第一章 第35話 境遇

 朝霧あさぎりあきらかがみ志桜里しおりが出会ってから、四回目の「こども茶寮~するが~」。


 この日も暁は、広間で子どもたちと遊んだり勉強を教えたりして、いつものようににぎやかに過ごしていた。


 食事が始まって二十分後、子どもたちがつけたテレビ画面から偶然、今岡小学校消失事件についての報道が流れてきた。


 画面に見入みいる一同。


 そんな中、志桜里が急に暗い表情になってうつむき、そのまま広間を出て行ってしまった。


    ◇


 すかさず白銀しろがね紫乃しのが寄ってきた。


「ねえねえ、朝霧あさぎりさん」

「は、はい?」

「悪いんだけど、かがみさんの様子を見に行ってやってくれないかしら」

「え、僕がですか?」

「お願い。理由はきっと行けば分かるわ」

「分かりました……」


 皆がテレビに集中する中、あきらはそっと広間を出た。

 そのまま厨房ちゅうぼうに顔を出してみるが、誰も居ない。


 玄関を見ると、引き戸が少しだけいている。


「外か……?」


 靴をいて外に出てみると、果たして彼女はすぐそこに立っていた。

 音に気付いて振り向いた志桜里しおりの顔は、涙に暮れていた。


「鏡さん……どうしたんですか?」

「朝霧さん……」


 暁は涙をぬぐう何かを手渡そうとしたが、ポケットをぱんぱんと叩いて、そんなものははなから持っていないことに気が付いた。


 志桜里は自分のポケットから刺繍ししゅうほどこした真っ白なハンカチを取り出すと、自分の顔を押さえる。


「お化粧が落ちちゃう……」


 ふふ、と彼女は笑った。

 その笑顔の痛ましさに、暁は胸がつぶれる思いがした。


 彼は心の底から慰めてやりたいと思った。

 しかし、一体どんな言葉をかければいいのか、まるで分からない。


「鏡さ――」

「さっきテレビで」


 志桜里の方から話し始めた。


「今岡小の話をしてましたよね」

「……はい」

「私の――私の父も、つとめていたんです」

「ええっ!?」


 とうとう……二人のラインが交わり始めた。


 ――いびつな形で。


「私の父、鏡龍之介りゅうのすけって言うんです。六年生の担任をしてました」

「それじゃあ……」

「はい。あの事件以来――行方不明なんです」


 そう言うと、志桜里の目に再び涙があふれた。


「もう一ヶ月もつのに、まだダメなんです……情けないですよね」

「そんなことないです」


 暁は志桜里の正面に回った。


「自分の父親がいなくなってしまって、たかだか一月ひとつきで平気になんてなれるわけないですよ」

「朝霧さん……」

「僕もなんです」

「え?」

「僕の父も、あの学校に勤めてたんです」

「……え?」

「朝霧彰吾しょうごって言って……校長でした」

「嘘……」


 志桜里が自分の口を押さえた。

 暁は首を横に振る。


「本当なんです。かあさ――母もそれで参っちゃって、あの事件の日からずっと寝込んでるんです」


「そんな……」


「あれ以来、うちはもう滅茶苦茶ですよ。と言っても僕は一応働けてるし、家の中のことは妹が頑張ってくれてます」


「……妹さんが、いるんですね」


「はい。くるみって言うんですけど、もともと家事が好きな奴で、部活まで料理家政部なんてとこに入ってるんですよ」


「まあ……」


「今は家事を回すために一旦いったん休部してくれてます。一時いちじは高校を辞めるとまで言い出したんですが、さすがにそれはめました」


「……」


「あいつも内心では相当にこたえてるはずなんですけどね、最初に一度泣いただけで、あとは涙ひとつ見せません」


 志桜里の顔にかげが差す。


「やっぱり私はダメダメですね……」

「あっ、違います違います。そう言う意味じゃなくて」

「……」


「そんなこと言ったら、うちの母なんてぼろぼろでよわよわもいいところですし、そもそもくるみだって部屋で時々めそめそしてるの、知ってますから」


「そうなんですね」

「そうなんですよ。だからつらいのを無理におさえる必要なんてないですよ」


「……よわよわのままでもいいと?」


「まあ、無理につよつよになることもないんじゃないですか?」

「ふむふむ……」


 何か考え込むような表情をする志桜里。

 暁は黙ったまま、彼女の次の言葉を待つ。


「分かりました」

「はい?」

「これからは、くよくよしたい時にはくよくよします」

「はい……」


「うちの母も、寝込んじゃったりはしてませんけど、やっぱり相当に落ち込んでて。私がしっかりしなきゃとか思ってたんです」


「そりゃそうですよね……」


「でもやっぱり自分でも、父のことを簡単に吹っ切ることなんて出来そうもないです」

「うんうん」


「だからと言って、友達とか白銀さんとかの前で暗い顔するのは……余計な心配かけちゃいますからね」


「なるほど」

「だから!」


 突然、志桜里が暁の両手を握ってきた。


 固まる暁。


「めそめそしたい時には――話を聞いてくれますか?」

「え?」

「私と同じ境遇きょうぐうの朝霧さんなら……もうよわよわな私を見せちゃいましたし」

「は、はい……」

はなし


 ずい、と志桜里が一歩進み出て、暁の顔を見上げる。


「聞いてくれますか?」

「も、もちろんです!」


 暁は力強くうなずいた。

 志桜里の手を優しく包み返す。


「好きなだけ愚痴ぐちってください。気の済むまで」

「はい」


 赤い目のまま、志桜里がにっこりと微笑ほほえむ。

 その何とも言えない笑顔を見て、暁は心の中で誓った。


 このひとは、僕が守ると。


    ◇


「それじゃ、お疲れさまでした。かがみさん」

「お疲れさまでした、朝霧あさぎりさん。また」

「ええ」


 志桜里しおりは迎えに来た母親の車に乗り込んだ。


 暗闇の中、リアガラスの向こうであきらの姿が遠ざかっていく。


「ふう……」

「ご苦労さん、志桜里」


 母親の千歳ちとせが娘をねぎらう。


「うん、お迎えありがとう。お母さん」

「どう? 銀条ぎんじょう会のほうは」

「うん、楽しいよ」

「そう、よかった」


 車は旧東海道を東に進んでいく。


「えへへー」

「なーに? 急に笑ったりして」

「私、銀条会のボランティア、お母さんにすすめてもらってホントによかった」

「そうなの?」

「うん」


 助手席に座る娘の声が、いつになくはずんでいる。

 わざわざ顔を見なくても、にやにやしているのが分かるくらいだ。


「志桜里」

「なに?」

「何かいいことあったんでしょ」

「え?」


 え? というただの一言にさえ、何と言うか――隠し切れない嬉しさがにじんでいる。


「別に……何もないよ?」

「ふーん……そうなの?」

「そうなの」


 千歳は志桜里の横顔をこっそりと見た。

 しかし残念なことに、ここは暗い車内。


 志桜里のほおが少しばかり赤みを増していることに、母親は気付かなかった。

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