第一章 第42話 誘い

 片付けも終わり、子どもたちや親たちも帰ったあと

 お疲れさまでしたーと、ボランティアたちも挨拶あいさつわしながらそれぞれの家路いえじにつく。

 そんな中、特に示し合わせたわけでもないのだろうが、朝霧あさぎりあきらかがみ志桜里しおりが連れ立って玄関を出て行った。


 そして、二人をこっそりと追う影が三つ・・


 ――と言っても、あまりに露骨過ぎても流石さすがにマズいわけで、白銀しろがね紫乃しのと娘のひとみ、そして銀月ぎんげつ真夜まよはボランティアたちを見送るていで、玄関のすぐ外のところに立ちながら暁たちの会話に耳をそばだてる。


「――お疲れさまでした、鏡さん」

「朝霧さんも、お疲れさまでした」

「……」

「……」

「……」

「……」


 暗がりの中なので、二人の表情は一切いっさい分からない。

 瞳がぼそりとつぶやいた。


「何か私たち、ちょっと下世話げせわですね?」

「中学生なのに難しい言葉知ってるね、瞳ちゃん」

「やーねえ下世話なんて。温かく見守ってるだけじゃない」


 物は言いようだな、と瞳は思った。

 しかし客観的に見れば、彼女も同じ穴のむじなではある。


「……あの、鏡さん」

「はい」


 その時、銀条ぎんじょう会の門を一台の車がくぐってきた。

 ヘッドライトの逆光ぎゃっこうの中、暁と志桜里のシルエットが黒く浮かび上がる。


「あ、母が迎えに来たみたい、です……」

「あ、あの!」

「は、はい」

「こ、今度!」

「……はぃ……」

「食事にでも……行きませんか?」

「はわっ」


 おかしな声を上げたのは瞳である。

 アニメやドラマでしか見たことのない、なまのデートのおさそ場面シーン

 それをの当たりにして、興奮のあまりに声がれてしまったらしい。


「瞳ちゃん……だいじょぶ?」

「は、はい、だいじょぶ、です……」


 両手で口を押さえながら、小声で真夜に答える瞳。

 紫乃は黙ったまま、ひたすら暁たちを凝視ぎょうししている。

 志桜里は人目が気になるのか、きょろきょろ周囲を見回したあと――


「――しょ、食事なら……」


 と答えた。


「ひゃっ――ん~! ん~~!」


 暁より先に瞳が反応しそうになって、真夜はあわてて瞳の口を押さえる。

 瞳は声の代わりに足をじたばたさせている。


「ほ、ホントに!?」

「は、はい……」

「じゃ、じゃあ、あの、何か食べたいものとか、あります?」

「えーと、今急にはぱっと思いつかない、です……」

「そ、そうですよね……それなら僕のほうで調べて、FINEファインで連絡します!」

「わ、分かりました。それじゃ、えと、母が待ってるので」

「そうでした! すみません、引き留めてしまって」

「いえ……お疲れさまでした、朝霧さん」

「鏡さんも、お気をつけて」

「はい」


 志桜里はそう答えると軽く会釈えしゃくをして、先ほど入ってきた車に向かって歩いていった。

 運転席の人物が、頭を小さく下げるのが見える。


 ――彼女の乗った車が、テールランプをたな引かせて遠ざかっていくのを、暁はじっと立ったまま見送った。


 それから両のこぶしをぐぐっと握り、何事かを小さく叫んでから、例によってスキップで自分の車まで移動し、走り去っていった。


「はあ……」


 紫乃が溜息をいた。


「いいもの、見せてもらったわね」

「はあ……あんな感じなんだ……いいなあ……明智あけち先輩……」

「まったく、暁くんってば……」

「ともかく」


 紫乃が真夜と瞳に向き直る。


「あなたたち、あの二人をあんまり揶揄からかっちゃダメよ?」

「えー……お母さんが言う? それ」

「紫乃さん、吐いたつばぁ飲まんといてくださいよ?」


    ◇


「お疲れさま、志桜里しおり

「うん……」


 母親の千歳ちとせねぎらいに、志桜里は言葉少なくうなずく。

 おや何だか様子が――と千歳は思ったが敢えて何も言わず、いつものように旧東海道を東へ車を走らせる。

 そのまましばらくの間、沈黙が車内を満たす。


 千歳は、普段はあまり聞かないカーラジオのスイッチを入れた。

 スピーカーから流れてきたのは、耳触りの良い落ち着いたジャズだった。


「――ねえ、お母さん」


 ゆったりとしたピアノソロが終わった頃、志桜里がぽつりと口を開いた。


「ん?」

「あのね」

「うん」

「私……」

「……」

「あのね、私……食事に誘われたの」

「……男の人に?」

「うん……」


(これは……どっちだろう)


 誘われて嬉しいのか困っているのか――声音こわねからは分からない。


「それって、前に話していた人?」

「うん……朝霧あさぎりさん」

「そう。で、返事はしたの?」

「うん……食事ならって」

「OKしたわけね」

「そう、だね」

「そっか」


 親の欲目かも知れないが、娘の器量はむしろよい方だと千歳は思っている。

 それなのに、これまでに男の影を感じたことは一度もない。

 唯一、高三の文化祭の打ち上げの時、クラスメイトたちとカラオケに行ってもいいかと聞かれたことくらいだ。

 変な虫がついても困るが、かと言って箱入り娘にするつもりもない千歳だ。

 だから、一緒に食事に行きたいという相手が出来たことを――多少心配ではあるが――祝福してやりたかった。


 それなのに――このはなつ空気は何だろう。

 決して嬉しそうには感じられない。


「……ごめんね、お母さん」

「え?」


 思いがけない志桜里の言葉に、意表を突かれる千歳。


「ごめんって、何が?」

「だって……」


 志桜里の声に湿しめったものが混じり始めた。


「お父さんがいなくなって……大変な時なのに……こんな、浮かれたこと……」


 ああ……と千歳は心の中で嘆息たんそくした。


 ――夫であり娘の父親である龍之介りゅうのすけが突然に行方不明になると言う、予告もなくりかかってきた災難。


 しらせを聞いた時に、千歳は耳を疑った。

 何て馬鹿馬鹿しい、有り得ない状況だと思った。


 ――しかし実際に、夫は帰ってこない。


 事態を直視せざるを得なくなると、今度は喪失そうしつ感以上に不安が押し寄せてきた。

 これからの日々の生活、志桜里の教育資金、その他諸々もろもろ……。

 何か新情報が得られるかと、一縷いちるの望みをけて出席した説明会もから振り。

 今回の事件はあまりにも特殊だと言うことで、特別失踪しっそうに準じる扱いをすると言う方針は示されたが、ほぼ帰ってこないものと宣告せんこくされたようで余計に悲しくなっただけだった。

 良好な関係を築いている親戚すじからは、励ましの言葉や具体的な援助を提案されてとてもありがたかった。

 しかし、千歳はまず自分の足で歩く決意を固めていた。


 例え――矢が刺さったままでも。


「馬鹿ねえ、あなたは」

「……え?」


 ――あれから約一月ひとつき経ち、表面上とは言え精神的に落ち着いてきた、と自覚している。

 そのあいだ、娘のケアもしてきたつもりだが、想像以上に傷ついている志桜里を見て自分の至らなさを、千歳は恥じた。


「確かにお父さんがいないままなのは悲しいし、今でもとっても心細いわね」

「うん……」

「でもね、いつものお父さんだったら、オレがいないあいだは楽しいことも嬉しいことも全部我慢しろ、なんて言うと思う?」


 志桜里はうつむいて少し考える。


「どうだろ――でも、いつものお父さんなら言わないと思う……」

「でしょ? だからあなたが我慢することなんてないの」

「でも――」


 ぐずぐずになりそうな志桜里の言葉に、千歳は食い気味にかぶせる。


「お母さんだっていろいろ考えたのよ? でもとにかく、今はお父さんが無事に帰ってくるのを待つしかないと思った。いつになるか……分からないけど」

「うん……」

「すぐに気持ちを切り替えろとは言わないけど、いいことがありそうならちゃんとつかまえていいのよ?」

「……いいのかな」

「い・い・の。まあ、志桜里に彼氏が出来たって聞いてお父さんがどう思うかは、別の話だけどね」

「えっ、いやあの」


 あわてる志桜里。

 その様子を横目で見て、千歳は安堵あんどのため息を小さくついた。


「別にまだ……その、彼氏ってわけじゃ……」

「その辺も含めて、ちゃんと聞かせてもらおうかしら。えーと……朝霧さん、だっけ?」

「うん、分かった。あのね――――」


 カーラジオの曲目は、少しアップテンポなスタンダードナンバーに変わっていた。

 女性ボーカルのこなれた声が、志桜里の唇をなめらかにしていく。


 ――何だか、楽しい夜になりそうね。


 千歳は、そう予感した。

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