第二章 第06話 犬養宗久

 五味村ごみむら文江ふみえは、苛立いらだっていた。

 一体この苛立ちを、どこにぶつけたらいいものか。


 ――にくい。


 とにかく天方あまかた家が、憎い。


 自分に恥をかかせたあいつら。

 自分の言うことを聞かないあいつら。

 自分を――仲間に入れようとしないあいつら。


 あの旦那やろう、どうにもパッとしないその辺にいる普通ふつーのおやじのくせに、自分を隠し撮りしやがった。

 あの妻の方おんなは、旦那のうしろでこそこそしてる臆病者チキンのくせに、自分にメンチ・・・切ってきやがった。

 あの子供ガキ……くそ、あいつ・・・が失敗しなけりゃ、今頃ひいひい・・・・言わせてやれたのに……。


 ――そして、あの外国人の母子おやこ


 あんな……あんな綺麗きれいな顔してるくせに、自分を拒絶しやがった。


 特に、あの息子のほう

 あいつこそ、あいつこそが自分の息子になるべきなのに……。

 それなのに、あんな態度をとりやがって!


 ――許せない。


 しかし、この憎しみをぶつけるべき母子あいては、最近とんと表に姿を見せない。

 娘のほうにまたちょっかいを出そうにも、先日、さらってくるよう頼んだおいが失敗してからは、周辺で警官の姿が目に見えて増えた。


 捕まるような危険はさすがにおかせない。


 それでも、天方夫妻の大事なものをうばってけがしておとしめてやりたいというくら衝動しょうどうは、収まるどころかふたをされて今にも臨界りんかいを迎えようとしている。


 ――ああそうかい。


 出てこないってんなら、あぶり出すまで。

 五味村はスマホを取り出し、三けたの番号をタップした。


「――もしもし、あ、あの……不審な外国人を近所で見かけたんですけれど……」


    ◇


 ベーヴェルス母子が天方あまかた家から姿を消して、今日で四日。

 あの夜から、理世りせとさくらは毎日二人を探して回っていた。


「ここは……この前見た……」


 国道一号線バイパス近くを流れる川の、橋の下をのぞき込んでつぶやく理世。

 町内にあるいくつかの公園はもちろん、神社や寺の境内けいだいや、田畑の近くに点在する農機具小屋など、サンドラたちが身を寄せていそうな場所にはとにかく片っぱしから足を運んだ。


「いない……」


 天方宅から南へ十数分歩くと、駿河湾に出る。


 その海岸線に沿って、千本せんぼん松原まつばらという松林まつばやしおびのように広がっている。

 千本と言いながらそのじつ、三十数万本以上あると言われるその松林の中を通る小径こみちを歩きながら、再び理世はつぶやいた。

 その表情は真剣そのものであり、顔色も心なしか青白く見える。


 ――ベーヴェルス母子がいなくなったことで、天方家の三人のうち、特に理世の憔悴しょうすいぶりはひどいものだった。


 兄である聖斗せいとを失ったあの日以来、消えていた笑顔。

 サンドラとリウスのおかげでそれがようやく復活したと言うのに、あの太陽のような理世のわらい顔は、またしてもぴったりと封印されてしまったかのようだった。


「理世、もう暗くなってきたわ。今日はそろそろ戻りましょう」

「うん……」


 なま返事をしながらも、理世はせわしく首を左右に振って、求める人たちの姿を追いかけ続けている。


(無理もないわ……)


 意気消沈しょうちんしているのは、さくらも同じだった。


 ――守ってあげられなかった……


 その後悔は、サンドラたちが消え去って以来、彼女の胸をえずめ付けていた。

 結局あの二人が何者だったのか、正確なところはほとんど分からないままだ。

 サンドラの口からきちんと確かめられたのは、彼らが地下に住んでいたこと――ただそれだけである。


(でもそれだけじゃ、結局何も知らないのと変わらないのよね……)


「やっぱり海岸の方には来てないのかな……」


 理世が肩を大きく落としてうつむく。


「まあ野良猫はいるけど……人間じゃあ住むにはちょっと不向きかもね」

「うん……食べるものだってなさそう……」


 さくらは手持ちの懐中電灯をけた。


「さ、また明日にしましょう」

「うん……」


 家のほうを向けるさくらに、今度は理世も素直についてくる。

 さくらは娘の右手を取った。


「明日は、また家の西を探しましょうか」

「うん……ねえ、お母さん」

「ん?」

「サンドラたち……お腹かせてないかなあ……」

「うーん……どうだろうね」


 さくらは左手に持っているレジ袋に目を落とした。

 中には、もうすっかり冷めてしまった中華まんやペットボトルの紅茶、サンドイッチなどが入っている。


「だって、サンドラもリウスも、あたしたち以外に知り合いいないんだよ? お金だって持ってないし……」

「一応、少しだけどお金なら持たせてあったのよ」

「え……そうなの?」

「ええ、旅行に行った時に、何かの時のためにってお財布をね」

「いくら?」

「んー……二、三千円くらいだったと思うわ」

「それなら!」


 理世の顔がぱっと明るくなった。


「コンビニとかで、買い物してるかも!」

「そうねえ……お母さんもそれは思ったけど」

「ダメなの……?」

「お買い物していたとしても、いつまでもその近くにいるとは限らないんじゃないかしら」

「……そっかあ」


 たちまちしおれてしまう理世の表情を見て、さくらはなぐさめるように言った。


「でも、どっちの方角ほうがくに向かったかくらいは分かるかもね」

「……うん」

「じゃ、明日は西の方にあるコンビニから聞いてみよっか」

「うん」


 にぎる理世の手に、少しだけ力がこもるのが分かった。


    ◇


 その翌日。

 消失事件の現場である今岡いまおか小学校を、ある視察の一行いっこうおとずれた。


 一時期の熱気こそ流石さすがうすれはしたが、今でも現場には、昼間になるとそれなりの人数が相変わらず見物をしに来ている。

 そんな物見遊山ものみゆさんの連中を追い散らすように、その一行はやってきた。

 現場とその付近には警備にあたる警察官が多数配置され、あた一帯いったいは物々しい雰囲気につつまれた。


 そんな中、ある二人の警官が現場の草むらを歩いていた。

 例の、突然現れたというあの草っぱらである。


「おわっ!」


 彼らのうちの一人が、突然体勢をくずした。


「おいおい、どうしたよ」


 もう片方の警察官があきれた顔で言う。


「いや……何か穴がいてるみたいで……いてて」


 左足を膝上ひざうえまで穴に突っ込んでいるような体勢の警官は、突然の出来事に混乱している。

 とりあえず穴から出ようと、右足でん張ったところ――――


「うわ――――――――――!」


 と言う声を残して、姿を消してしまった。


「お、おいっ!」


 残された警察官は慌てて、片割れが消えていった穴をいつくばってのぞき込む。

 穴の中は真っ暗で、何も見えない。


「何だこれ……おーいっ、大丈夫かーっ!」


 いらえは……ない。

 突然起きた異変に、周囲で警備に当たっていた他の警察官たちが集まってきた。


    ◇


 その日、現場からの報告を急遽きゅうきょ受けた所轄しょかつ署の署長は、久しぶりに頭をかかえることになった。


 所轄内で起きた意味不明の事件――「今岡小学校一部消失事件」についてはひと通りの現場検証が終わり、何らかの犯罪行為の結果起きたものではないという結論に達していた。

 捜査本部は縮小され、日常と言っては語弊ごへいがあるだろうけれど、まあまあいつもの日々が戻って来ていたのだ。


 ――そこにこの報告である。


「署長! 穴が! 若い巡査が一名落ちました!」


 大あわてで署長室に飛び込んできた部下の報告はどうにも要領を得ない。

 彼は顔をしかめた。

 落ち着いて順を追って話すようたしなめて、ようやく判明した事実は、


 ・今岡小に突然現れた例の草原くさはらの中に、人が通れるほどの穴がいていた。

 ・警備に当たっていた巡査の一人がそうと知らず足を突っ込んでしまい、出ようと踏ん張った際にもう片方の足も土を踏み抜いてしまい、穴の中に落ちていった。

 ・落ちた者の安否は現在不明。

 ・穴は地表に対して斜めに通っているが相当に深いと思われる。

 ・現状では底が分からず、大至急救助が必要な状況である。


 とのこと。


(校舎に大穴がいたかと思ったら、今度は地面かっ!)


 しかし、署員が落ちたと言うのであれば、一刻も早く対応しなければならない。

 現状を認識した署長は、十秒ほど考えてから必要な指示をてきぱきと出したあと机上きじょうにある電話の受話器を取った。


「――――――もしもし――はい、木崎きざきです。はい……はい、犬養いぬかい課長にご報告しなければならないことが――――」


    ◇


「ふーむ……」


 受話器を置いた男は、小さな声でうなった。


 彼の名は、犬養いぬかい宗久むねひさ

 S県警察本部警備けいび外事がいじ課の課長である。

 彼は木崎きざきからの報告を受け、しばらく腕を組んで考え込む。


(現場に、穴、か……)


 いくつかの可能性が考えられるが……早急さっきゅうに調査しなければならない。

 犬養はとりあえず現場や関係者には緘口令かんこうれいを敷き、情報が拡散するのを防いだ。

 穴が一体どんなものなのか、現時点では分からない。

 もしその先に犯罪集団のアジトでもあれば、こと・・だ。


(それに……)


 時をほぼ同じくして、現場周辺に不審な外国人が出没したという情報も上がってきており、犬養は何か引っかかるものを感じていた。

 おまけに、からの指示も、ある。


 ――犬養は数分で考えをまとめると、彼もまた受話器を取り、ある番号へと通話をこころみるのだった。

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