第一章 第14話 異郷の朝

 翌朝。


 エルヴァリウス・ベーヴェルスは、静かに目をました。


「ん……」


 彼は、自分が白くてヴィッティあたたかくカリール柔らかいマルーアものヴィスルつつまれていることに気付いた。


 そこは、青白いプレオーラレーフに照らされた地下都市ヴーム通路アルワーグではない。


 リグノ香りハーユに満ちた、全く見知らぬ部屋ルマだった。


「んっ!」


 その時、リウスは突然、猛烈な尿意に見舞われた。

 思わず起き上がろうとするが――――


オンディッ!」


 身体テロス節々ふしぶしが痛む上に、急に上半身を起こしたせいかグラーヴァがくらくらする。

 フレッサを押さえながら、リウスは思った。


(いや、このままじゃ……まずい!)


 ここがどこかは分からないが、どこであれ粗相そそうしてしまうのははばかられた。


 彼はゆっくり立ち上がると、辺りを見回した。


母さんマァマ、寝てる……)


 隣りに敷かれている白いものにくるまって、母親――アルカサンドラ・ベーヴェルスが静かに寝息を立てている。


 とりあえずほっとするエルヴァリウス――リウス。


(状況は……よく分からないけど、誰かがぼくたちを助けてくれたってことなのかな――うっ!)


 再び彼の下半身から、強烈な警告ヴォラールが発せられた。

 彼はあわてて、出口を探す。


 彼の知るヴラットは見当たらないが、ワラウスで出来ているとおぼしき等身大ほどの大きなタレアを見つける。


(これが扉かな……でも、どうやって開けたらいいんだ?)


 腰ほどの高さのところに、手のひら大の黒いヴァーティルーアがある。


 いつもしていたように触れてみるが、何も起こらない。

 押したりでたりしても、白い板はうんともすんとも言わない。


(蹴り飛ばすとか、きっとまずいよあ……しょうがない!)


 リウスはフォーシュを振り上げた。


    ☆


 午前七時。


 さくらは天方あまかた家のキッチンで朝食を作っていた。


 今朝のメニューは、ベーコンとブロッコリーのオープンオムレツとカブ入り豆乳ポタージュ、こんがりトーストにした。


 アルカサンドラ――サンドラとリウスのお腹の調子を考えて、とり塩ぞうすいも準備している。


 理世はまだ寝ているようだ。


 休みの日になるといつもより早起きなはずなのだが、昨夜ゆうべの夜更かしのせいだろう。

 夫であるりくも、いつも通りならあと三十分は起きてこない。


 窓の外は、あいにくの雨模様だ。

 どうやら昨日の夜から、降り続いているらしい。


(つくづく、理世があの二人に気が付いてよかった……)


 昨晩の二人の様子を考えると、いくら夏場とは言え、あのまま草っぱらに倒れたまま雨にれていたら、命を落としていたかもしれない。


 さくらは、昨日のてんやわんやの忙しさを思い出した。


「……ん?」


 客間きゃくまほうから、かすかに音が聞こえる。

 ふすまこすっているような、そんな感じの音が。


(もしかして、起きたのかしら)


 さくらはタオルで手をぬぐうと、音のする方へ向かった。


 そうっとふすまけ――――


「きゃあっ!!」


 思わず尻もちをつくさくら。


 ――――目の前には、すご形相ぎょうそうのエルヴァリウスがこぶしを振り上げて立っていた。


 そのままの姿勢で石像のように固まる二人。


 呆然ぼうぜんとするさくらの耳に、どたばたと階段をりる音が響いてきた。


    ☆


「まあ、昨日のうちに教えておかなかったわたしのミスね」

「まさか、トイレの使い方が分からないとはなあ……」

「お兄ちゃんが前に言ってたよ。日本のトイレはすごいんだって」


 午前七時半の天方あまかた家のダイニングには、五人の男女がテーブルを囲み、そろって座っていた。


 キッチンから見て右側に、りくとさくら。

 左側にはアルカサンドラ・ベーヴェルスとエルヴァリウス・ベーヴェルス。。

 正面のいわゆる「お誕生日席」に、理世。


 ベーヴェルス母子おやこは、二人とも両手をももの上に乗せてうつむいている。

 何と言うか……恐縮しきっている感じだ。


 ――ちなみに、リウスのトイレはちゃんと間に合った。


 尻もちをつくほど驚いたさくらだが、リウスが股間こかんを押さえてもじもじするのを見て、彼の生理現象にはたと思い至った。


 さくらの叫び声に驚いて二階からすっ飛んで来た陸に、リウスへのトイレ指導をまかせ、ぼんやりと起き出してきたサンドラについては、さくらが以下同文。


 苦労のすえ何とか、事なきを得たのである。


 理世りせはひと通りの騒動が終わってから、呑気のんきに階段を下りてきたあと、「どうしたの?」と目をこすりながら四人に尋ねたのだった。


「とにかく、先に朝ごはんを食べてしまおう。冷めないうちに」


 そう言って、陸がアルカサンドラたちに食卓の上のものをすすめる。

 二人がなかなか手を出さないでいるのを見て、陸は身振り手振りで意思を伝えた。


「いっただきまーす!」


 手を合わせてからパクつき始めた理世の姿で、ようやくベーヴェルス母子おやこは食事に手を付け始めた。


「お母さん! このスープ美味しい!」

「そう? 豆乳のポタージュよ」

「さくらー、僕のトースト、いつものあれ・・にしてよ」

「――まあ週に一度ならいいかしら……何回?」

「三回!」

「お母さーん、あたしも!」

「あなたはダメよ。こんな健康に悪いものは」

「えー!」

「お父さんに一口ひとくちもらうだけで我慢してね」


 陸がオーダーしたあれ・・とは、彼いわく「塩バタートースト」である。

 名前だけなら普通にありそうなものだが、これはちょっと違う。


 ・まず、なまの食パンに普通にバターをり、塩をぱらぱらとかける。

 ・そしてオーブントースターにイン。

 ・しばらくしてバターがふつふつとしてきたら取り出す。

 ・少し置くとバターがパン生地きじに吸い込まれていくので、再びバターを塗る。

 ・再度オーブントースターに入れる。

 ・バターがじゅくじゅくとしてきたら取り出す。

 ・少し置くとまたバターがすうっと引いていくので、その上からさらにバターをたっぷり塗りたくる。ここでしおをすることも。

 ・またしてもオーブントースターに投入し、バターがぶじゅぶじゅとなってきたところで取り出す。

 ・食べる。


 というものなのだ。


 陸が「三回!」と言ったのは、バターを塗り重ねる回数のことであり、彼の気分によって多くも少なくもなる。


 何度も焼くので、パンそのものはクラストはもとより、内相クラムまでカリッカリになってしまう。


 しかし彼に言わせれば、表面にあふれるバターの海と一緒に咀嚼そしゃくすると「カリカリとじゅわじゅわ」でたまらないらしい。


 このような悪魔的食べ物を、当然さくらが理世に許すわけがない。


 今日も娘は、父親に一口ねだるだけで辛抱しんぼうするのだ。


「この人たちまで欲しがったりしないといいんだけど……」


 しかし、さくらの願いもむなしく散る。


 トースターからばちばちと、バターが音を立ててはじけながら出てきた食べ物に、サンドラとリウスの二人は思いっきり興味をかれてしまった。


 さくらとしては、一度や二度食べさせたところで健康被害などないとは思うのだが、今の二人の体調を考えると、おいそれと許可するわけにもいかない。


 代わりに、用意しておいたとり塩ぞうすいを出した。


 すると陸も理世までもが欲しがり、さくらが多めに用意した朝食は全てきれいさっぱりと、五人の胃袋に収まったのだ。


 ――結局、話をしようと覚悟していた陸だが、朝食を食べ終わった途端とたんにうつらうつらし始めた二人を見て、ひとまずあきらめた。


 事情は全く分からない状態でも、二人が寝起きなのにもかかわらず、疲れ切っている様子が見て取れたからである。


 ――そのあとは、理世がベーヴェルス母子おやこを布団に再度案内し、さくらはとりあえず諸々もろもろの家事に戻り、陸は今後のことを考えて、天方家の一日が始まったのであった。

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