第一章 第39話 天方家旅行記4――独白

 富士五湖方面への一泊旅行中の天方あまかた家三人とベーヴェルス母子おやこ


 二日目の朝、気持ちよい目覚めを迎えた彼らは、まず昨晩おとずれたレストランでモーニングブッフェを楽しんだ。

 そして、宿泊者特典で開園十五分前に優先入園し、四大コースターをそれぞれもう一度ずつ堪能たんのう

 もう一つ二つ、乗り残していたアトラクションをクリアすると、少しだけうしろ髪を引かれる思いでF急ハイラ〇ドをあとにした。


 昼食の時間には、まだ二時間ほどある彼らが次に向かったのは――


    ◇


 遊覧船のりば――と頭上に書かれた桟橋さんばしの上で、アルカサンドラとエルヴァリウスは、呆然ぼうぜんと立ち尽くしていた。


 もう一体何度目の呆然自失状態なのか――もちろん、彼ら自身もとっくに数えることをあきらめていた。


「……」

「……」


 さっき出てきた遊園地にも、水を使ったアトラクションはあった。


 それにももちろん驚いてはいたが、目の前に広がる河口かわぐち湖の大きさはもちろんその比ではない。


「サンドラ、これは『みずうみ』って言うのよ」

「みぃずーみ……」

「おっきいよねえ……でももっと大きな『うみ』って言うのもあるの」

「うぅみ……」


 アルカサンドラは眼を湖水こすいくぎ付けにしたまま、とりあえずさくらの言葉をおうむ返しにするばかりだ。

 地下都市ヴームで生まれ、地下都市で暮らしてきた二人の心に、この湖や地上は一体どんな風にうつっているのだろうか。


「ねーねー、早く乗ろうよー」

「そうだな。みんな乗り始めてる」


 彼らの眼前がんぜんに停泊しているのは、昔の安宅船あたけぶねした純和風の遊覧船だ。

 山梨県だからだろう――戦国時代の武田水軍がモチーフとなっているらしい。

 船の帆柱ほばしら右舷うげんなどのあちこちに、武田びしえがかれている。


「お母さん……どっち行く?」


 わたいたを越えると、どうやら行き先が三ヶ所あるようだ。


 一階には船内客室と後方スペース。

 そして二階席のあるデッキスペースへ通じる階段がある。


「せっかくだから上に行かない?」

「うん、そうしよう」


 ――しばらくすると、船が動き出す。


 湖上を渡る風が陸たちを気持ちよく包む。

 河口湖大橋の向こうには、遠く黒岳くろたけ釈迦しゃかヶ岳が見える。

 そしてその上に――夏の蒼穹そうきゅうが広がっている。


 サンドラとリウスは圧倒され、ただただ黙って景色を見つめるばかりだった。


    ☆


「うひゃあ……こりゃすごいね」

まさ絶景ぜっけいとしか……言いようがないわね」


 ――天方家の五人は、現在天井山てんじょうやま公園の展望台にいる。


 河口湖畔こはんから、富士山パノ〇マロープウェイという乗り物に三分ほど揺られて、この山の頂上までやってきたのだ。


「ほええ……すごーい……」


 南側には、コニーデ式の美しい火山である富士山を裾野まで一望できるながめが大きく広がっている。

 そして北側に目を移すと、先ほど遊覧ゆうらんしてきた河口湖と富士吉田の街並みが視界に飛び込んでくる。

 湖面こめんに白い航跡波ウェーキえがいているのは――あれはモーターボートだろうか。


 アルカサンドラとエルヴァリウスも、今度こそ言葉もなく眼下がんかのパノラマに見入っている。


「――わたし、と、リウス、いる――いた……した、じめん、の」

「え?」


 突然ぼそりとつぶやいたアルカサンドラを見て、さくらは驚いた。

 何と――彼女が滂沱ぼうだの涙を流していたからだ。


「それ、わたし、と、リウス、エヴィダン・ヴィアラス当たり前の生活、だから」


 アルカサンドラの独白どくはくに、さくらは黙って耳を傾けた。


「この、ヴール景色、みる、ない――なかった……」

「そうね……とてもきれいね……」

グラリオ美しい……きれい……」


 さくらとベーヴェルス母子おやことの出会いは、そもそもあの今岡小に突然現れた、不可思議な草原くさはらである。

 そして雨がそぼる中、穴に落ちそうになっていたエルヴァリウスの腕をつかみ、地上へ引き上げたのだ。

 それまでの二人がどんな暮らしをしていたのか、あの時の状況からさくらには何となく見当けんとうがついていた。


 ――たとえそれが、どれほど現実離れしているものだとしても。


「そう……あなたたちは、地下に住んでいたのね」

「はい……」


 理世りせがアルカサンドラとエルヴァリウスの間に割って入り、二人の手をにぎった。

 まだ小学三年生である彼女だが、ずっと地下で生活していた人間がこのながめをの当たりにした時、どんな感慨かんがいいだくものなのかを理解していた。


 ――五人はそのあとも、しばらくの間言葉もわさず、ただただひたすら目の前に広がる景色をながめ、脳裡のうりに焼き付けていた。


    ☆


 再びロープウェイで天井山てんじょうやまりた天方あまかた家の五人は、土産みやげ物屋を何軒かめぐった後、東へ車を走らせた。

 そして山中湖のほとりに建つ和食どころで、山梨名物の「ほうとう」にみんなで舌鼓したつづみを打った。

 それから道を少し戻って東富士五湖道路に乗ると、バイパス経由で一気にG市内に入り、G殿場てんば高原ときすみかに到着した。


 ――時○栖では、併設へいせつされている温泉施設に入場。


 露天風呂や薬草せん、海水の十倍の塩分濃度で身体がぷかりと浮く温泉、サウナなどを楽しんだ。

 すっきりとしたあとは、リラックスルームのテレビ付きリクライニングシートでうとうとと昼寝をし、全員が目覚めた頃には、身も心もすっかりリフレッシュしていた。


 ……そして――


「すごい! 鉄板がうしさん!」


 理世りせたちの目の前に、まさにゲンコツのような熱々あつあつのハンバーグが乗った鉄板がごとりと置かれる。

 さくらが大きなナプキンを理世に手渡した。


「理世ほら、ハネが飛ばないように」

「うん!」


 店員が二又ふたまたのカービングフォークで肉をぎゅう・・・と押さえ、ゴツいナイフで半分に切り分ける。

 二つのかたまりになったハンバーグをナイフで鉄板に押し付けると、ひときわ強くなった蒸気とじゅううううと言う肉の焼かれる音が上がる。

 アルカサンドラとエルヴァリウスの眼は、さっきからこのパフォーマンスにくぎ付けのままである。


「赤みが気になるようでしたら、このようにナイフで押さえつけて火を通してくださいね」

「はーい!」


 店員のアドバイスに理世が元気よく答える。


「ソースをお掛けしてよろしいですか?」

「は、はい、お願いします」


 なぜかどもるりく

 店員の手によって、どろりとしたオニオンソースがハンバーグと鉄板にかかると、じゅーじゅーじゅわじゅわと食欲を刺激する音がさらに高らかに響く。


「早く、早く食べたい!」

「じゅわじゅわがもうちょっと収まってからね」

「いやあ……マジでこりゃ美味そうだな」


 ――そう。


 彼らは、流通の関係で静岡県にしかない炭焼きハンバーグチェーン「さ○やか」にやってきたのだ。

 一泊二泊のしょう旅行、最後の目的地に選んだのがここだった。


「おいしー!」

メーレおいしい――おいしい……」


 早速切り分けて頬張ほおばる理世とエルヴァリウス。

 肉汁たっぷりのハンバーグにかかったソースごと口に放り込み、さらに白いご飯で押し込む。

 もっぐもっぐと口の中の全てを使って味わい、ごくんと飲みくだす。


 ――至福としかいいようがない。


 時は午後六時過ぎ。

 店内は既に満員。

 あちこちで肉の焼ける音と歓声かんせいが上がるのが聞こえてくる。


 大人組三人もおもむろにナイフとフォークを手に取り、ハンバーグを口に入れる。


「うーん、美味おいしい」

「おいしい……」

「はあ~……美味うまい」


 下手な食レポはらない。

 こうして五人は、旅行最後の食事をしばし楽しむのだった。


    ☆


「もう着いちゃうね……」


 三列目のシートで、理世りせがぼそりとつぶやく。

 その手には小さなキーホルダーが握られている。

 河口湖近くの土産みやげ物屋で購入したものだ。


 透明なアクリル製のその表側には青空と富士山と河口湖が、そして裏側には天井山てんじょうやまで五人で撮った写真がめ込まれている。

 理世だけでなく、全員の分を買った。


「楽しかったわねー」

「そうだね。行けてよかったよ」

「あなたも運転、お疲れ様」

「うん」


 さわ○かを出たあと一行いっこうは国道二四六号線を南下なんかしてN市方面に向かった。

 出発から帰路きろに至るまで、ちょうど富士山を右手にぐるりと周回した感じである。


 ――国道一号線の、いつもの交差点を右折すると、もう家はすぐそこだ。


 陸は最後まで慎重に、車をバックで駐車場に滑り込ませた。


「あーあ、着いちゃった」

「そうね。さ、降りましょう」

「おかえりなさい……」

「え? ……ひぃっ!」


 何とさくらが降車したすぐそばに――――


 ――――いつの間にか人影が立っていたのだ。


 思わず小さな悲鳴を上げるさくら。


「お出かけだったんですね」

「え、ええ……五味村ごみむらさんはお買い物帰りで?」


 何とか取りつくろい、当たりさわりのない返事をする。

 ちらりと車の方を見ると、状況を察したりくが反対方向のドアから理世たちを誘導していた。


「そうです。夏も真っ盛りですけど、さすがに七時を過ぎると暗いですねえ」

「そ、そうですね」

「おーい母さん、ちょっと頼むー!」

「あ、はいー。すみません五味村さん、主人に呼ばれてしまいましたので、失礼しますね」

「ええ、それでは」


 さくらは慌ててドアを開け、玄関に飛び込む。

 陸が心配そうな顔で立っていた。


「大丈夫だったかい?」

「あ、ありがとう、あなた。助かったわ」

「しかし……どうしたもんかね」


 陸は機転をかせてさくらを呼び寄せたのだが、うなりながら腕を組んだ。


「どうするって……今のところどうにもならないかしら……」

「そうだね……別に何されたってわけじゃないけど……もしかして、まだいるのかな?」

「見てみるわ」


 さくらが玄関モニターをける。

 画面にはいつかと同様、こちらをじっと見たままたたずむ五味村の姿がうつし出されていた。


「……いるわね」

「はあ……」


 楽しかった富士五湖方面一泊旅行。

 最後の最後でケチがついたような状況に、夫婦は嘆息たんそくするしかなかった。

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