいかもしれないけど、少しせたか?)


 元々細い感じの人だったけど、ほおがちょっとこけたような――と和馬は、いつもの定位置のカウンターに座りながら思った。


(まあ、無理もないよな)

「いらっしゃいませ、おひやをどう――」


 先ほどの元気な声のぬしであるとおぼしき女性が、コップに入った水を持ってきた。

 そして、和馬を見て驚いている。


「ん? ……あっ!」


 女性店員の顔を見て、和馬も声を上げた。

 見知った顔だったからだ。


「え? あれ? 莉緒りおさん……?」

「黒瀬さん……」


    ☆


 エプロンを着て立っていたのは、犬養いぬかい莉緖りおだった。


 かつては八乙女やおとめ莉緖りおと名乗っていた、言わずと知れた八乙女涼介りょうすけの離婚したもと妻。

 つい最近も――とは言え二ヶ月以上前だが――くだんの今岡小学校消失事件の説明会で、偶然顔を合わせていた。


何時いつぞやぶりですね、黒瀬さん」


 莉緒はおひやの入ったコップを和馬の前に置いて言った。


「えと、う……あー、んーと」


 混乱している和馬は、上手うまく言葉にならずにおかしな声でうなるばかり。

 そんな彼を見て、莉緒は小さく微笑ほほえんだ。


「すみません、また混乱させちゃいましたね」

「いえ、そんなことは……」

「だって黒瀬さん、『何で別れた女房が、別れた旦那の実家にいるんだ?』って思ってますよね?」

「う……まあ」


 素直に認める和馬。

 莉緒は店員の顔に戻ると、メニューを差し出して続けた。


「とりあえず――何にしますか?」


    ☆


 和馬は渡されたメニューにざっと目を通すと、「ショウガ焼肉定食」を注文した。

 と言っても、彼は普段メニューなど見ない。

 ここに来たら、食べるのは「いつものこれ」なのだ。

 今日は久しぶりなので、一応確かめたまで。


(うん……前と特に変わったとこはないな)


 ここの「ショウガ焼肉定食」は特に奇をてらったものではない、普通の豚の生姜しょうが焼きだ。

 生姜焼きと言うと、一般的には豚ロースの薄切りを使う場合と、小間こま切れを使うものがあるようだが、ここ八龍はちりゅうでは前者だ。

 豚ロースがたっぷり六枚、特製ショウガだれにまみれており、横にあるキャベツのせん切りの山の上にマヨネーズがにゅるりとしぼられている。


 ただし――和馬バージョンはちょっとだけ違う。


 和馬に出す場合には、マヨネーズをキャベツではなく、肉の方に載せるのだ。

 彼は汁マニアファミリーのメンバーに相応ふさわしく、マヨネーズと特製ショウガだれを混ぜて独自のソースにしてから、肉にからめて食べるのだった。

 味変あじへん用に、レモンのくし切りも欠かせない。


「はい、お待ちどおさま!」


 しばらくすると、見慣れたセットが目の前に出てきた。

 ご飯に味噌汁、ショウガ焼きとお新香しんこ

 ショウガ焼きの皿には、千切りキャベツのほかにサラダスパゲティとミニトマトもっていろどりをえている。

 もちろん肝心のマヨネーズは――ちゃんと肉の上に直接置かれていた!


 久しぶりに来ても、ちゃんと自分バージョンで出してもらえたことに和馬は感動する。


「うほっ……久しぶりだあ、これ。いっただっきまーす!」


 両手を合わせてとなえてから、和馬は左手にご飯の茶碗を持ち、右手のはしでまずは提供されたままの肉をはさむ。

 そこで、彼はある事をふと思い出した。


 ある時、学年部(同じ学年の先生たち)で食事に行ったことがあるのだが、行った先でちょっとした論争が起こったのだ。

 それは「はしでとったおかずを、一旦いったんご飯に乗せるかいなか」である。


 そんなん、好きずきにえばいいんだよっての――と和馬は思ったが、隣りの担任のある女性教員が「家でするのは勝手だけど、外でやるのは絶対やめて欲しい」と強い調子でまくし立てたのだ。

 実際、焼肉定食を注文し、その場でいわゆる「ご飯にワンバウンド」させながら食べていた和馬は、我慢がならずに反論を始めてしまった。

 彼がその女性教員の言い分で一番訳が分からなかったのが、「白いご飯がよごれる」だった。

 その、味のついたご飯こそがまた美味うまいのに――と言うと、口の中で混ぜればいいと反論され、そこからは平行線の一途いっと

 学年主任がまあまあと仲裁ちゅうさいして一応その場は収まったが、それ以来和馬はその女性教員と最低限の会話しかわしていない。


(ま、我ながらムキになっちまったけどな)


 若干じゃっかん嫌な記憶に苦笑しながらも、和馬は目の前のご馳走に取り組み始めた。

 もちろん、いい塩梅あんばいに特製ダレのからんだ肉は、躊躇ちゅうちょなくご飯に載せながら。


「ぬー! 相変わらず美味い!」


 そう言って変わらぬ姿でご飯をかっこむ姿を、親父さん――八乙女やおとめ征志郎せいしろう――はちらりと見て、小さく笑った。


 そうして、和馬が六枚ある肉のうちの三枚を食べ、ひとまず前半戦が終了したと歯切れのよいお新香しんこ口内こうないを清めている時――入り口の扉がひらいた。

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