第一章 第32話 ギオ

「サンドラー、リウスー、おやすみー」


 ――一家いっかで出掛けた大型ショッピングモールから帰ったその夜。


 午後十時近くなり、リビングでごろごろしていた理世りせが二人に手を振りながら、二階の自室に向かった。


「おやすみなさい」

「おやすぅみなさい」


 母子おやこもそう答えながら、彼らの部屋としてあてがわれている和室に入っていった。

 二人とも既に風呂に入り、パジャマに着替えている。


 さくらとりくは、ここにはいない。

 二階で何かやっているようだが。


「リウス、『ふとんをく』よ」

「うん」


 地下都市ヴームに住んでいたアレクサンドラ・ベーヴェルスとその息子であるエルヴァリウス。


 彼らがさくらと理世に救出されてから丸二日間、朝昼晩と出される温かい食事をとる以外の時間を、二人はひたすら布団の中で眠って過ごした。


 充分な栄養と休養をとったおかげで、三日目からは起き上がって天方あまかた家の面々と話をすることが出来るようになった。


 布団を敷き終わった二人は、そのまま中にもぐり込む。

 エアコンや照明を操作するリモコンの使い方も、すっかり覚えた。


母さんマァマ

「なに?」

今日ロスも、いろいろとすごかったね」

「そうね……」

「母さん」

「なに?」


 エルヴァリウス――リウスは、もう何度目になるのか覚えていないほど繰り返した疑問を、再び母親にぶつけてみる。


「ここって、一体どこなんだろうね」

「母さんが知りたいわ……」


 アルカサンドラ――サンドラも、何度目かの同じ答えを返す。


「思うんだけど、まずここって、地上エレオーヌなんだよね」


テーロの上ではあるけど――私たちの知る『地上の国エレオーヌ』ではないでしょう」


「あんな……フェールボスカとか見たことなかったし、しかも動くとかね」


「『くるま』のことね。自動アトマコア機械メルキアなら地下都市ヴームにもあったけど、あんな風に移動するようなものは見たことないわね」


「まあ僕は、地上にはイシセロスしか行ったことないけどさ」


十六ライスイェービーならそんなものよ。母さんだって――タス回くらいかしらね」


 ごろりと身体を母親に向ける息子。


「地上の国じゃない地上かあ……」

「母さんはね、リウス」


 アローラ天井ラフォンに向けたまま、サンドラは言った。


「恐らくだけれど、ここは別の世界ソリス・アーネンだと思うの」

「別の世界……」


 さして驚いた風でもなく、エルヴァリウスはつぶやく。


「今の私たちにその技術ロジカは失われて久しいけれど、地下都市ヴームが作られたと言う遠い遠いファードウなら、そうしたすべがあってもおかしくないわ」


「でも今は、そんなことは出来ないんじゃないの?」


「そうね。それでも、地下都市に『交換機メック・ヴァルタール』がある以上、魔法ギームで出来ても不思議はないと思わない?」


「まあ……そうだね」


「誰が何のためにやったのかは分からない。でもきっと、私たちはこの世界ソリス転移交換メル・ヴァルさせられた」


「でもさ……」


 眉根まゆねを寄せるリウス。


「転移させるのに、一体どれほどの魔力ギムカが必要だと思う? 想像もつかないんだけど」


「ええ……普通の人にはとてもじゃないけど、そこまでの魔素認識力ギオ・グニティカ魔素支配力ギオ・フィラリオカもないわね」


「方法だって、見当もつかないしさ」

「それでも……私たちが今置かれている現実からは、そうとしか考えられない。それにね、リウス」


 一旦いったん、サンドラは言葉を切ってから続けた。


「ん?」

「あなたも、気付いてるかも知れないけど……」

「え? 何に?」


 サンドラは息子に顔を向けて言った。


魔法ギーム、使えないわよ」

「えっ?」

「……」

「……」

「……」

「……母さん、どうしたの? 急に黙って」

「今、あなたにずっと『念話タルギーム』の『意思インティア』を送ってるんだけど……」

「え、嘘だろウーラ? 何も感じないけど」


 思わずバルトゥスを押さえるエルヴァリウスを見て、アルカサンドラは微笑ほほえんだ。


「念話だけじゃない。何も動かせないし、何も集められない」

まさかウラルカ……」

「どうやら魔素ギオがないみたい。この土地テーロス……もしくは、この世界ソリスには」

「……」

「まあ、地下都市あそこから脱出する時の違和感で、何となく察してたけどね」

「確かに――やけに魔法のきが悪かった……」

「それでも、私たちのここ・・には少しだけ魔素が残ってる」


 サンドラの掛け布団がもこもこと動く。

 彼女もリウスと同じように、布団の中で胸を押さえているようだ。


「だから、きっとわずかにでも『感受フェクト』が働くのね。この家の人たちが言うこと、何となく分かるから」

「そうか、そういうことだったのか……僕にはあんまり分からないけどね」

「まあ、そりゃあね」

「さすが魔法の先生セルカステヌギーム


 かつて同じ区画スキュリスに住むヴィルたちに、魔法を教えていた頃を思い出すアルカサンドラ。

 あの日々が帰ってくることが、あるのかどうなのか。


「ごく簡単な現象メノリスなら起こせそうだけど……えい」

「お」


 アルカサンドラが布団ふとんの下でわずかに手を動かすと、その上方じょうほうまばゆ光球こうきゅうが現れた。

 が、すぐに消えてしまう。


「これじゃ、使い物にならないわね」

「本当に魔素ギオがないんだ、ここ……」

「それにしても……」


 アルカサンドラはマータを閉じてつぶやいた。


「私たちは本当に幸運ボナグレックだった」

「うん」


「あなたもとっても頑張ってくれたと思うけど……さくらたちがいなければ、恐らくエブレード私たちは死んでいたわね」


ヴェントドーノへ落ちそうになった僕のアモルスを、あの人は力強くつかんで、引き上げてくれたから」


汚れジギナデューでぐちゃぐちゃだった私たちを、さくらとりせは一生懸命支えて、運んでくれたわ」


「りせはあんなに小さいのにね」


ブレーゼ食事ミル寝床サリールも、生きるのに必要な全てのものを、りくとさくらとりせは与えてくれた」


「今日だって、すごいところに連れてってくれた。あんなに巨大アルファールヴィルがたくさんいる場所ハド……僕は自分のマータが信じられなかったよ」


「魔法は使えないけれど、別の技術ロジカ体系フィルコーラスでとても高度なハイベック文明メルディエータを築いているみたいね」


「行き帰りで見た景色ヴールも、すごくよかった。特に、夕方ヴェセールセレスタヤルウァは……あんなに美しいグラリオものヴィスルって、地下にいたままなら絶対に見られなかった」


「……」

「……」


 二人はしばらく目をつぶったまま、地上世界の美しさと天方家の優しさを何度も何度も繰り返し、思い出していた。


「あの優しい人たちに、どうやってこのグレヴナを返せばいいのかな……」


 リウスがぽつりと言った。


「まずは、私たちのことについて誠意シードラスティをもって説明アザルファするところからね。りくたちだって、きっと知りたいと思っているはずだから」


「……信じてもらえるかな」

「どうかな……。でも、事実イザヌ・エレを話すしかないでしょう」

「そうだね。頑張ってここの言葉ヴェルディスを覚えなきゃ」


「それに、もしかしたら私たちをこの家に置くことに、何かの危険リオスカともなうのかも知れない。あまりクステに出したがらないように感じるから」


「じゃあなおさらちゃんと説明しないと」

「そうね……ただ」


 二呼吸ほどおいて、サンドラは続けた。


「いつまでここにお世話になっていいものなのか……」

「どういうこと?」

地下都市ヴームのことを考えれば分かるでしょう?」

「……あ」


「私たちのいたところは、よそ者モルヴィスを決して受け入れなかった。黙ってかくまったりしたら、それこそひどい目にったわ」


「ここがそういう場所じゃないって保証ピグナスは、ないよね……」

「それに……」


 サンドラは、もう一度目を閉じる。


「このまま何も働かずに、ただご飯ミルを食べさせて住まわせてもらうなんて、そんなのはいけない。りくたちの負担オウナスだって、決して軽くないはずだしね」


「そうだね」


「だからまずは、この世界のことをよく知らないと」

「母さんはさ……」

「ん?」

「元の世界に帰りたくないの?」


 息子の唐突な問いかけ。

 母親は少し考える。


「僕は……別に帰れなくてもいい」

「そうなの?」


「仲のいい友達アプリアもいたし、生活ヴィアラスにだって別に不満プラレアなんかなかったけどさ」


「……」

「何だか……どう言ったらいいのかな。あそこは、今思うとせますぎるように思う。行ったことがない場所はたくさんあってすごく広かったけど――狭かった」


「狭い……」


「こんなこと、前は考えることもなかったのに……この世界を見ちゃったらもう、戻れないよ」


「そう……」


 小さくうなずくサンドラ。


「だったら尚更なおさら、ここで生きるすべを見つけないとね」

「じゃあ、母さんも……」


「……どうなのかな。どちらにしても、私たちの意思だけじゃ帰るも帰らないもないしね。とにかく言葉を早く覚えて、りくたちに相談コンスールすることだと思う」


「うん、そうだね」

「それじゃ、そろそろ寝ましょうか」

「うん、おやすみオナソムニス、母さん」

「おやすみ、リウス」


 ごろりとあお向けになり、ものの数分で寝息ねいきを立て始めた息子を見て小さく微笑ほほえむと、アルカサンドラも目をつぶった。


 聞こえるのは、エアコンが静かに吐き出す風の音と、遥か遠くで響く夏の虫たちの声だけとなった。


 とは言っても、虫の鳴き声などというものを二人は知るよしもないのだが。


 ――いつしか母子おやこは、安らかな眠りについていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る