第一章 第07話 檜山讃羅良

 静岡あおい大学の学生食堂に、上野原うえのはられいの友人たちが集まっていた。


 小田巻おだまきじん南雲なぐも花恋かれん東郷とうごう慶太郎けいたろうの三人である。


 とは言え彼らが集まったところで、行方不明になった玲のために出来ることは特になく、事件以来彼らは食事を兼ねてこうして集まり、愚痴ぐちをこぼすだけであった。


 そこに新たな人物が登場し、三人に声を掛けてきた。


    ◇


「こんにちはー」


 現れたのはミルクティーベージュ色のショートカット。


 身長は……百六十五センチくらいだろうか。

 非常な小顔こがおと手足の長さのせいでもっと高く見える。

 くっきりとした目と小さな鼻の、童顔どうがんとも言えるおも立ちの女性。


 突然声を掛けられて固まっている三人の返事も待たず、彼女は一つだけいていた席――いつもなら上野原うえのはられいが座っていた位置――にすっと腰かけた。


 手には飲み物も食べ物も持っていない。


「あ、えーと……」

「ひ、檜山ひやまさん……」


 ――そう。


 慶太郎が言うように、彼女の名前は檜山ひやま讃羅良さらら

 静岡葵大学理学部の三年生だ。


「……」


 何故なぜかむっつりと黙り込む花恋。


「えーっと、小田巻おだまき先輩、こんにちは」

「あ、ああ、こんちは」

東郷とうごう先輩こんにちは。まだシフト入れてるんですか?」

「いや……今は土日だけ、かな」

「えと――雨雲あまぐも先輩、こんにちは」

「誰が雨雲よ!」

「……相変わらずだね、檜山さんは」


 困り顔で溜息ためいき慶太郎けいたろう


「だって、不思議じゃないですか。南雲なぐもさんと東雲しののめさんはいるのに、どうして北雲きたぐもさんと西雲にしぐもさんはいないのかって」


雲北くもきたさんはいるらしいけどね」


 慶太郎がうっかり反応してしまう。


「俺、前に女優さんか何かの苗字みょうじ西雲さいうんって見たことあるぜ。本名じゃないかも知れんけど」


西雲名にしうんなって人もいるかも知れないね。僕の実家の近くにそう言う地名があるし」


「……ひとの苗字で盛り上がるの、やめてくれる?」


 おかしな話の流れになりそうなところを、花恋かれんがぶった切る。


「そう言えばじんと上野原さんも、前に苗字とか名前の話で盛り上がってなかった?」

「おいおい……いつの話だよ。二、三年前だろそんなの」

「え、私その話知らないです。教えてくださいよー」


 それなのに、何故なぜか今日は空気を読まずに慶太郎が更なる燃料を投下してしまう。

 わくわく顔の讃羅良さらら


「まずね、迅と上野原さんは仲間なんだってさ」

「仲間……何のですか?」

「三文字の苗字プラス一文字の名前だから」

「んーと……小田巻+迅と、上野原+玲――確かに」


「ふーん……その理屈だと、二プラス三で東郷君もその子さららと仲間じゃない。よかったね」


 全然よくない感じで、花恋が半目はんめになって言う。


「あ、ホントだ。東郷先輩、仲間ですって」

「いや、勘弁してください……」

「お前ら、何で上野原さんの名前がひと文字なのか知ってるか?」

「小田巻君は何でそんなこと知ってんのよ」


「おう、本人に聞いたんだけどな、あいつの親父さんの名前がめっちゃ長いらしくてさ、せめて自分の子どもは書くのに苦労しないようにってことらしいぜ」


 讃羅良が目をぱちくりする。


「へー、そんな付け方もあるんですね……」

「ちなみに親父さんの名前って、何て言うんだよ?」


 慶太郎の質問に、迅は腕を組んだ。


「えーと……上野原朔太郎さくたろう、だったかな?」

「……確かにちょっと長めね。漢字でもひらがなでも」


 苦々にがにがにしていた花恋までうっかり同意してしまう。


「だろ? 俺だって、もし小田巻迅太郎とかだったら、毛筆の時間なんか結構めんどかったと思う」

「……そう言えば、玲ちゃんのお姉さんも一文字でした!」


 思い出したようにぽんと手を叩く讃羅良。


「それ、俺も知ってるぜ。確か、上野原……りんだろ?」

「そうですけど、玲ちゃんのお姉さんを呼び捨てにしないでください!」

「あ、はい……」

「あのさあ」


 花恋が苛立いらだたしに指でテーブルをとんとん叩く。


檜山ひやまさん、結局何しに来たわけ? 名前いじりのためだってんなら趣味が悪いわよ」


「まさかあ」


 にっこり笑う讃羅良。


「先輩たちは、ここで何してたんですか?」

「質問に質問で返すのやめて」

「それってよく言われるけどさ」


 じんがするりと口をはさんだ。


「何で質問で返したらダメなんだ?」

鬱陶うっとうしいからよ! 小田巻君は黙ってて!」

「ひえっ……」


(迅のやつ、そういうとこだぞ?)


 慶太郎は、猛獣のような顔つきになっている花恋を見ながら、本日二度目の溜息ためいきを心の中で盛大にいた。


(南雲さんのことを、てんで女扱いしないんだもんなあ)


 ――健康な大学生の男女四人がそれなりの期間、仲良く付き合いを続けていれば、いろいろ芽生めばえるものもある。


 そしてそれらの想いが、全て見事なまでに一方通行になっていることに慶太郎だけが気付いていた。


 まるで四匹の子犬が、互いの尻尾しっぽを追いかけて一つの輪になっているように。


 ――玲の口だけはどこを向いているのか不明なので、正確には輪ではないが。


(今の上野原さんの気持ちは分からないけど、少なくとも迅には向いていない。残念ながらね)


 慶太郎は花恋の気持ちを逆撫さかなでしないように、つとめて穏やかに言った。


「僕たちは見ての通り、昼ご飯を食べてたんだよ」

「そうよ! あなたのせいで冷めちゃったじゃない!」


 慶太郎は、うっかり熱いものにでも触ってしまったかのような顔で、小さく肩をすくめた。


(うへえ……こっちにも地雷があったか)


「それはそれは、誠に申し訳ございませんでしたっ」


 花恋の隣でぺこりと頭を下げる讃羅良。


 彼女の後頭部に突き刺すような視線を向けながら、花恋は言葉をしぼり出した。


「っ……いいからとにかく、何しに来たのか言いなさいよ」

「えっとですね……」


 讃羅良は顔を上げて、三人の顔を見回した。


「先輩たちは、いつも玲ちゃんと仲良くしてくれてますよね」

「……そうだけど、玲はあなたより先輩でしょ?」

「はい、そうですけど?」

「だったら、どうしてちゃん付けなのよ。慶太郎みたいに浪人したわけじゃないでしょ?」

「ひどくね?」


 流れだまにげっそりとする慶太郎。

 思わず、今朝見た自分の本日の運勢が最悪だったことを思い出す。


「あれ、南雲さんは知らなかったっけ?」

「何をよ?」


 迅が意外そうな表情で言った。


「上野原さんと檜山さんは、中学の頃からの付き合いらしいぜ?」

「はあ? だって二人とも住んでるとこが全然違うじゃない」

「上野原さん、N市からかよってたんだって。静岡三葉みつば学園に」

「……ああ、そう言えば」


 花恋が思い出したように言った。


「あの子、女子校出身だっけね。中高一貫いっかんの」

「そうなんですよ!」


 我が意を得たりとばかりに、讃羅良がおもてを輝かせる。


「昔から玲ちゃんはかわ――」

「分かった分かった。ちゃん呼びはとりあえずいいわ。で、私たちがあの子と仲良くしてるから何なのよ?」


「――先輩たちはここで、玲ちゃんの話をしてたんですよね?」

「またあなたは質問に――」

「まあまあ南雲さん、話が進まないからさ」


 またしても血圧が突沸とっぷつしそうな表情の花恋を、慶太郎はやんわりとなだめた。


「檜山さんの言う通り、確かに僕たちは上野原さんのことを話してたよ。もうここ何日もこんな感じでね」


「玲ちゃんのことを心配してくれてるんですよね」

「もちろん、そうだよ」

「そんな優しい皆さんに、教えておいてあげようと思いまして」


 讃羅良はテーブルの中央に顔を寄せた。


「玲ちゃん、多分ですけど――――生きてますよ」


「……」

「……」

「えっ……」


 思いがけない讃羅良の発言に、言葉を詰まらせる三人。


 讃羅良は立ち上がると、彼らを尻目に「それじゃ、失礼しまーす」と言い、その場をさっさと立ち去ってしまった。


 ――あとには、呆然ぼうぜんとした三人が残されたのだった。

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