第一章 第27話 銀月真夜

 朝霧あさぎりあきらは、N市内にある不動産会社に勤める、二十四歳の青年である。


 そして彼は、二十日はつかほど前に起きた今岡いまおか小学校消失事件において、行方不明になった二十三人のうちの一人、朝霧彰吾しょうご校長の息子であった。


 一家いっかの大黒柱であった彰吾がいなくなったことで、朝霧家も混乱のきわみにあった。


 彰吾の妻――暁の母親の静子しずこは、心労がたたって寝込んでしまった。


 暁の妹のくるみは、家事を回すために高校の部活を一時的に休むことにし、家の中のことがとどこおらないように健気けなげに奮闘している。


 暁の心にももちろん、今でも暗い影が落ちている。


 父親の行方ゆくえ、母親の容態ようだい、妹にかかる負担――彼が考えなければならないことは多く、その解決難易度はどれも決して低くない。


 日中にっちゅう、母親の世話をしにかよってきてくれている伯母おばのこともある。

 お手伝いさんを雇うべきか……とまで考えていた。


 ともあれ、暁はまずは自分に出来ること――朝霧家唯一の働き手としてかねかせぐ――を頑張ろうと心に誓った。


    ◇


「はよござまーす!」

「おはようございます」

「おはようございますー」


 あきらの元気な挨拶に、明るい声が返る。


 ここは、N市内にある(株)銀河ぎんが不動産。


 正式には(株)銀河不動産N支社で、県内の不動産物件管理を統括とうかつしている。

 管理業務の実働じつどう的な部分は、おもじゅうほどある支店がになっているのだ。


 と言っても、ここN支社に勤めているのは、支社長以下六人の社員だけ。

 これだけ見れば、ごくごくこじんまりした会社である。


「おあよーございます~」


 暁が自席に座り、かばんを置いたりPCを起動したりしていると、若干じゃっかん呂律ろれつの怪しい挨拶あいさつが聞こえてきた。


 その声のぬしは暁の隣りの席に座るやいなや、机に突っす。


真夜まよさん、おはようございます」

「おあよー、暁くん……」

「まさかと思いますけど、また二日酔いとかじゃないでしょうね」

「うち、そんな不良社員やないしー」

「先週の梅酒の件、忘れたんですか?」

「……」

「都合が悪くなるとすぐ黙るんだからなあもう……」

「暁くんもう冷たい! もっと優しくして~」

「まったく」


 暁は立ち上がり給湯きゅうとう室に行くと、冷蔵庫から冷水筒れいすいとうを取り出した。

 コップに中身をそそぎ入れ、席に戻って真夜に渡す。


「ほら真夜さん、うちの妹くるみ特製のはちみつレモネードですよ」

「あ、あ~、ありがと~」


 真夜は身体を起こし、コップを両手で受け取ると、うぐうぐと一気に飲み干した。


「ぷは~……くるみちゃんにお礼言っといてね~」

「へいへい、飲んだら仕事しますよ」

「は~い」


 暁たちのやりとりに、周囲は全く動じない。

 いつもの景色なのだ。


    ☆


朝霧あさぎり君」

「はい、何でしょう」


 昼休みが終わってから三十分ほどった頃、あきらは支社長に呼ばれた。


 彼の名は九曜くよう崇史たかふみ


 (株)銀河不動産N支社の支社長であり、ここで発行しているフリーペーパー「シルバーレイン」の編集長でもある。


 もうすぐ四十代に手が届きそうな年の頃なのだが、下手をしたら十代と間違われそうな容貌ようぼうをしている。


 本人にとってそれは決して喜ぶべきところではないらしく、威厳を少しでもまとうために口ヒゲなどをやしているのだ。


「今日は『するが』の日だったね?」

「はい、そうです」


 暁は素直に答える。


「今日ね、三十分くらい早めに行ってやってもらえる?」

「いいですけど、何かあったんですか?」

「いつも来ているボランティアの人が一人、都合で辞めちゃったらしいんだよ」

「ははあ、なるほど」

「新しい人が代わりに来るみたいだけどさ、念のためにね」

「分かりました」


 この「するが・・・」とは、いわゆる「こども食堂」である。


 正式名称は「こども茶寮さりょう~するが~」と言う。


 なみダッシュ(~)は「するが」をかこっているだけなので、「茶寮さりょおおするがあ」と伸ばして読んではいけない。


 週に二回ほど、こどもは無料、大人は一食百円という破格の値段で夕食を食べられるボランティアサービスである。


真夜まよさんも行きますよね、するが」

「うん、行くよ~。取材のあとになるから、ちょっと遅れるかもだけど」

「了解です。じゃあ僕は先に銀条会ぎんじょうかいに行ってます」

「は~い」


    ☆


 ――銀条ぎんじょう会。


 京都府K市に本部を置く宗教法人である。


 主な教義は三つだけ。


巫女みこ隣人りんじんうやまうこと」

「弱者にほどこすこと」

「奪ってはいけないこと」


 その教えにのっとって、銀条会では全国の各支部で「こども食堂」を始めとするボランティア活動をおこなっている。


 銀条会静岡東部支部で実施しているのが、くだんの「こども茶寮~するが~」である。


「こんにちはー」

「――はーい!」


 暁が玄関の呼びりんを鳴らして数秒後、元気な返事がスピーカーから飛び出してきた。


「あ、ひとみちゃん? 朝霧です」

「はい、瞳です。どうぞ入ってください、朝霧さん」


 暁は玄関の引き戸を開けると、大き目の段ボールふた箱をかかえて中に入った。


 銀条会は宗教団体であり、敷地内の建物は宗教施設ではあるが、外観としては普通の一軒家の住宅とあまり変わらない。


 玄関がとても広いことと、三階建てでかなり大きい作りであることを除けば、十分じゅうぶん一般住宅の範疇はんちゅうに収まっている。


 暁が靴を脱ぎ、三和土たたきの部分に敷かれた簀子すのこの横にある下駄箱にしまっていると、ぱたぱたと言う足音と共に、奥から白銀しろがねひとみが駆け寄ってきた。


「いつもありがとうございます。これ、先に運んどきますね」

「結構重いよ? 気を付けてね」

「はーい」


 ひとみは、ここ銀条会静岡東部支部の支部長である白銀伊織いおりの一人娘である。

 今岡中学校に通う二年生。


 普段はおさげ・・・にしているらしいロングヘア―を、今日はほどいてさらりと流している。


 食材やら何やらがぎっしり詰まった段ボール箱を、よいしょよいしょと奥へと運ぶ瞳。

 彼女は、自宅で「こども茶寮さりょう~するが~」がひらかれる日は、部活を休む。

 そして、両親やボランティアの仕事を手伝うのである。


 暁は残ったもうひと箱の段ボールを持ち、瞳のあとを追いながら話しかけた。


「今日から新しい人が来るんだって?」

「はい、もう来てますよ」

「そうなんだ」


 玄関を入ってすぐ左側が、お寺の本堂に当たる広い部屋である。

 六人掛けの座卓ざたくがいくつも並んでおり、食事はそこでふるまわれる。


 さらに進んで奥にあるのが、厨房ちゅうぼうである。

 瞳と暁は、そこに入っていった。


「お母さーん、朝霧さん来たよー」

「こんにちはー」

「あ、朝霧さん、いつもありがとうございます」


 暁の声に、食事の支度したくの手を止めて挨拶を返したのが、瞳の母親である白銀紫乃しの

 つややかな黒髪くろかみうしろでさっとまとめている。

 耳横のふんわりとしたおくれ毛が、母性と言うか優しさを感じさせる女性である。


真夜まよさん、今日は取材で少し遅れるそうです」

「そうなのね。だから朝霧さん、来るのが少し早いのかしら」

「まあそんなとこです」

「本当にいつも助かるわ――あっ、そうそう。今日から新しいボランティアのかたが来てくださってるのよ」


 紫乃しのが玉ねぎをみじん切りにしている女性に目を向ける。

 すると、その女性は一旦いったん手をめ、赤い目をこすりながら暁の方へ歩み寄ってきた。


「紹介するわ。こちらが新しいかた


 紫乃の言葉で玉ねぎの彼女はあきらの眼を真っぐに見つめ、泣き笑いのような表情で言った。


「初めまして――かがみ志桜里しおりと言います」

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