第二章 第12話 三者

 雨は相変わらずり続いている。


「おい、いたか?」

「いや……いないな」


 農機具のうきぐ小屋のとびらを閉めて、男の問いに別の男が答えた。


「まあ追い出されたってのは数日前だしな。この雨だからまた来ているかも知れないと思ったんだが……」

「なら次だ。他の班もそれらしいところは虱潰しらみつぶしにしてる。急ごう」

「ああ」


 スーツ姿の男たちは、近くにとめてあった車に乗り込んだ。

 後輪こうりん畦道あぜみちの泥をね上げる。

 車は、あっという間に遠ざかっていった。


    ◇


 ――天方あまかた理世りせは、またいていた。


 兄である聖斗せいとがいなくなった。

 サンドラとリウスがいなくなった。

 そして――――もうさがしてはいけないと言われた……。


 理世はベッドの上で体育座りをして、ひたいひざ小僧こぞうに押し付けている。

 小さなおなかがくぅと鳴った。

 昨日きのう、両親にさとされてから、彼女は食事を取っていない。

 もちろん、今朝けさの朝食も。

 父親も母親も、無理いはしてこなかった。


 今日は土曜日なので、学校は休み。


 顔を上げて、窓を見る。

 強風きょうふうが吹いてもかたかた言ったりはしない。

 しかし、雨粒あまつぶが激しく叩きつけられている音は聞こえる。

 外の様子は容易よういに想像できた。


 ――れていないだろうか。

 ――お腹をかせてはいないだろうか。


 どこかの物陰ものかげに身を寄せながら風雨ふううえる二人を想像して、また涙があふれる。

 お腹の虫なんか、好きなだけ鳴けばいい。

 二人のことが心配で、理世は自分の事なんてどうでもよかった。


 ――そうだ。


 しかられたって構わない。

 おまわりさんにつかまったって……ちょっといやだけど、別にいい。

 ドラマで見た犯人みたいに、手錠てじょうをかけられて連行される自分の姿が浮かぶ。

 それを見て、哀しそうな顔をする父と母。


 ……小さな胸が、つきりと痛んだ。


 でも、理世は覚悟かくごしてしまった。

 もううしろに退がる気はない。


 彼女は急いで着替え、廊下を出ると音がしないようにそっと部屋のドアを閉めた。

 父親は、多分書斎しょさいにいる。

 母親は午前中の家事にいそがしくしているはず。


 階段を静かにりる。

 リビングからは、掃除機をかける音が響いてくる。


 ――今しかない!


 理世は靴箱くつばことびらけ、レインコートと雨傘あまがさを取り出した。

 極力きょくりょく音を立てないように長靴ながぐつくと、ゆっくりと玄関のドアをける。

 途端とたんに風が吹き込んできた。


 自分の身体が通る分だけの隙間すきまをすり抜けるように外に出ると、彼女はレインコートを着て、おもむろに傘をひらき、意を決したように雨の中へと飛び出していった。


    ◇


 その頃、銀月ぎんげつ真夜まよはぶつくさ言いながら、ステアリングをにぎっていた。


「今日の午前中じゃないと都合が悪いとか……まあ終わったからいいけどさ~」


 彼女がつとめる(株)銀河ぎんが不動産で発行しているフリーペーパー「シルバーレイン」の取材のために、悪天候の中を真夜は愛車を走らせていた。


 取材は、先ほど無事にんでいる。

 今は取材先から帰社しようと言うところだが――彼女は今朝けさ寝坊したせいで、朝食を抜く破目はめになった。

 おかげで腹の虫がさっきからうるさい。


「どっかで軽くおなかに入れていこうかな……」


 そう思った瞬間に、真夜は周辺の地図を頭に浮かべ、この時間でいてて美味しいものが食べられそうな店を脳内検索し始めた。


「……決めた。シ〇ノワール食べよ」


 そして一番近いコ〇ダ珈琲コーヒーに向かって、愛車のステアリングを切った。


 ――真夜の車は、真っ赤なコンパクトカーだ。

 正式な色名しきめいは、日本だと「パソドブレレッド生意気な赤」と言う。


 フロントグリルの中央で「FIA○」のエンブレムが雨に濡れている。

 丸いヘッドライトが可愛らしいそれは、チ〇クェチェントシー・ドルチェヴィータ。

 Cがつくので、カブリオレである。

 外車であるが、右ハンドルだ。


 一応四人乗りとは言っても、後部座席はかなりせまい。

 別に誰かを後ろに乗せるようなことはほとんどないので、真夜には十分じゅうぶんなのだ。


「よ~し、行くよ~トッポくん」


 初代500チンクェチェントに敬意を表してつけた愛称を呼びながら、真夜はアクセルを踏み込ん――


「うわっ!!」


 前方ぜんぽうの建物のかげから人影が突然飛び出してきたかと思うと、それはふらふらと体勢を崩し、真夜の走る道路へと倒れ込んでしまった。


 咄嗟とっさに急ブレーキを踏む真夜。

 しかしれた路面のせいで、制動せいどう距離が伸びてしまう。

 飛沫しぶきを上げて、すべるタイヤ。


(間に合って!!)


 ステアリングをぎゅっと握ったまま、思わず真夜は目をつぶる。


 ――――――

 ――――

 ――車は、止まった。


 衝撃は……ない。


 真夜はすぐにハザードランプを点滅てんめつさせると、大急ぎで車をりた。

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