第二章 第13話 導き

 雨の降り続く午前中。

 その男たちは、突然目の前に現れた。


「アルカサンドラ・ベーヴェルスさん、そして……エルヴァリウス・ベーヴェルスさんですね?」


 サンドラとリウスは、目をみはったまま立ち尽くす。


「すみませんが、我々とご同道どうどう願えますか?」


 二人には、男たちの言葉の意味が分からない。

 分からないが――その様子に何となく不穏ふおんな空気を感じていた。


 黙ったままの母子おやこを見て男たちは目配めくばせすると、片方が先ほどと同じ意味の言葉を、今度は英語で語りかける。


「Could you please join us?」


 母子おやこの国籍が不明であるという情報は得ている。

 英語にも特に反応しない様子に、男たちは肩をすくめた。

 致し方ないと言った感じで一歩前に出る。


 そして――エルヴァリウスの左腕をつかんだ。

 もう一人も、サンドラの右腕を掴もうとして手を伸ばしてきた。


母さんマァマ!)

仕方がないわねノイ・ウーティラ……)


 ここは魔素ギオのない世界テリウス

 それでも、密着している二人なら念話タルギームを使える。


 ――ベーヴェルス母子おやこ荒天こうてんの中、それまでいた橋の下を思い切って出てきたのは、発熱している母親への助けを求めるためだった。


 日本の社会の仕組みなど当然知らないが、さくらや理世たちとの学習の中で『びょいん』というものを習い、それが二人の知る「治癒室クラキルマ」のようなものだと知った。

 そして、理世りせ誘拐ゆうかい未遂みすいったさい、彼女を治療ちりょうした「びょいん」があると聞いていた。


 天方家の近くにあったという情報だけで、二人は一かばちか、そこを目指していたのだった。


 もちろん、彼らはそのクリニックの正確な場所は知らない。

 それに、怪しげな外国人が突然押しかければ、クリニックがわしかるべき機関に通報することは必至ひっしである。

 二人も外部に助けを呼ぶことで何らかの危険を招き寄せかねないことは承知の上ではあったが、地下都市ヴーム出身の彼らは拘束こうそくされるとまでは思い至らない。


 それでも……目の前の男たちを、サンドラはどうしても味方キウスだとは思えなかった。


 彼女は少しだけ目をほそめると、体内むねわずかに残された魔素ギオあやつり、男たちのくるぶし周辺の空気ウィリアを押し固めた。

 男たちは、両足首を突然太いゴムでつなげて拘束こうそくされたような形になる。


「お、おぉ?」

「うおおっ!」


 同時にリウスが腕を振り払ったことで、男たちはバランスを崩し、れた路面に倒れ込んでしまった。


 ベーヴェルス母子おやこは、すぐさまけ出した。


 どこをどう走っているのか分からないが、走った。

 うしろなど振り向かずに、とにかく走った。

 走って走って――息が切れるまで走った。

 息が続く限り、走った。

 息が切れても、走った。


 そして――――サンドラがくずおれた。

 続けてリウスも――――


    ◇


「大丈夫ですか!?」


 あわてて車を降りた銀月ぎんげつ真夜まよの目にうつったのは、薄汚うすよごれた服を雨でびしゃびしゃにらしながら、路上に折りかさなるように倒れている二人の人物だった。


(ぶつかってはいいひんいないと思うんやけど……)


 真夜は二人に駆け寄った。


「大丈夫ですか? どこか怪我しましたか?」


 もう一度、声を掛ける。

 そして、彼女ははっとした。


(外国人……?)


 何故なぜこんなところに外国人が?

 しかもこんなで立ちで?

 二人とも呼吸がひどく荒い……どうして?


 いろいろな疑問が立て続けに浮かんでくる。

 が、真夜は頭を振ると、思い浮かんだそれらを全て一旦いったんたな上げした。

 何しろ今この瞬間も、二人は強い雨に打たれたままなのだ。

 もちろん、真夜自身も。


 ――このままでは、まずい……。


「とにかく、二人とも車に乗って! 立てますか!?」

「う……」


(言葉通じひんないのかな?)


「Can you get up?」

「Pouvez-vous vous lever ?」

「Puoi alzarti?」

「Können Sie aufstehen?」

「Ты можешь встать?」


 知る限りの言葉で「起きられるか?」と語り掛けるが、響く様子がない。

 仕方がないので、真夜は助手席のドアをけ、まず女性のほうの肩をつかむとなかば無理やりに引き起こした。

 助手席を前に倒し、びしょ濡れの女性を後部座席に押し込む。


 すると男性の方が、息をあららげながらも自力でよろよろと立ち上がった。

 真夜はジェスチャーで女性に続くようにうながす。

 男性は小さくうなずいて、女性の隣りに乗り込んだ。


 背の高い二人に、チンクェチェ〇トの後部座席はいかにもせまかったが、そんなことを言っている場合ではなかった。

 真夜は急いで運転席に戻り、助手席のバッグからハンカチを取り出す。

 自身もずいぶんれてしまっていたが、真夜はそれを後ろの二人に手渡す。


いて、これで」


 男性はそれを受け取ると、小さな声で言った。


「あ、ありが、と」


 そうして、女性の顔や髪、首まわりをき始めた。

 その様子を見て、真夜はハザードランプを消す前に考えた。


(どないしよう……いきなり病院はまずいかも。言うてこのまま警察に保護ってのも何だかなあやし――――よし。こういう時は、と)


 真夜はスマホを取り出すとまず、勤務先である(株)銀河不動産に連絡した。

 事情を話し、直帰ちょっきの許可を得ると、別のもう一ヶ所に電話し始めた。

 呼び出し音を聞きながら、彼女は心の中で苦笑した。


(何か最近、こんなんが多い気ぃするわ……)


    ☆


 男たちがそこにようやく駆け付けた時には、真夜の車はすでに追い付けない程に離れていた。


「おい、今の車、分かるか?」

「多分だが、あの丸っこいのはフィ〇ットだろ。とりあえず報告だ」

「そうだな」


 そう言って、片方の男が濡れねずみのようになりながらも、スマホを取り出した。


    ◇


 ――かれこれ、もう一時間半は歩き回っている。


 もとより当てがあって探しているわけではない。

 ても立ってもいられなくて、飛び出してきただけなのだから。


 レインコートのフードにつつまれた天方あまかた理世りせの顔は、雨と涙ですでにぐちゃぐちゃになっている。


 これまでは、母親であるさくらと一緒に探していた。

 しかし、今日は一人。

 さがびとは見つからない。

 横殴りの雨と、激しく吹き荒れる風。

 あまり役に立っていないかさおちょこ・・・・にならないよう、必死だった。


(うう……)


 心細さが、幼い彼女の心をじわじわと蚕食さんしょくしていく。

 それでも理世は、まだ帰る気にはならなかった。


(お母さんたち、怒ってるかな……)


 両親の顔が浮かぶ。

 優しい顔で。

 まゆり上げている顔で。


 ぎゅっと目をつぶり、雨粒と一緒に怖い想像を振り払う。

 目元をごしごしとこすると、理世はまた前へと歩き始めた。


 遠くでパトカーのサイレンの音が聞こえる。

 理世はきょろきょろとあたりを見回した。


(サンドラとリウスを見つけたら……)


 家に引っ張って連れ帰る。

 あったかいお風呂に入れて、お母さんの美味しいご飯を食べさせる。

 それから……それから――――


 バシャッ。


「ぅわっ!」


 横を通り過ぎた車が、水たまりを跳ね上げた。

 理世の右半身を、にごった薄茶うすちゃ色が染める。


「もう!」


 理世は目の前で信号待ちしている車に毒づいた。

 真っ赤な車。

 心細さが反転して、いら立ちにわる。

 いったい誰!?


 理世はむしゃくしゃした気持ちのままその車に駆け寄り、ドライバーの顔を一目ひとめ見てやろうとして中をのぞき込ん――――


「――――!!!!!」


 何と言うことだろう。


 車内には、何かあせっているのか理世に全く気付かずに前方を凝視ぎょうしする女性と……――後部座席には、後部座席には――――


「サンドラ! リウス!」


 後部座席には、おさない彼女が大好きな両親の言いつけにさからってまで探し求めていた二人の姿があった!


 理世は傘を放り投げて、赤い車のサイドウィンドウを両手でたたく。


「サンドラ! リウス!」


    ◇


 ドンドンドンドン!


「ひっ!」


 一刻も早く到着したいのに、運悪く信号につかまってしまった銀月ぎんげつ真夜まよは、突然助手席側のガラスが激しく叩かれる音で我に返った。


 音の方向を見ると、レインコートを着た小さな子どもが、必死の形相ぎょうそうで両手をガラスに打ち付けている。

 雨のせいか涙のせいか、顔はぐちゃぐちゃでよく分からない。


「何なん? 一体……ん?」

「――ドラ! ――ス!」


 何か叫んでいるようだが、よく聞き取れない。


 ファン!


 後ろの車が軽くクラクションを鳴らした。

 前を見ると、既に信号は青に変わっていた。


「もう……しゃあないなあ」


 真夜はハザードスイッチを押した。

 後続車のドライバーがにらみながら追い越していく。

 後部座席の二人は、眠っているのか動く様子がない。


 真夜は車外の安全を確かめると、ドアを開けて外に出た。

 それからぐるっと回りこむと、相変わらずサイドウィンドウを叩き続けている子どもに声を掛けた。


「あー……ちょいちょい、あんまり叩かんといてくれるかいなないでくれるかな? 割れてまうさかいにしまうから――あ、あかん、また言葉が……って、あれ?」


 あせっているからか、完全に京言葉になっているのに気付く。

 そして――手を止めてこちらを向いた子どもの顔を見て、既視きし感を刺激された。


「もしかしてキミ、――こないだの子ぉ?」

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