第一章 第08話 檜山大海人

 静岡あおい大学の学生食堂で、小田巻おだまきじんたちに声を掛けたのは上野原うえのはられいの後輩である檜山ひやま讃羅良さららだった。


 彼女は未確認ではあるが、誰も知らないはずの情報を三人にさらりと伝えると、するりとその場を去った。


    ◇


(ちょっとサービスし過ぎちゃったかな? でもいいよね)


 讃羅良さららは第一食堂を出た。

 途端とたんに彼女を襲う日射と熱気に思わず目を細める。


あっっ……」


 左側に立ち並ぶ自動販売機を見てしばし悩んだあと、彼女はスポーツドリンクを一本買った。

 歩きながらキャップをけ、一気にのどに流し込む。


「ふーっ、美味おいしい」


 そのまま中年ちゅうねん坂をくだり、駐輪場へと向かう。

 そこで彼女を待つのは――――「叛逆はんぎゃく者」という名の愛車バイク


 全体的にマットなブラックの中で、くすんだ青みがかったパールカデットグレーのタンクの色合いが遠目とおめにも実にシブい。


 讃羅良はアーミーデザインのジェッペルをかぶった。


 色はこれまたマットブラックで、サイドに「トの字」で出来たバツじるしのようなものを円でかこい、上下に点対称のハートが並んだ意匠いしょうのマークが目立つ。


 これを一目ひとめで「警察署の地図記号に似ている」と思ったのなら、その人はなかなかの慧眼けいがんを持つと言えよう。


 ただし……バツ印の意味するものは警棒ではなく、トンファ―なのだが。


 メインスイッチにキーを差し込み、ONにする。


 キュイーンという音を聞きながら、讃羅良はスタータースイッチを押した。

 モーター音のあとから、ドゥルルルルルルというエンジン音が響き始める。


「さーて、帰ろっかな」


 そう言って、讃羅良はシートにまたがる。


 ハンドルが若干遠い感じはするが、手足の長い讃羅良には何てこともない。

 スロットルをけると、彼女は家路いえじをたどり始めた。


 ――東名高速道路の高架こうかをくぐり、街道を走る。


 ローカルTV局の名のついた通りを西進せいしんし、右折して北進ほくしん

 S駅北口のメイン通りを進む。


 途中でおほり浅間せんげんさんを横目に見ながらしばらく走り、右折して住宅街に入ってさらに進んだところで彼女は止まった。


 ――目の前には重厚な門がそびえ立っている。


 讃羅良はポケットからスマホを取り出して操作をすると、見るからに堅牢けんろうな門が、音もなく静かにひらき始めた。


 横に「赤穂あかほ」「赤瀬川あかせがわ」「檜山ひやま」と書かれた表札のあるその門は、再び「叛逆者」のスロットルをけた彼女をゆっくりと飲み込んでいった。


    ◇


 ――檜山ひやま家は、赤穂あかほ家の敷地内に家を持っている。


 そして――檜山流活殺かっさつ術の道場も。


 門をくぐり、自宅の駐車スペースに到着すると、讃羅良さららは愛車のキルスイッチでエンジンをめ、ヘルメットをいだ。


 道場の入り口には、ちびっ子たちやその保護者たちが何人もたむろしている。

 どうやら、まだ玄関がいていないらしい。


(そう言えば、今日は初級部のある日だっけ)


 彼らは讃羅良に気が付くと、各々おのおのが右手で左手の親指を握りこみ、胸の前で水平に構える独特の姿勢で彼女に挨拶あいさつをした。


 讃羅良も同じ姿勢で挨拶を返す。


「あれ、大海人おみとはまだ来てないの?」

「はい、讃羅良さらら師範代しはんだい


 保護者の一人が答える。


「大海人師範代からは、あと十分じっぷんほどかかるから、申し訳ないけれど待ってて欲しいと連絡がありました」


「もう……何やってんだか、あいつ」


 讃羅良は首をかしげた。


 スマホを見ると、練習開始時刻まであと十五分。

 とっくに玄関をけておくべき時間帯だ。


「いいよ。私が開けるから中に入っててね」

「ありがとうございます」


 ポケットの中のキーホルダーから手探りで目的の鍵を探し当てると、讃羅良は道場の玄関を開けて、練習生たちに入るよううながした。


 そして、自分は自宅の方の玄関に回る。


「ただいまー」

「おかえりー」


 靴をいでいる背中に、中から娘を迎える母親の声が柔らかく飛んできた。


「お母さん、道場の玄関いてなくて、練習生たちが困ってたよ」

「あらまあ」


 糸のような細い目でおっとりと言うのは、讃羅良の母親である檜山睦美むつみ


「大海人はどうしたのかしら」

「一応、待っててくれって連絡はしたらしいけどね」

「お父さんに呼ばれているのかしらね」

「どうだろ……とりあえず私がけといたから。お父さんは部屋?」

「そうだと思うわ」

「分かった。ちょっと行ってみるね」


 讃羅良は二階に上がると、自室に荷物を置いた。


 そして、父親の部屋を訪れようと廊下に出たところで、まさにそこから出て来た大海人と鉢合わせした。


「おかえり、姉さん」

「ただいま大海人。玄関は私が開けといたよ」

「そっか。ありがとう」


 ――檜山大海人おみと


 檜山ひやま家の長男。


 讃羅良と大海人は二卵性にらんせい双生児そうせいじであり、先に生まれ出た讃羅良が姉、大海人が弟である。


 つまり、二人とも二十一歳。


 彼は讃羅良のように大学進学はせず、高校を卒業した後は実家の道場の運営に専念することを選んだ。


「そうだ、姉さん」

「ん?」

「父さんが、今晩こんばん集まるようにって言ってたよ」

「今から行こうと思ってたんだけど……」

「一時間半だけ、仮眠を取るってさ」

「ああ……そう言えばゆうべは徹夜してたみたいだしね、分かった」

「午後十時だよ。あととこだからね」

「了解」


 讃羅良はくるりときびすを返し、自室に戻った。


 彼女は部屋の中の熱気に思わず顔をしかめ、エアコンをつけた。

 そのまま着替えもせずにベッドに倒れ込み、あお向けに寝転ぶ。


「玲ちゃん……」


    ◇


 そして午後十時。


 一階のとこの間に、讃羅良たちは集まっていた。


 ――八畳ほどの部屋の中央には座卓が置かれ、いわゆる上座かみざに父親、そして讃羅良と大海人が向かい合って座っている。


 とこには刀が一口ひとふり飾られている。

 そのめいが誰のものなのか、讃羅良は知らない。


 掛け軸には何を表しているのかよく分からない図絵がえがかれている。

 実は、これはレプリカらしい。


 相当に古いものなので、本物はきり箱に入れて大事に保管している、と父親が以前言っていたのを讃羅良は思い出す。


 讃羅良の父親――檜山光展みつのぶ


 現在の檜山家のあるじであり、檜山流活殺術の師範しはん

 そして、讃羅良と大海人の実父じっぷである。


 の家の当主に相応ふさわしいと言えばいいのだろうか……とにかく寡黙かもくな男である。


 必要なことはきちんと話すし、特段高圧的でもないのだが、恐らく黙っていようと思えば一週間でも十日とおかでも言葉をはっさずにいられるだろう、と讃羅良は思っている。


 ある時、二人が恋愛結婚だったと伯父おじから聞いた時、讃羅良は思わず自分の耳を疑った。


 しかも母親である睦美の方からモーションをかけたとか……。


 ――強い男が好きな讃羅良は父親を尊敬しているが、光展のようなだんまりざむらいは、タイプとして恋愛対象からほど遠い。


 失礼な物言いではあっても、当時の光展みつのぶの一体何がよくてこなをかけたのか、母親に一時間ただしてみたい気持ちでいっぱいだった。


めを知りたかったのに、伯父おじさんたら言葉をにごして教えてくれないし)


 そして……讃羅良の正面に座る双子の弟――大海人おみとも、父親ほどではないが口数の少ない男である。


「二人とも、ご苦労」

「はい」

「はい」


 父親のねぎらいに、しかつめらしく返事をする二人。


赤穂あかほ玄一げんいちさんから連絡があった。およそ二週間後に臨時会議だそうだ。警護けいご計画はそこに書いてある通り。記憶したら裏返せ」


 光展は用件を一気に言い切って、そのまま押し黙った。

 いつものパターンだ。


「父さん、ひとついいですか?」

「ああ」


 大海人が真面目くさった顔で光展に問う。

 我が弟ながら、全く堅苦しく育ったもんだと、讃羅良は改めて思った。


 ――思春期の男子が興味ありそうなことに大海人おみとはほとんど関心を示さず、日課の大部分を修行についやしている。


 修行の中には、人体構造や薬学等の医学に通じる学問も当然含まれる。


 それらは讃羅良もおさめているものではあるが、弟の場合、熱意が違うと彼女は考えている。


 全くゲームをやらないとかマンガを読まないわけではないが、たなに並んでいるのは格闘ゲームだったり割とリアル寄りのバトルマンガだったりで、正直讃羅良とは趣味が合わないのだ。


 ……ちなみに大海人のそうしたストイックな姿勢は、両親から強制されたものではない。


 讃羅良の髪色は言ってみれば明るい茶髪だが、そのあたりにも光展は一切いっさい文句をつけることはないのだ。


「父さん。この臨時会議は、先週起きたN市の事件と関係がありますか?」

「ある」


 即答である。

 光展らしく、余計な前置きも修飾もない。


「分かりました」


 大方おおかたのことは察していたと見えて、大海人はそのまま引き下がった。


「私もいい? 父さん」

「ああ」

転移したの・・・・・?」

「……それは分からん」

「父さんはどう思ってるの?」

「信じがたい話ではあるが、可能性はいなめない」

「分かった、ありがと」


 そう言うと、讃羅良は目の前の紙を裏返した。

 見ると、大海人の紙もいつの間にか裏側を見せていた。


「二人とも記憶したようだな。話は以上。シミュレーションは念入りにしておくように」

「はい」

「はい」


 讃羅良と大海人は立ち上がった。


「父さん、おやすみ」

「おやすみなさい、父さん」

「ああ、おやすみ」


 就寝の挨拶を返した光展のいかめしい顔は、少しだけ父親のそれになったように見えた。

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