第二章 追う者追われる者
第二章 第01話 奇禍
お盆休みに
ほぼ
天方
そして物語は、旅行から
◇
「お母さーん……」
先ほど玄関を出て、学校へ送り出したはずの娘の声が聞こえる。
忘れ物をしたのなら、いちいち自分を呼んだりせずに、さっさと取りに戻って再び出ていくのがいつもの
この時点で、キッチンから手を拭き拭き出てきたさくらは、じわじわと嫌な予感が
「どうしたの? 理世」
「また……あったよ」
「また?」
「うん」
「あったって……もしかして」
「うん――――犬のうんち」
ふー、とため息をつくと、さくらは玄関のドアを
理世も
「そこ……」
「あらあら……」
ポーチの先に二段ほどの階段があるのだが、その一段目の真ん中に
しかしそれより何より、同じような事態が今回で四回目であることこそを、彼女は
「お母さんが始末しとくから、あなたは学校に行きなさい」
「うん、分かった」
そう答えて、理世はとぼとぼと学校に
娘の背中を見送りながら、さくらはもう一度大きな
「さくら、なにか、ある?」
「うん、大丈夫よ」
そう言いつつも、ちっとも大丈夫な顔をしていないだろうことは、さくら自身も分かっている。
目の前に立つ、レッドブラウンの髪をした女性の名は、アルカサンドラ・ベーヴェルス――サンドラと呼ばれている。
さくらたちは知る
当然話す言葉は違っているのだが、本人たちの努力と周囲の協力で、特に母親の
さらに
「わたし、と、りうす……さくら、こまる、か?」
「違うわ」
さくらはサンドラの左手を取ると、彼女の深い海のような
「あなたたちのせいじゃない。あなたたちは――何も心配しなくていいの」
「……わかった」
何となく悲し気な
そして――あの楽しかった一泊旅行の翌日に起こった、ある出来事を思い出していた。
※※※
「みず、やる」
一泊旅行から
朝食は先ほど
彼が昨晩、
それでも、二日間遊び倒しつつも、長時間の運転をしていたことで疲れが
娘の
――そんなわけで四人で朝食をとった後、食器の片づけを始めたサンドラを見て、エルヴァリウス――リウスは、昨日までの旅行の疲れを
「いいわよ、お願いね」
朝の水
さくらはいつものように、気軽に応じた。
「あたしも一緒にやる! 行こう、リウス!」
理世がそう言いながらリウスの手を取り、二人でリビングから直接庭に出ていった。
――――――
――――
――そうして、さくらがサンドラと台所の洗い物を終え、ひと息つこうとした時だった。
「お母さーん! お母さーん!」
「――――! ――!」
理世が必死にさくらを呼ぶ声が聞こえてきた。
別の誰かの、何か
さくらとサンドラは顔を見合わせ、声の元に急ぐ。
「お母さん!」
そして、庭に出たさくらたちの目に
「これは……一体どういうことなの?」
状況が全くつかめないまま、さくらは
「お母さん、あのね、五味村さんがね、スマホで――」
「ちょっと、
さくらがやってきたのを見つけた五味村が、
すごい
「この男を何とかしなさいよ! 私のスマホを!」
見ると、リウスが右手に
彼が自分のスマホを持っているわけもないし、五味村の言葉から考えればそれは目の前でキーキー言っている女性のものなのだろう。
そうだとして、
「あ、あの、五味村さん、何がどうしたんですか?」
「この男が、私のスマホを
「ええ!?」
「ちょ、返しなさいよ! この!」
五味村が飛び上がってスマホを取ろうとするのを、リウスはひょいと
さくらは反射的にそれを受け取る。
「返しなさいよ! 天方さん!」
「えーっと、リウス?」
「……」
エルヴァリウスは、悲しそうな瞳でさくらを見つめている。
「リウス、これは五味村さんのものなの?」
「そう言ってるでしょ! 早く返しなさい!
黙って
(落ち着かなきゃ)
どうやら
そして、リウスがそれを彼女から取り上げたようなのだが……
「お母さん、あのね、あたしたちがお花に水をあげてたら、あのおばさんが来たの。そしたらね、おばさんがリウスをスマホで
「いいから早く返しなさいよ! 返せ!」
(そうか……)
サンドラやリウスは、スマホで写真や動画を撮影できることは知ってる。
昨日までの旅行中に、リウスたちを見て何人かの人たちが「撮らせてくださーい」と申し出てきたが、二人の身の安全のために
「理世」
「……ん?」
「もうこれ、
「ちょっと、何しゃべってんのよ!」
そう
「んーと、まだだと思う。あのおばさんがスマホをこっちに向けたらすぐに、リウスが取っちゃったから」
「そう……」
「返せ!」
さくらがほっとため息をついた瞬間、彼女の手から五味村がスマホをひったくる。
「五味村さん」
「何!」
「今、娘が言ったことは本当なんですか?」
「何がよ!」
「あなたが、リウスをスマホで撮影しようとしたことです」
「あぁ!?」
五味村がさくらを
「そんなわけないでしょ!? その男が勝手に勘違いしただけよ!」
「そうですか……娘たちが失礼しました」
「お母さん!」
そう言って深々と頭を下げるさくらを見て、理世が絶望に
さくらは娘を目で制して、鼻息を荒くしている五味村に向き直る。
リウスも目を見開いている。
「勘違いでしたら申し訳ありません。ですが、今後も無断で撮影するようなことはどうかご遠慮ください」
「してないって言ってるでしょ!?」
「分かっております。では、そろそろ……近所の方の目もありますし」
さくらがちらと視線を横に向ける。
隣りや向かいの家の窓から、いくつか顔がのぞいているのが見えた。
それに気付いた五味村は小さく舌打ちをして、
「ふんっ、いい? あんたたち、覚えてなさいよ!?」
と、捨て台詞を残して歩き去って行った。
「さ、中にはいりましょ、二人とも」
さくらは、何とも言えない表情をしているさくらとリウスの背中を、ぽんぽんと軽く叩いて
――リビングでは不安そうな表情のサンドラが三人を出迎える。
「お母さん! どうして!?」
外へ続くガラス戸が閉まるや
「どうしてお母さんが
「分かってるわよ、理世。あなたもリウスも何にも悪くないわ」
さくらは
「リウスは、前に私たちが言ったことをちゃんと覚えててくれたのよね」
旅行に行く前から、近所の住人から一緒に写真を撮って欲しいと言われることがあったのだが、さくらは色々と理由をつけてやんわりと
それはもちろん、
「
サンドラが何事かをリウスに伝えている。
恐らく、ガラス越しにも声は聞こえていただろうから、ある程度の状況を
硬い表情だったリウスが、ほっとしたようにため息をついた。
「でも……やっぱりお母さんが謝るなんて変!」
「あのね、理世」
どうにも納得のいかない顔の理世に、さくらが優しく言葉をかける。
「もしもね、やかんのお湯が
「……やかん?」
さくらは例え話をしようとして、
少なくとも理世の物心がついた頃からは、ほとんど電気ケトルなのだ。
「あーっとっと……それじゃね、もしお
「お鍋のお湯?」
やかんやら鍋のお湯やらと、母親が何を突然言い始めたのか理解できない理世は、
「んー……火を止める、かな」
「そう!」
娘がよく分からないなりに
「だからね、お母さんはさっき、まずは火を止めたのよ」
「……?」
(ちょっと分かりにくかったかしら)
「五味村さんのお湯が
「……お母さんが謝って、あのおばさんの火を消したってこと?」
「まあ、そういうこと」
「ふーん……」
今ひとつ納得のいかない顔の理世。
(と言っても、火を消しただけなんだけどね……)
そして、二階から夫が降りてくる足音が聞こえてきた――――。
※※※
(で、結局また火がついて、
回想するだけでしくしくと胃が痛くなる。
――さくらは心の中で
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