第二章 第05話 成就

 約一月ひとつきほど前に開かれた、銀条ぎんじょう会主催の「こども茶寮さりょう~するが~」のおり


 朝霧あさぎりあきらは、かがみ志桜里しおりを初めて食事にさそった。

 白銀しろがね紫乃しのとその娘のひとみあきら同僚どうりょうである銀月ぎんげつ真夜まよら三人がこっそりと見守る中で。

 それ以来、暁と志桜里しおりは何度か逢瀬おうせを重ね、本当にゆっくりと少しずつ、だが確実にその距離をちぢめていった。


    ◇


 そんな二人は、今、F市南西部にある岩本山いわもとやま公園に到着した。


 海抜かいばつ二百メートル弱の丘陵きゅうりょう地頂上部に整備された、自然公園である。

 通称「レオの森」とも呼ばれている。

 何故なぜそう呼ばれているのか、その由来をあきらは知らない。

 結構な昔から、誰ともなしにそう呼んでいるということである。


 ――残暑いまだ厳しい九月中旬ではあるが、が沈めば、隣りを歩く志桜里しおりの髪を柔らかく揺らす風は、すで初秋しょしゅうの気配である。


「今日は、ここからの景色を、かがみさんに見せたかったんですよ」


 時刻は午後六時半。

 西の空に太陽の姿はもうないが、あかね色の余韻よいんはまだ残っている。


「それで、今日の夕ご飯は少し早かったんですね」


 志桜里が答えた。

 二人は先ほど、岩本山ふもと近くのレストランで夕食を済ませていた。

 暁の希望で、チーズフォンデュコースを選んだ。


「鏡さん、家に帰ったあとに……おなかいちゃいますかね?」

「私は――大丈夫ですよ?」

「ええ、ホントですかぁ?」

「――もしかしたら……何かつまんじゃうかも、ですけど……」

「太りますよ?」

「もうっ……」


 ――もしここに白銀しろがねひとみがいて、彼らの会話を聞いていたとしたら……


 アイシングたっぷりのドーナツにメイプルシロップをどばどばかけて、上からアイスクリームをでんと乗せたスイーツを食べたような顔――――いや、これは案外イケるか。

 まあともかく、いつものようにげんなりした表情を見せたに違いない。


 ――しかし、二人の距離は、お互いの肩が触れるか触れないかのぎりぎりをまだたもっていた。


「えーっと、あっちかな……」


 駐車場を出て、公園の中に入った二人は、暁の先導で南東へ向かう歩道を進んだ。

 大きな四阿あずまやのようなものと、カフェの建物が見えてくる。

 カフェは既に閉店しているようだ。


 そのまま歩いていくと、視界をさえぎるものが次第しだいに減っていき――――夕闇ゆうやみに浮かび上がるF市と遠くに駿河するが湾、そして残照ざんしょうの美しい群青ぐんじょう色の天球てんきゅうが視界に飛び込んできた。


「わあ……!」


 思わず志桜里はけだしていた。

 張出はりだ展望てんぼう台という展望デッキでは、既に数組すうくみのカップルが眺望ちょうぼう見入みいっている。

 暁と志桜里も、はからずもその仲間入りをすることになった。


「すごい……ですね」

「ええ……」


 志桜里の感想に、言葉少なに答える暁。

 彼の自宅があるF市。

 その市内にあるこの夜景スポットを、暁は初めて訪れたわけではない。


 岩本山公園は昼間でも眺めがよく、桜を始め梅や躑躅つつじ石楠花しゃくなげ等、四季折々の植物を楽しめたり、広い芝生の広場があったりと、市内でも人気の場所である。

 このまちで生まれた暁は、幼いころから何度も家族で出掛けたし、幼稚園や学校の遠足でおとずれたりもした。


「何だか……宝石が散らばっているみたい、です……」

「ええ……」


 夜景の美しい場所と認識したのは、彼が大学生の時、仲間数人と遊びに来た時だった。

 「レオの森」という通称を知ったのも、その当時の事だった。


「すごく……きれい」

「ええ……」


 真昼間まっぴるまいたら、ちょっと気障きざで胸焼けしそうな台詞せりふも、この時間のこの場所ではちょうどいい塩梅あんばいに聞こえるようになる。


 ――残念ながら暁にそんな気のいたものが思いつくはずもなく、馬鹿みたいに同じ相槌あいづちを繰り返すしかなかったのだが。


「……」

「……」


 しかしとうの志桜里に、そんなことで機嫌を損ねるような素振りはない。


 ――彼女はこの一月ひとつきほどのあいだで、暁の為人ひととなりはある程度理解していた。


 今日が、四回目の食事だった。


 暁の仕事の関係で、誘われるのは水曜日がほとんど。

 最初の食事は、何とN市内のうなぎ屋だった。

 メッセージアプリFINEファインで、「うなぎ、食べませんか?」と言う通知を見た時には、志桜里は思わず二度見してしまった。


 しかし、


初デート・・・でうなぎ……アリなのかな?)


 と、天然ぶりを発揮はっき

 後日ごじつ、高校時代からの親友である真波まなみにそのことを話したら、最初は大笑いされて彼女は何故なぜかむっとしてしまう。


「でも、何か面白いじゃん。そのかれぴっぴ。うなぎ、美味しかったんでしょ?」

「う、うん、まあね……」

「あたしも見てみたいなー、そのかれぴ」

「ちょ、それは……だめ」


 と言う会話をて、志桜里の機嫌きげんも治った。


 二回目の食事は、N市内を流れる狩野かの沿いにある「かのがわかぜのテラス」で、定期的に開かれているランチマーケットだった。


 狩野川の堤防ていぼう沿いにお洒落しゃれな屋台ふうの店がいくつも出ていて、文字通り風に吹かれながら食事に舌鼓したつづみを打つことが出来るのだが、割と近いところに住んでいる志桜里も知らないところだったのだ。


 大学生のデートと言えば、クラスメイトたちの話などから、小洒落こじゃれたレストランでコース料理をナイフフォークで上品にいただき、そのあとは隠れ的なバーでカクテルグラスなどをかたむける――。


 そんなテンプレ展開が普通だと思っていた志桜里しおりには、あきらのちょっとはずした感じのデートプランがむしろ新鮮で、あまり肩のらない、楽しいものに思えた。


「朝霧さんのおうちって、ここから見えるんですか?」

「うち? ……うーん、あの辺かなあ」


 そう言って、曖昧あいまいゆびさす暁。

 そんな彼が横に立っていることに、志桜里は安心感をおぼえるようになっていた。

 それより何より、「不可思議な事件で父親を失った者同士」という、滅多にめぐり会えない同じ境遇にいる存在に強烈な想いシンパシーを感じていたのだった。


 ――それからしばらくのあいだ、二人は眼下がんかに広がる光の海を、黙ってながめていた。




 ……と、あきらが口をひらいた。


かがみさん」


「……はい」


 暁は手すりに両ひじをかけ、視線を前方に向けたまま、言った。


「僕と――――付き合ってもらえませんか?」


 彼のつぶやきのような告白は、ゆるやかに吹く風に乗って志桜里の耳に優しく届いた。

 彼女もまた、星の光と街のあかりを見つめたまま答えた。


「はい」


 何の逡巡しゅんじゅん躊躇ためらいもなく、自然と口からするりとすべり出た言葉だった。

 そこで初めて、暁は志桜里のほうに向きなおった。


 そして――あの出会った日と同じように右手を差し出した。


「よろしく、お願いします」


 にっこり笑う彼の手を取り、志桜里は優しく握り返した。

 あの日感じたような戸惑とまどいはもう、ない。


「――こちらこそ、よろしくお願いします」

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