第一章 第13話 天方陸
彼らを発見した天方
午後十一時を過ぎた辺りで、夫であり父親である天方
◇
「お帰りなさい、あなた」
さくらは、夫を出迎えに玄関に向かった。
見ると彼の髪や顔に
「あらあら、雨?」
「ああ、家に着くほんのちょっと前から、突然ざーっとね」
「そうだったの。タオル取ってくるわね」
「頼むよ、このままだと床をべしゃべしゃに
彼はとりあえず玄関の上がり
――
二歳年下のさくらの夫であり、聖斗と
市内のIT企業に勤める技術者で、趣味は料理。
週末や休日には、さくらの許可を得てたまに腕を振るっている。
特にオリジナルカレー作りに
「はい、どうぞ」
「お、サンキュー」
渡されたタオルで頭や顔をがしがしと
「どうします? 先にお風呂の方がよさそうだけど」
「そうするよ。シャワーだけさっと浴びるから、ご飯用意してもらっていい?」
「はいはい」
そう言ってキッチンに行きかけたさくらが、くるりと振り向いて言った。
「あとで、ちょっとお話があるから」
「え……話?」
何となくぎくりとして陸は聞き返したが、さくらは気づかなかったらしく、何も答えずにキッチンに消えてしまった。
「お父さーん、おかえりー」
「あれ、まだ起きてたの?」
リビングから娘の声が聞こえてきて、陸は少し驚いた。
理世は割と早寝で、平日は彼女が起きているうちに帰宅できることはなかなかないからだ。
それなのに……こんな夜遅くに起きているとは。
「うん、あたしも
「は?」
「後でねー」
何か変だな、と陸は思った。
――あんまりいい予感がしない。
首を
「おや?」
珍しいことに、こんな時間に洗濯機が回っている。
よく見ると、壁に泥のようなものが……。
「なあさくらー」
「はーい?」
キッチンから返事が聞こえてくる。
「今頃洗濯してんの?」
「……そう。ちょっとねー」
怪しい。
(まあいい。とりあえずシャワーだ)
どんな話か知らんが、一応心の準備だけはしておこう。
そう思いながら、陸は浴室の扉を
◇
「……マジでか?」
「マジです」
シャワーを浴び終わった夫と、彼の晩御飯を並べ終わった妻、そして舟を
さくらは、
……時々
「じゃあその人たちは、今、客間で寝てるってこと?」
「そうね」
「……ちょっと見てきていいか?」
「ええ」
――四畳半の和室を、ナツメ
客用布団が二組
あいにく二人とも反対側を向いているので顔は分からないが、さくらが言うように確かに赤髪に……見える。
陸は小さく
「マジでしたね……」
「ええ」
ずずずとお茶を
「腹減ってるから、メシ食いながら話すけど、いい?」
「ええ、もちろん」
さくらの答えを聞くや
中の肉はグァンチャーレではなく普通のベーコンだが、陸としてはその辺はどうでもいい。
「もぐもぐ……一応、話は分かったけどさ、さくらはどうしたいの?」
「そうねえ……正直言うと、まだちゃんと考えてないの」
「やっぱりね、そんなこったろうとは思った……もぐもぐ」
「だって」
さくらは
「ほんの二時間前のことなのよ! 目の前にあんなぼろぼろの人がいて……ほっとけるわけないじゃない……」
「ああ、うん、分かってるよ。君ならそうするだろうね。別に責めてるわけじゃないし、保護するなって言いたいわけでもないから」
「そう?」
「うん……もぐもぐ」
さくらの世話好きは、はっきり言っていまさらのことだ。
説明されたような状況なら、彼女は間違いなく手を差し伸べるだろう。
「それで……えーと、何て呼べばいいんだ? あの人たちは」
「名前は――」
「お父さんあのね、アルカサンドラと、えーと、エ、エ、エル――」
「エルヴァリウスね」
「そう、そのヴァリウス!」
小三女子には、少し覚えにくい名前だったようだ。
「へえ……もぐもぐ、何か古代ギリシャとかローマの人たちっぽいね」
「そうなの?」
「いやまあ、アレクサンドラとかなら欧米じゃあよくある名前らしいし……エルヴァリウスってのは聞いたことないけど」
「名前、カッコイイよね!」
「理世だって、いい名前さ」
「えへへ」
眠気で
「
「そこまではまだ……。何しろ言葉が全然通じないのよ」
「英語も?」
「ええ」
陸は少し考え込んだ。
「他の言葉だと……」
「最初にフランス語かなと思ったから、『
「え、さくらってフランス語話せたの?」
「んーん」
さくらが首を横に振る。
「昔、トラベル
「なるほど……もぐもぐ、ご馳走様」
「おそまつさまでした」
陸が手を合わせる。
理世はすでに、テーブルに突っ伏して寝てしまっている。
「食べながら考えたんだけど、僕の考えを言うよ」
「はい」
「まず、明日になったら二人と話をする」
「そうね」
背中越しにさくらが答える。
「まあ言葉の問題があるけど、どうにかするしかない。ジェスチャーでも筆談でも何でもして、出来るだけ情報を集めないと」
「まだ名前しか知らないものね」
「で、この先は話をしないと分からない部分もあるけど……あの二人の健康状態みたいなのはどうなの?」
「怪我とか病気とかってこと?」
「そうだね」
そう言うと陸は立ち上がり、冷蔵庫から麦茶のポットを取り出した。
「君も飲む?」
「わたしはお茶をいただくから、ありがと」
「それで、どうなの?」
「そうねえ……」
さくらは水道の
「ものすごく
「う……」
陸は、なんだか急に身につまされる思いがしてきた。
彼の勤める会社は、いわゆるブラック企業などでは決してないが、それでもプロジェクトの進行具合によっては無理することがないとも言えないからだ。
実際、今日の帰宅時刻からしてなかなかのものなのである。
「ぱっと見ではあるけど、大きな怪我はないみたい。男の子の
「爪か……」
「病気の
「ふーむ……」
しばらく腕を組んで考えていた陸だが、「よし」と
「じゃあこうしよう。彼らがある程度回復するまで、うちで面倒を見る」
「ある程度ってどのくらい?」
「普通に動けて話せる感じかな。病気じゃなければ一週間くらいで回復するだろ」
「そうかも」
「その
「わたしもそう思う」
さくらの顔が、少しだけ明るくなった。
陸が自分の気持ちを
「ただ、当面は家から出さない方がいい。僕は頭しか見えなかったけど、君の言う通りの容姿なら相当目立つだろ?」
「そうね……きっとその方がいいわ」
さくらが
「今決められるのはこのくらいだろうな。理世もそれでいいか?」
「…………」
「無理もないわね。この子、ものすごく頑張ってたから」
「そうか。君もご苦労さん。大変だったろ?」
「そうね。でも、あなたが許してくれてよかったわ。ありがとうね」
「まあ、君がそう言う人ってのは分かってるからね」
☆
その
(事件現場の草むらから現れた、外国人の男女……しかも
麦茶を一口、ぐびりと飲む。
(正直、あんまりいい予感はしない。
幸い、明日は休日だ。
(僕は僕で、打てる手は打っておくか……最悪、通報する覚悟も)
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