第二章 第11話 秋霖

 台風が近付いていた。

 そして、天方あまかたりくは警察署で任意の事情聴取を受けていた。


    ◇


「それじゃ、気を付けてお帰りくださいね」

「はい、お手数をおかけしました」


 天方あまかたりくは、生活安全課のドアのところで軽く頭を下げると、廊下に出た。

 階段エリアの向こう側の椅子いすに座っていた天方さくらが、夫の姿を見て立ち上がり、け寄ってくる。


「お疲れ様、あなた」

「うん」

「――終わったの……?」

「うん、大丈夫だよ」


 二人は歩き出した。

 警察署を出て、駐車場にとめてあった車に乗り込む。


「それで……結局どういう話だったの?」

「うん……」


 車が動き始めると、さくらは夫にたずねた。

 陸は今日の出来事を思い出し、先ほどまでの様子をぽつぽつと妻に話し始める。


    ※※※


 それは、陸があと少しで昼休みに入ろうと言う時だった。


 現在、彼はある地元企業に出向しゅっこうしていた。

 たずさわっているPOSポスシステムの改訂作業リビジョンアップいち段落したところ、胸ポケットの中のスマホがふるえた。

 画面には、妻であるさくらの名前。


 仕事中には滅多めったに連絡してこない彼女が、FINEファインでもメールでもなくわざわざ電話をかけてきたことを珍しく思いながら通話ボタンを押すと、飛び出してきたのは何やら切迫せっぱくしたさくらの声。


 どうやら、自宅に警察が来ているらしい。

 そして、任意同行を求められているらしい。


 来たるべきものが来た――陸は思った。


 ――そして彼はすぐさま上長じょうちょうに早退の許可を得て、出向しゅっこう先からそのまま直接警察署へと向かったのだった。


    ☆


 別の警察車両で一足ひとあし先に警察署に到着していたさくらは、廊下で待機。

 事情聴取には陸が応じることになった。


 生活安全課と書かれたドアの中に入り、陸が案内されたのは――窓ひとつない、ごく小さな個室めいた部屋だった。

 その時に、携帯電話を持っていたら預けてくださいと言われた。

 恐らく、録音防止のための措置そちなのだろうと、陸は思った。


(はあ……これがよくドラマなんかで見る、取調とりしらべ室ってやつなのかな)


 すすめられてパイプ椅子いすに座った陸の前には、武骨ぶこつな事務机が一つだけ。

 定番の電気スタンドは、ないようだ。

 きょろきょろしていると正面に割と年若としわかな男が座り、にこやかに口をひらいた。


「それじゃあ天方あまかたさん、その外国人の男女のことを一番最初から話してください」


 ――陸は、全てをきちんと話した。そう決めていた。


 ・ベーヴェルス母子おやことのそもそもの出会いから、食事と寝床を与え、一時的に自宅に住まわせたこと。


 ・近所の住人には遠い親戚しんせきだと紹介していたこと。


 ・コミュニケーションを取る努力を続け、ある程度の意思疎通そつうは出来るようになったものの、二人が話す言語を特定するには至らなかったこと。


 ・向こうの言葉が分からないため、パスポートや在留ざいりゅうカードの所有について確かめることができなかったこと。


 ・ずっと家の中にいるのは気詰きづまりであろうと考えて、隣市りんしのショッピングセンターに出掛けたり、富士五湖方面への一泊旅行に連れて行ったりしたこと。


 ・近所に住む五味村ごみむら文江ふみえと何度かトラブルになったこと。


 ・恐らくそのことがらみで、娘の理世りせ誘拐ゆうかい未遂みすいったこと。


 そして――あくまで陸の予想ではあるが、天方家にこれ以上の迷惑をかけないようにと考えて、ある晩二人が黙って出て行ったことを。


 正面に座る若い刑事は相槌あいづちを打ちながら適宜てきぎ簡単な質問をはさみ、先をうながしつつ陸の話を聞き、手元のノートPCに入力していった。


「天方さん」

「はい」


 入力された内容は、そばに置いてあるプリンタからき出され、何枚かの紙の調書ちょうしょとなった。

 内容を確認した陸に、刑事が言った。


「本来なら、あなたがたのされたことは不法在留ざいりゅう幇助ほうじょに当たる可能性があります」

「……はい」

「ですが――先ほども言いました通り、あなたは彼らを保護した翌日、本署に行方不明の外国人がいないかどうか、電話で問い合わせていますね。こちらにも確かに記録が残っています」

「はい……」

「それに、まだその二人が不法在留者であると確定できたわけでもありません」

「……」

「まあもしかしたら、また話を聞かせてもらうことがあるかも知れませんが――今回は厳重注意ってことで」

「――……え?」


 刑事の言葉に、陸は驚いて聞き返した。


「厳重注意、ですか?」

「もうお帰りいただいて大丈夫ってことですよ。あ、そうそう」

「はい?」

「これも何度か言ったことですが、その二人のことはくれぐれも口外こうがい厳禁でお願いします」

「はあ……」

「奥さんや娘さんにも、ちゃんと伝えておいてくださいよ」

「分かりました」

「それじゃ、気を付けてお帰りくださいね」

「はい、お手数をおかけしました」


 そう言って軽く頭を下げると、陸は廊下に出ていった。


「ようお疲れさん」

「はい……あれでよかったんですよね」


 陸の相手をしていた若い刑事が、声を掛けてきた先輩刑事に答える。


「ああ、そのようなお達し・・・だからな」

「それにしても……その二人って、一体何者なんですかね」

「分からん。だが緘口令かんこうれいかれてるんだ。お前もくれぐれも余計な首を突っ込むんじゃないぞ」

「分かってますって」

「それにな」


 先輩刑事は一度言葉を区切り、声を一段いちだんとして続けた。


「その二人に関しちゃあ、専門のチームがすでに追ってるそうだ」

「ええ、マジすか?」

「ああ、何しろ本部おもや直々じきじき案件マターらしいからな」

「ひゅ~」


 若い刑事は肩をすくめた。


 ――そしてもちろん、このやり取りを陸が知るよしもない。


    ※※※


 陸は説明を終えた。


「――と、言うわけさ」

「そうだったのね……お疲れ様。とにかく、理世りせが帰ってくるまでに済んだみたいでよかったわ」

「そうだね。それと理世りせの件」

「え?」


 さくらが怪訝けげんそうな顔で聞き返す。


「ちゃんと捜査してくれてるみたいだよ。こないだの誘拐ゆうかい未遂みすいのあれ」

「そう……」


 つぶやくように答えるさくら。

 ベーヴェルス母子おやこが出て行った日の昼間、天方あまかた理世りせが近くの公園付近で怪しい男に危うくさらわれそうになったのだ。


 偶然通りかかった女性が声を掛けてくれたおかげで、理世は軽傷こそったものの、事件そのものは未遂みすいに終わった。

 しかし、アルカサンドラたちがいなくなってしまったことも相まって、あれ以来彼女が心からの笑顔を見せることはなくなってしまっていた。


「それにしても……サンドラたちはどうなっちゃうのかしら」

懲役ちょうえきとか罰金とかの刑事ばつの可能性と、行政処分もあるって言ってたよ。確か……退去たいきょ強制だったかな」

「そんな……」


 あの二人が警察官に連行されたり、ろうつながれたりする――そんな姿を想像して、さくらは思わず胸を押さえた。


 警察にこと・・露見ろけんした段階で、事実を隠し通すのは無理。

 下手へた虚言きょげんろうすれば、自分たちだけでなく理世むすめにもるいが及ぶ。

 そう考えて、ベーヴェルス母子おやこには申し訳ないが、やむを得ず真実を話すことに決めた陸とさくらだったのだが――――


    ◇


「どうして!?」


 今まで見たことのないような形相ぎょうそうで、つかみかからんばかりの勢いで、両親に食ってかかる愛娘まなむすめの姿がそこにあった。


「どうしてサンドラとリウスを探しちゃダメなの!?」


 天方夫妻が警察署から戻ったあと、しばらくして理世りせが学校から帰ってきた。

 ランドセルを置くやいなや、すでに最近の日課のようになっているベーヴェルス母子おやこ捜索そうさくに出掛けようとした彼女を、さくらは呼び止めた。


「ちょっとお話があるの。こっちへいらっしゃい」

「お話……?」


 いぶかに首をかしげる理世。

 言われた通りダイニングに向かうと、こんな時刻なのに自席に座っている父親を見つけて彼女は驚いた。


「お父さん、何でいるの?」

「話があるんだ。座りなさい」

「……?」


 ――――――――

 ――――――

 ――――


「――警察!?」

「そうだ。おまわりさんたちに、あの二人にはもう関わっちゃいけないってきつく注意されたんだ」

「……」

「だから、理世の気持ちは分かるけど、もうサンドラとリウ――」

「お父さんたち、二人のこと、警察に言ったの?」


 理世の口から、ついぞ聞いたことのないような低い声がれた。

 ぎょっとする陸とさくら。


「あ、あのね、理世。警察の人がうちたずねてきたのよ」

「……」

「警察の人に隠し事なんて出来ないわ。だから話すしか――」

「もういい」

「……理世?」

「もう聞きたくない! や!」


 そう叫ぶと、理世は耳を押さえながら、二階の自室へけて行ってしまった。


「理世……」


 娘を追おうとがたりと立ち上がるさくらを、陸は首を横に振って制した。


「僕たちは、息子を奪われた」


 陸が悲痛な顔で言った。


「そして、経緯いきさつはどうであれ、今度は僕たちが理世からあの二人を奪ったようなもの。あの子は――二度も奪われたんだ」


 さくらがうつむく。


 ――台風が近付いていた。


    ◇


 おりからの秋霖しゅうりんに、強い横風よこかぜが加わる。


 エルヴァリウスが懸命けんめいにかき集めてきた段ボールもあまり役には立たず、橋の下で休んでいたベーヴェルス母子おやこは、横殴りのネールに一晩中さらされることになった。

 そのため、二人とも身体をすっかりらしてしまっていた。


 目をつぶって横たわるアルカサンドラの体調は、夜が明けても戻らないまま。

 しかしそれも、無理からぬこと。

 何しろ一昨々日さきおととい半分プセずつ食べたおにぎり以来、二人は何も口にしていないのだ。


 ――多分エブレード少し熱があるアーヴルベロア・ピクサ・ヴァ……


 母親サンドラフレッサに手を置いて、リウスはつぶやいた。


 しばらく、ちゅうにらむリウス。

 そのあいだにも、雨粒あまつぶが彼のアローラほそ線模様サブラ・リアラえがく。

 そして何かを決意したような表情イレームをすると、彼はサンドラに何事かを伝えた。

 かすかにうなずく母親。


 ――それから二人はパラスを貸し合い、覚束おぼつかない足取りで荒天こうてんの中に足を踏み出していった。

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