第一章 第09話 ベーヴェルス母子 その1

 時は、再び――――今岡いまおか小学校消失事件当日・・、つまり八乙女やおとめ涼介りょうすけたち二十三人がエレディールに転移した日・・・・・さかのぼる。


    ◇


「……ん?」


 アルカサンドラ・ベーヴェルスは、小さな違和感をおぼえた。


 ――部屋がれたような気がしたのだ。


 衝立イルモットの向こうの寝台サリールリブロを読んでいた息子ファロス――エルヴァリウス・ベーヴェルスもアローラを上げてきょろきょろしている。


母さんマァマ、今何かあった?」

「分からないけど、変な感じがしたわ」

「僕もだけど……」


 しかし、ボロスの上の飲み物ベベルにそのような様子はない。

 他にも特に異状を示すものは見当たらない。


 そしてその内、妙な感覚はいつの間にか消えせていた。


「ま、いいか」


 そう言うと、エルヴァリウス――リウスは読書に戻った。

 もう何十回も読み、半ば暗記してしまった本を。


 壁に埋め込まれた時計ホロラルによると、まだ夕方ヴェセールには少し早い時間帯だ。

 食料ミル配給ストリーヴにはまだもう少しがあるはず。


 しかし、アルカサンドラ――サンドラは嫌な予感をぬぐい切れずにいた。


(確認した方がいいわ。調べないと)


「リウス」

「なーに?」

「ちょっと母さん、の様子を見て来るね。ダルさんに話したいこともあるし」

「分かった。いってらっしゃーい」


 呑気のんきな子、とサンドラは思った。

 でも、そこがあの子のいいところ、とも。


 サンドラは、ヴラットの横にある手のひらサイズの半透明なタレアに手を当てた。

 すると板のヤルウァが変わり、扉が音もなく横に開いた。


 足を外に一歩踏み出したその瞬間、彼女は再び違和感に包まれた。


    ◇


「駄目だ、母さん。こっちも行き止まりになってた」

「そう……」


 がっくりとパラスを落とすリウス。

 それに答えるサンドラのヴォコも、暗い。


 扉の外は、廊下アルワーグ


 ムロスのあちこちに設置された照明ロミナが、淡いレーフを放っている。

 そこまでは、いつも景色だ。


 廊下を右に進んで角を曲がれば、本来は食糧庫プロヴィーゼアに続く扉があるはずの場所。


 しかし……そこにあったのは目の前いっぱいに広がる――土塊つちくれの壁だった。


 廊下を左に進めば、ベーヴェルス母子おやこと同じようにこの地下都市ヴームに住む人たちの居住区レゾナリアがあったはず。


 それなのに、そこへ至る道は――かた土壁つちかべはばまれてしまっていた。


「くそ……一体いったいどういうことだよ……」


 部屋に戻って来てから、リウスは寝台に座ってグラーヴァを抱えている。

 サンドラも、椅子ストリカに座ったまま呆然ぼうぜんとしていた。


(何が起こったと言うの……?)


 こうなったきっかけは、恐らく最初の違和感の時だろう。

 揺れを感じたのは、気のせいではなかったのだ。


(でも、ぼんやりとばっかりしてはいられない)


 ひとしきり絶望感にさいなまれた後のサンドラは、冷静だった。

 このままではいけない、とまだ立ち直れていない息子を呼び寄せる。


(私がしっかりしなきゃ)


「リウス、こっちに来て」

「……」

「母さんもあなたと同じ思いだけど、こうしてなげいててもどうしようもないわ」

「……」


 リウスが幽霊ファナヴィアのように立ち上がり、とぼとぼ歩いてくる。

 彼に椅子に座るようすすめながら、アルカサンドラは言った。


「まず状況を整理しましょう」

「……うん」


「廊下はどちらも土でふさがれているわね。ちょっとってみたけど、どちらもイシディメルス(十センチ)やウスディメルス(二十センチ)どころの厚さじゃなさそう」

「……うん」


「つまり、私たちの部屋は孤立してしまっているのね」

「……」


「これが何を意味するのかと言うと、このままじゃ死――ダメになるってこと」


 再び頭をかかえるリウス。

 そんな息子の背中をさすりながら、アルカサンドラは言葉を選びながら続けた。


「三つの大事なものが失われようとしているの」

「……三つ?」

「そう」


 彼女はフィグロを折りながら、数えだす。


「まずはデュー料理クキュール用のヤーロスに入っている分と、非常時ブリッサ用のものが三日セスディーナ分」

「……」


「次に、食料ミリス。今日の夕食ミルヴェセール用と明日の朝食ミラウリス用の分はもらってあるけど、あと非常食ミルブリッサがやっぱり三日分だけ」


「……少ないね」

「そうね」


 持ち直してきたかしら、と少しほっとするサンドラ。

 状況は何も変わっていないが、まずは気力を取り戻さないと何も出来ない。


「最後に空気ウィリアね。どのくらいもつのか分からないけれど、いずれ尽きるのは間違いないはず」


「何とかしないと」

「そう。何とかしないとね」

「……と言うことは――」


 腕を組んで考え始めたリウス。

 立ち直り始めた彼を、黙って見つめるアルカサンドラ。


に出るしか、ないんじゃないかな」

「母さんもそう思う」

「大変そうだね……道具トルメンもないし」


「そうね。状況が変わっているけど、ここは地面ウームの大体ディアメルス(十メートル)くらい下にあるはず」


「十メルスか……」


 何となくだが、いけそうな気がするリウス。


「二人で頑張れば、何とかなるんじゃないかな」

「そうね。何とかしないとね」


 ――サンドラは微笑ほほえみながら、先ほどと同じ台詞せりふを繰り返した。

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