第二章 第04話 アディアウーラ

 天方あまかた理世りせ暴漢ぼうかんに襲われ、あわやかどわかされようとしたところを、偶然通りかかった女性に助けられた。

 怪我こそ擦過傷さっかしょう程度で大したことなかったものの、幼い彼女の心はそれなりに大きなダメージを受け、ベーヴェルス母子おやこが見守る中、理世は夕食も取らずに眠り続けた。


 ――そして、その夜遅く。


    ◇


 天方家一階いっかいの客間で、アルカサンドラ・ベーヴェルスとエルヴァリウス・ベーヴェルスの母子おやこが向かい合って座っていた。

 こちらの世界に来て覚えた胡坐あぐらをかいて、畳の上で向き合っていた。

 シーリングライトの常夜灯じょうやとうが、二人をだいだい色にあわく照らしている。


準備フォルベルードはいい? リウス」

「うん、母さんマァマ


 布団ふとんの上に座る二人のあいだには、リュックサックが二つ並んでいる。

 それぞれのリュックには、キーホルダーがぶら下がっていた。

 それは――あの富士五湖方面一泊旅行で、五人で買いそろえたものだった。


「これ以上ここにいては、あの人たちの迷惑ジェナンダになるわ」

「そうだよね……」

「まだあのフェム仕業しわざだと決まったわけじゃないけれど」


 アルカサンドラ――サンドラは一度言葉を切って、天井てんじょうを見上げた。

 彼女の視線のさらに先では、あの優しくて可愛らしい娘が眠っているはず。


「りせがあんな目にってしまったのなら、もうぐずぐずしてはいられないわ」

「うん……でも」


 少しだけ、リウスの声音こわねに不安が混じる。


行先ゆきさきに、特にてはないんだよね……?」

「ええ……」

「僕たちが出て行ったら……りくたちはどう思うかな?」

「そうね……」


 サンドラは目を閉じた。

 彼女の脳裏のうりに、ここ一ヶ月ほどの思い出メヌエスが浮かび上がる。


 ――天方あまかた家との日々……。


 いつの間にか、地中に閉じ込められて絶望していた時のこと。

 息子と協力して、かろうじて地上への道を切り開いたこと。

 さくらと理世りせに、救われたこと。

 得体えたいの知れない自分たちを、りくたちが優しく受け入れてくれたこと。

 

 初めて乗ったくるま・・・

 初めて見た、美しい地上の世界。

 にわのはな・・・・・そそぐ水が、陽光ようこうきらめくさま

 自分のマーニをにぎる、りせの小さくてあたたかな手のぬくもり……。

 嬉しそうに自分たちの名を呼ぶ、彼女の声……。


 ――そして……今日の当たりにした、あの胸をえぐるような泣き顔。


「きっと」


 サンドラは、静かに流れる涙をぬぐいもせずに続けた。


「あの人たちは、悲しむと思う。とても優しい人たちだから」

「……」

「だからこそ」


 そして、眼を開くと決然と言い切った。


「これ以上、あの人たちに甘えてはいけない。……そうでしょう? リウス」

「うん。僕もそう思うよ、母さん」

「だから……行きましょう」

「うん」


 二人はリュックサックを背負しょった。

 一泊旅行の時のために、陸たちが買い求めてくれたものだ。


 リビングに通じるふすまを、そっとける。

 暗闇くらやみの中、サンドラとリウスは静かに玄関へと向かい、そろえて置かれていたまだ新しい靴をいた。


 サムターンをゆっくりと回し、ドアを開ける。

 二人を真夜中の空気がつつんだ。

 初秋しょしゅうの、少しひんやりとした空気だった。

 サンドラは振り返ると、天方の家を見上げて小さくつぶやいた。


お別れねアディアウーラ……ありがとう――――さようなら」


 ――そのまま母子おやこの姿は、長月ながつきやみの中へ、音もなく溶けていった。


    ◇


 ――天方あまかた理世りせは、突然目をました。


 夕方からずっと眠っていたからだろうか。

 こんな中途半端な時間に目覚めてしまった。

 枕元の時計を見ると、午前一時を少し回ったところである。


 のどかわきをおぼえた理世は、階段をりてキッチンに向かった。

 冷蔵庫には、彼女と彼女の兄が好きな乳酸菌飲料が冷えているはずだ。


 暗い家の中を、慣れた足取りで危なげなく理世は歩く。

 キッチンにたどり着いた彼女は、手さぐりで照明をつけた。


「う……」


 暗闇くらやみに慣れた目に、シーリングライトの光が突き刺さる。

 思わずまゆしかめながら、理世は自分のグラスを食器だなから取り出すと、冷蔵庫に入っていた紙パックの中身をなみなみとそそいだ。

 うぐうぐと一気に飲み干し、人心地ひとごこちついた彼女はふと、ダイニングから続くふすま見遣みやった。

 その奥では、一月ひとつきほど前から同居している不思議な母子おやこが寝ているはず。


 ――アルカサンドラとエルヴァリウス。


 何故なぜだろうか。

 自分でもよく分からないのだが、理世はこの二人に、おかしいくらいに心を許すことが出来ていた。

 兄――天方聖斗せいと――がいなくなったことで、ぽっかりといてしまった穴は今でもまるでふさがってはいないが、その穴のいた心ごと、二人はつつみ込んでくれているように理世には思えた。


 親戚の叔母おば……従兄いとこ……?


 両親とも実家が飛行機の距離にあるので、そうしたたとえもあまりしっくりと来ない理世だったが、ともかく兄を失った悲しみを、二人が相当にいやしてくれていることは間違いなかった。


(……?)


 ふと、理世は違和感をおぼえた。


 ふすまの、奥。

 二人が寝ているはずの、場所。

 どうしてなのか、そこから寒々とした空気が流れてきているような気がしたのだ。

 理世はからのグラスを持ったままふすまに近付いた。

 音を立てないようにそっとけてみる。


 ――客間の中は……真っ暗だった。


 キッチンかられるおびのような光が、室内の畳をほそく照らし出している。

 理世は思わず、襖を大きくはなった――――


 ――彼女が暗がりの中にうっすらと見たものは、丁寧ていねいに畳まれて部屋のすみに寄せられている布団ふとんと、がらんとした無人の室内だった。


「え……?」


 彼女は、恐る恐る部屋の中へと足を踏み入れた。


「サンドラ……?」


 照明をつけようと壁に手を伸ばす理世。


「……リウス?」


 ようやく探し当てたスイッチを押す。

 そして、天井のまばゆい光に照らしだされたのは――探す二人がもうそこにはいないと言う、彼女にとってこの上なく残酷な現実だった。

 サンドラたちが去ってまだ三十分もっていないはずだが、すでにその部屋からは人がいたあたたかみとでも言うべきものが、急速に失われつつあった。


「どう、して……?」


 手にしていたグラスが、すべり落ちてころころところがる。

 その先に、一枚の紙とボールペンが置かれているのを、理世は見つけた。


 ――――――――――

 りく

 さくら

 りせ


 わたし と りうす いきます ほか


 ありかとお

 ちよなら

 ――――――――――


 そこには、たどたどしい文字で、アルカサンドラとエルヴァリウスからの別れの言葉がつづられていた。

 F市のショッピングセンターで買った、ひらがなの練習帳。

 サンドラとリウスは、一生懸命勉強していた。


 ――みるみるうちに、理世の瞳に涙があふれる。


「どうしてっ!」


 理世は手紙をにぎめると、走り出した。

 玄関で靴をつっかけ、かかとをしまう時間すらしい勢いでドアを乱暴にけ、そのまま外にまろび出る。

 時ならぬ物音と娘の声に、二階では陸とさくらが起き出す気配がした。


「サンドラっ!」


 理世は通りに出ると、左右を見渡した。

 人影は――ない。


「リウスっ!」


 正面には、黄色と黒のバリケードの向こうに今岡小学校が不気味にたたずんでいる。


 ――もしかしたら、前にいた穴の中に戻ったのかも知れない……――


 理世は、かつてサンドラとリウスを助け出した、あの草原くさはらの中の穴に向かった。

 果たしてその穴は、もうほとんど周りの草むらと区別がつかないようになってしまっていた。

 理世とさくらはサンドラたちを助け出したあと何故なぜかその穴をそのままにしておいたらよくないような気がして、土や草を上からかぶせておいたのだ。


「違う……ここには、来てない……」


 カムフラージュした時そのままの地面の状態に、絶望にまみれて理世がつぶやく。

 それなら、と通りに戻って町内を探し始めようとした理世の前に、りくとさくらが玄関から現れた。


「理世!」

「どうしたの!? こんな時間に!」


 二人は寝間着ねまきのまま、薄手うすでのコートを羽織はおっている。


「サンドラが……リウスが……」


 再び目に涙をいっぱいにあふれさせた理世が、握りしめていた手紙を差し出して叫んだ。


「いなくなっちゃったーーー!!」

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