第一章 第41話 白銀伊織

「こんにちはー!」


「……あれ?」


 かがみさんにしては声が元気すぎる……てか、朝霧あさぎりさんじゃん――と玄関まで迎えに出てきた白銀しろがねひとみは思った。

 くもりガラスの向こうのシルエットは、確かに見慣れたかれのものだ。


(ちょっと早すぎじゃない? いつもならまだ三十分はあるのに)


「はーい、今けますよー」


 とりあえず、とびらをがららっとひらく瞳。


「こんにちは、瞳ちゃん」

「こ、こんにちは……」


 瞳の目の前に現れたのは、あれこんなに暑っ苦しい感じだっけと瞳が混乱するほど燦々さんさんと輝く笑顔の朝霧あさぎりあきらと、その後ろでひかえめに頭を下げるかがみ志桜里しおりの姿だった。


「いやー、そこで鏡さんとちょうど一緒になってさ」


 聞いてもいないのに、ほっぺたをきながら二人でいる理由を勝手にしゃべり始める暁。


「そ、そうだったんですね。お二人ともお疲れ様です……」


 さっきまで二人のことをイジる気満々だった瞳だが、出会いがしらにバケツで水飴みずあめをぶっかけられたような心持ちになって、すっかり毒気どくけを抜かれてしまった。


「こんにちはー、朝霧さん」


 瞳の後ろから、深谷みたに紅緒べにおがすすっと近付いてきて、暁に声を掛けた。


「お、紅緒ちゃん、久しぶりだね」

「そうですねー」

「……あ、やべ。荷物持ってくるの忘れた」

「え?」

「ごめん、ちょっと取ってくるよ」

「は、はあ……」


 そう言いながら全然ヤバいと思っていない様子で、暁は車の方へスキップをしながら戻っていく。

 後に残される女子三人。


「ねえちょっと、何? 朝霧さん、荷物忘れるとかどうしちゃったの?」

「まあ……ね。さっきの話の続きと言うか、ね」


 ぼそぼそと耳元で話す紅緒に、苦笑いで答える瞳。

 そして、困ったように笑顔を少しかしげながら立つ志桜里。


「あ、あのね紅緒、こちらがこないだからボランティアで来てくださってるかがみ志桜里しおりさん。鏡さん、こちら、私の友達で時々手伝いに来てくれる深谷みたに紅緒べにおです」


「鏡と言います。よろしくお願いします」

「み、深谷です。こちらこそ、よろしく、です……」


 志桜里と紅緒が、お互いにぺこぺこと頭を下げ合う。


「やあすいません、お待たせしました」


 志桜里の後方から、暁が段ボールをかかえて歩いてきた。

 とりあえず気持ちを立て直した瞳は、にこやかに応じる。


「ありがとうございます。じゃ皆さん、中にどうぞ」


    ☆


 こども茶寮さりょう~するが~は、今日も盛況せいきょうである。

 白銀しろがね家の広間では、いつものように子どもも大人も入り混じって、にぎやかに夕食をとっていた。


「ふーん……あれが最近、あきらくんが絶好調なわけ・・、ね」

「ええ」

「かわえ――可愛かわいね」

「ええ」


 そんな中、いつもの席で食事を取る銀条会静岡東部支部支部長――白銀しろがね伊織いおりの横には、若干不機嫌そうな表情の銀月ぎんげつ真夜まよの姿があった。

 真夜の視線の先では、今日は隣同士で座っている暁と志桜里が、子どもたちにはさまれながらもなごやかに夕食を食べている。


 ――(株)銀河不動産の社員である彼女は、普段から朝霧あさぎり暁と共に「こども茶寮~するが~」の運営を手伝っている。


 最近はフリーペーパーの取材がタイミング悪く立て込んで、なかなか来られないでいたのだった。


「これは経過観察が必要……と」

「それはどういう意味で? 当代とうだい様」

「ちょっ!」


 真夜はあわてて伊織の横っ腹をひじ小突こづいた。

 声をおさえてにらむ。


「ここではそう呼ばないよう言うてるでしょ!?」

「京ことば、出てますよ?」

「!」


 しれっと言う伊織の言葉に口を押さえる真夜。


「別に隠されることもないと思うのですがね」

「いーの、うちは暁くんやひとみちゃんとはまったりと付き合っていきたいんそやし――だから」

「京ことばくらいはいいんじゃないですか?」

「……ふう」


 真夜は胸を両手で押さえて深呼吸した。


「うちのモットーは『ごうりては郷に従え』なの。これでも全国を飛び回ってるんやから」

「そうでしたな」

「まあ、静岡ここには一年の四分の三以上いるけどねー」

「お疲れ様です。京都にいる会長も」

真琴あの子ほうが向いてるのよ。うちは会長なんてガラじゃないし……理度りどもそう思うでしょ?」

「さて……」


 などという会話をわす二人を、少し離れた席からじっと見つめる二つの眼があった。


(あやしい……)


 伊織の娘の、ひとみである。


(前から思ってたけど何か……あの二人、妙に距離が近いって言うか)


 とは言え、彼女は別に二人がけしからん関係にあるのではと邪推じゃすいしている訳じゃない。


 ……真夜の素性すじょうあやしんでいるのだ。


理度りどって、お父さんのことだよね……。銀条会の支部長のことをそう呼ぶのは私も知ってるけど、実際に使われることってほとんどないのに)


 大抵の人は、伊織に声を掛ける時には「白銀さん」「伊織さん」あるいは「旦那だんなさん」だ。

 真夜と同じ会社のあきらだって「伊織さん」と呼んでいる。


(おまけに、お父さんてば真夜さんに敬語を使ってるし――それより何より、「とうだいさま」ってのが気になるんだよね)


 つまり、瞳は真夜が銀条会の関係者じゃないかと疑っているのである。

 それも、理度りどである父親より上の位階いかいの人ではないかと。


 ただ……決定的な証拠がないし、仮に関係者なら何だと言う、それだけの話だ。


(それに……寄付してくれてる会社の社員の人にだったら、敬語くらい使ってもおかしくないしね)


 もしかしたら何か事情があるのかも知れないところを、自分がとく々とあばいたらマズいのでは、と踏みとどまるくらいには、瞳にも分別ふんべつがあった。


条会、白家、河不動産、そして――月、かあ……)


 これらの符合ふごうが偶然なのか必然なのか、その事実を瞳が知るのはもう少し先の話である。

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