第一章 第10話 ベーヴェルス母子 その2

 原因は全く分からないが、とにかくそれまで住んでいた地下都市に閉じ込められ、孤立したことを理解したベーヴェルス母子おやこ


 最初こそ絶望にまみれたものの、次第に気力を取り戻すアルカサンドラとエルヴァリウスだった。


    ◇


 ――それから二人は、生き残るために動き始めた。


 まず水と食料の摂取せっしゅ量を、通常の半分以下におさえた。

 それでも、数字上は十日とおか分程度にしかならないが。


 そして、地上へ脱出するためにヴェントを掘り始めた。


 不幸中の幸いと言うべきか、土が露出ろしゅつしているのは都合がよかった。


 もし壁に穴を開けなければならないような事態だったら、正直打つ手がなかっただろう。


 地上に向かって穴を掘ることは、想像以上に困難なことだった。

 何しろ、道具も何もないのだ。

 使えそうなものと言えば、食器ヴレセットぐらい。


 そして――――魔法ギーム


 彼らの才能アブレントは一般人のものに過ぎなかったが、今回の作業にはすこぶる役立つはずだった。


 しかし……どういうわけだろう。


 ――現象メノリスが起こらないのである。


 起きてもあまり持続しないと言うように、魔法の利き・・すこぶる悪い。

 それでも……原因の究明きゅうめいく時間は彼らにはなかった。


 出来る限り魔法で土を柔らかくしてから、大まかな穴を上方じょうほう斜めに向かってけ、食器や手を使って足場や壁を整え、固める。


 この途方とほうもなく地味で過酷な作業を、アルカサンドラとエルヴァリウスは土塗つちまみれになりながら続けたのだった。


    ◇


 ――土を掘り始めてから、一旬イシカウ十日とおか)ほどが経過した。


 すでに水と食料は尽きていた。

 アルカサンドラとエルヴァリウスは、昨日から何も口にしていない。


 それにも関わらず、作業の終わりは一向いっこうに見えてこなかった。


(もう……駄目なのかしら……)


 アルカサンドラ――サンドラの心をあきらめの気持ちがよぎるのは、一体何度目のことだろうか。


 それでも、彼女はひたすら穴を掘り続けた。

 彼女の全身は、土や汗で大変なことになっている。


 最初の頃は、作業を終えたあとに水を使わず身体をいたりしていたが、十日とおかを過ぎた頃からそんな余裕はなくなっていた。


 そしてそれは、エルヴァリウス――リウスも同様だった。


 母親が気力を振り絞って掘り進め、汗みずくの泥まみれになって帰ってきたら、彼の番である。


 文字通り泥のように眠っているサンドラを気づかいながら、彼自身も脱出口だっしゅつこう作りに全力をかたむけた。


(頑張んなきゃ……頑張んなきゃ……)


 腰につけたかぼそ携帯照明キャロミナあかりを頼りに、必死に自分を鼓舞こぶしながら土をき続けるリウス。


 ――しかし。


 果ての見えない過酷な作業の果てに、二人の心は折れかけていた。


    ◇


 ――作業開始から十五日目ゴウスガディーナ


 アルカサンドラとエルヴァリウスは、廊下で横たわっていた。


 意識はある。

 しかし、部屋まで戻る気力すら奪われていたのだ。


 二、三日前まではやかましかった腹の虫ですら、とうにあきらめたのかうめき声さえあげない。


 時間の感覚もすでに、彼らからは失われていた。


「くっ……」


 よろよろと立ち上がるリウス。


 隣にいる母親の胸が、静かに上下していることを確かめると、彼は覚束おぼつかない足取りで歩き始めた。


 力の入らない足をぺちぺちと叩きながら、掘った穴をのぼる。


 穴のはしまでようやく辿たどり着くと、息子はなかば無意識にいつもの動きを繰り返し始めた。


 極度きょくどの疲労のためか、魔法の利き・・もさらに悪化している。

 少しずつ崩れていく土を顔に浴びながら、リウスはひたすら掘った。


 ――すると、見慣れない物が土の天井から顔を出した。


(……ん? な、何だ……?)


 白い、糸のようなもの。

 手に取ろうと引っ張ってみると、それはぷちぷちと千切れてしまった。


(これは……植物ランテープウリッジか?……はっ!)


 何かをひらめいたリウスは、最後の力を振り絞って土をき分けた。


 ナドが割れてサンブラにじむのも構わず、彼は手を動かし続けた。





 ふいに――土の抵抗が消えた。


 生温なまあたたかい空気が流れてきて、リウスの身体を包む。


(や、やった……!)


 とうとう、彼の目の前にセスディメルス(約三十センチ)ほどの穴がいたのだ!


 ――恐る恐る顔を出すと、そこにはゲーゼドゥロスが広がり、無数の光が広がっていた。


 そのように、リウスには見えた。


(か、母さんを……連れてこない、と)


 はやる気持ちをおさえながら、リウスは再び慎重に穴をりていった。

 ここで足をすべらせて怪我けがでもしたら、これまでの努力が水泡すいほうす。

 母親に朗報を伝えるため、一歩一歩踏みしめるように、彼は進んだ。


「母さん!」


 水分をしばらくっていないせいで、しゃがれた声しか出ない。

 リウスは母親の横にひざまずくと、彼女の身体をすった。


「母さん、開いたよ! 穴が」


「……え……」


 朦朧もうろうとした表情のサンドラ。


 もう、限界はすぐそこまで来ているように見える。


「ごめんね母さん、ちょっと大変だけど」


 そうことわってから、リウスは母親に肩を貸し、立ち上がらせた。


「ぐうっ……」


 成人女性の体重が、疲労困憊こんぱいした彼の身体に丸ごとし掛かる。


 くずおれそうなひざを懸命に伸ばしながら、リウスは母親をなかば引きずるようにして歩き出した。


    ☆


「はあ、はあ、はあ、はあっ……」


 ――何と言う精神力。


 一輪鐘りんしょうほどの時間(約三十分間)をかけて、とうとうエルヴァリウスはアルカサンドラをかつぎながら穴の出口まで到達した。


 一刻も早くのぼるためになりふり構わなかった彼らの姿は、人型ひとがたをした泥人形のようになっていた。


 ずるっ。


「くっ……」


 サンドラも意識はあるが、全身に力が入らない。

 踏み出そうとした足が滑り、リウスの肩に大きな負荷が瞬間的にかかる。


「母さん……あ、あと一歩だよ……」


 声にならない声で、彼は母親をはげまました。

 そして、渾身こんしんの力で母親の身体からだを引っ張り上げ、穴の外へと押し出した。


 どさりと音がする。


(ふうう……よし、あとは僕だ……)


 リウスは、穴からい出るために腕を伸ばし、懸垂けんすいの要領で自分の身体を引き上げようとした。


(ぐうううっ……)


 少しずつ彼の身体が持ち上がり、ようやく胸の辺りまで穴の外に出てくる。


(ううううううっ!)


 ずるっ!


(うわっ!)


 ……最後の力を込めた瞬間――――




――――穴のふちが崩れた……

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