第二章 第02話 蒼白

 九月のある朝、登校しようとした天方あまかた理世りせが玄関を出たところで、足下あしもとの階段に動物の――彼女によれば犬の――排泄はいせつ物が置かれているのを見つけた。

 しらせを受けた天方さくらは、四度目のそれ・・・・・・を片付けながら、そもそもの原因とおぼしき出来事を思い出した。


 ――それは、近所に住む五味村ごみむらという女との確執かくしつの記憶であった。


 そして、その日の夜。


    ◇


「あなた、またなのよ」


 二階にある天方りくの書斎兼自室にて。

 さくらは今朝けさの出来事を夫に話していた。


「うーむ……」


 陸が腕を組んでうなる。


 時刻は午後十一時過ぎ。

 理世りせも、ベーヴェルス母子おやこもとっくにとこいている。


「やっぱり、五味村ごみむらさんなのか?」

「そうみたいね。お向かいのかたが教えてくれたわ」

「そうか……」


 五味村のスマホをめぐる騒動以来、始まった嫌がらせ。

 それから一月ひとつき近くのあいだくだんの犬?のふんを置かれることもあれば、届いていた朝刊がばらばらになって玄関先に散らばっていることもあった。

 シンプル?に生ごみがぶちまけられていたこともあったし、より悪質さを感じさせるケースでは、車の運転席側のドアノブの内側に、接着剤らしきものが大量に塗られていたことすらあったのだ。


 接着剤の件は、使われていたものが幸か不幸か木工用ボンドらしかったので、原状復帰に手間はかかったものの、それほどの大事には至らずに済んだ。

 さすがに看過かんかできないレベルにエスカレートする恐れを感じた二人は、皆が寝静まったあとこうして今後の対策を相談することにしたのだ。


「ちょっと変わった人だとは思ってたけど、まさかこんなことになるとはなあ……」

「一度ちゃんとおはなしして、めてもらう必要があるわね」

「うーん……あちらさんは家族とかいるのかい?」

「確か――旦那さんがいらっしゃるはずだけど、単身赴任中だって聞いたわ」

「お子さんとかは?」

「いないんじゃないかしら……」

「そうか……」


 しばしのあいだ、陸は腕を組んで考える。

 さくらは、夫の思考を邪魔しないように、口を閉じた。


(でも……何の策もなしにはなしに行っても、らちかない気がするわ……)

(きっと、とぼけられておしまいになると思う……)


「なあ、さくら」

「はい」


 考えがまとまったらしく、陸は妻に話しかける。


「ご近所さんの情報から、やったのは五味村さんだと分かってはいるけれど、今のところ何の証拠もない」

「そうね」

「このまま突撃しても、多分しらばっくれられておしまいだと思う」

「でしょうね」

「だから――ちょっと迂遠うえんかも知れないけどさ、先に証拠を集めようと思う」

「うん」

「仮に警察とかに相談するにしても、ちゃんと証明できるものがあった方がいいだろうしね」

「私もそう思う」

「明日、ちょうど休みだからさ、ホームセンターに行って防犯カメラを買ってくるよ。本当は気分転換にあの二人も連れて行ってやりたいところだけど……」

「そうね……ここのところ、ちょっと気詰きづまりな思いをさせちゃってるからね。まあでもそれは別の機会に作りましょう」


 あれほど毎日楽しそうに水りをしていたリウスは、一月ひとつき近く前に起こったスマホ事件以来、庭に出なくなった。

 大きなめ事になってしまったことに責任を感じているらしい。

 サンドラにも気にしないようにと伝えていたが、彼女も息子リウス同様に落ち込んでしまっている。


「とにかく」


 さくらは言った。


「あの二人はなーんにも悪いことはしてないんだから、こんな馬鹿げたこと、さっさと蹴りをつけちゃいましょう」


    ◇


 そして翌日、予定通り天方あまかたりくはホームセンターに出掛けて必要なものを調達した。

 玄関前が撮影できるように動体どうたい検知機能付き防犯カメラを設置、車の付近にも大き目のダミーカメラをこれみよがしに取り付けた。

 こうしてはっきりと警戒していることを示せば、さすがにしばらくは自重じちょうするだろうという陸たちの予想は――――見事に裏切られることになった。


 何と――設置した翌朝から早速、朝刊を抜き取り、玄関ポーチにバラ五味村ごみむらの姿が記録されていたのだ。


「……カメラのことなんか、全く気にしてないみたいだね……」

「マスクをつけてるからって、油断してるのかしら……」


 そしてその翌朝には、五味村は大きな黒いポリ袋を手にしており、それをおもむろけたかと思うと、中身を敷地内にぶちまけている様子がうつっていた。


 その時刻は午前四時過ぎ。

 東の空はすでに朝焼けに染まり、多少暗いとは言え十分じゅうぶん視認しにんできる明るさの中でのことだ。


 陸たちは……あきれた。


 ――さらにその翌朝、五味村がレジ袋のようなものを裏返して、何かをぼとぼとと玄関前に落としていく場面がはっきりと記録されていた。

 おまけに彼女は、カメラに向かって「あっかんべー」までしてみせたのだ。


 ……たった三日で、十分すぎるほどの証拠がそろってしまった――。


 五味村の犯行であることの裏取りとしては成功に終わったのだが、陸たちは別の心配に悩まされることになった。


 ――この人に、まともな話が通じるのだろうか……と。


    ◇


 ――――ところが。


 五味村ごみむらの反応は、予想に反したものだった。


 ――りくとさくらは、証拠がひと通り集まったその晩、理世りせたちに留守番を頼むと、証拠の入ったスマホを手に五味村の家に向かった。


 インターフォンのボタンを押すと、妙に平坦へいたんな女性の声が返ってくる。

 陸が名乗り、話があると告げると、思いのほかあっさりと二人は玄関に通された。


「失礼ですが、旦那さんはいらっしゃいますか?」


 陸の問いに、五味村はいないと答える。

 天方あまかた夫妻としては、冷静にそして効果的に話し合いをするためには、先方せんぽうの夫が同席した方がいいと考えていた。

 しかし、いないと言うのならば仕方ない。


 ――とりあえず五味村に、二人を奥まで通すつもりはないようで、玄関スペースでやり取りは始まった。


 最初のうちは、陸の事実確認に対して五味村はしら・・を切っていた。

 しかし……陸の横でさくらがスマホを取り出し、証拠映像を流し始めたその途端とたん――――


 ――――何と五味村は、その場でがばりと土下座を始めたのだった。


 いわく、しばらく前から夫は単身赴任ふにんを始めた。

 曰く、そのために寂しさがつのっていた。

 曰く、そんな時に天方あまかた家で外国人が暮らしているのを見つけた。

 曰く、楽しそうにしている様子が、うらやましくてまぶしかった。

 曰く、そのの中に自分も入りたかった。


 そうした内容を嗚咽おえつ混じりに告白され、ひたいやぶけんばかりにこすりつけられるさまの当たりにすると、陸とさくらはそれ以上追及ついきゅうすることが出来なくなってしまった。

 しかし一応と、今後このようなことを決してしないという、あらかじめ用意していおいた念書に氏名と捺印なついんをもらうと、天方夫妻ふさい五味村ごみむら家をしたのだった。


 ――とびらまったあと真顔まがおに戻った五味村がスマホを取り出し、どこかに電話をし始めたことなど、二人は当然知るよしもなかった。


    ◇


 ――そしてその二日後、病院からの電話に、天方あまかたさくらはあおざめることになったのだった。

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