第一章 第06話 迅と花恋と慶太郎

 ――静岡あおい大学。


 S市S区にある国立大学法人。

 明治時代に創設そうせつされた師範しはん学校以来の、百数十年に渡る歴史を誇る総合大学である。


 八乙女やおとめ涼介りょうすけもとで教育実習にいそしんでいた上野原うえのはられいも、本大学の教育学部に所属している。


 日本武尊やまとたけるのみこと伝説に由来する丘陵きゅうりょう地の西麓せいろくに建っているため、キャンパスからはS市が一望いちぼうできるなかなかのロケーション。


 晴れた日の夕方、教育とう人文じんぶん棟辺りまでのぼると見えてくる、眼下がんかの街と正面に広がる美しい夕焼けは、ただただ圧巻あっかんの一言である。


 その代わり、坂と階段が多めなのは致し方ないところだ。


 ――大学に向かおうと思ったらまず、ふもとから「中年ちゅうねん坂」と呼ばれる結構な斜度しゃどの坂をのぼらなければならない。


 木々がしげるその坂道沿いには、大学とは全く関係のない、普通の民家が建ち並んでいる。


 そして、いつの間にか大学の構内に入っていることに気が付くのだ。


 ――そのまま歩き続けると左手に自動販売機の列と、石垣のような基礎の上に建つ平屋ひらやの建物が見えてくる。


 それがこの大学の第一食堂である。


 ……その中のテーブルの一つを、二人の男子学生と一人の女子学生がかこんで座っていた。


 時刻は午後二時半。


「……今日でちょうど一週間かあ……」


 そう言いながらカツカレーを食べているのは、小田巻おだまきじん


 上野原玲と同じ――正式名称は長いのではぶくが――要するに教育学部にある国語教員を養成する学科所属の四年生。


 ――彼の容貌ようぼうはなかなか特徴的だ。


 中東あたりにいそうなりの深い顔に、真っ黒な髪を肩まで無造作に伸ばしたロングヘア。


 見た目はいわゆるコテ巻き風パーマという奴だろうか。

 もちろん、彼はコテなど使っておらず、ただ伸ばしているだけであるが。


 おまけに身長が百九十センチ近いので、外国人に間違えられることもしばしば。


「小田巻君、髪先かみさきにカレーが付きそう」


 と、彼の正面で指摘するのは南雲なぐも花恋かれん


 茶色みがかった髪は、軽くウェーブしながら鎖骨さこつの下くらいまで伸びている。

 丸くくりっとした瞳と、少し立ち気味な耳が印象的な女性。

 チキン竜田丼たつたどんをちまちまと口に運んでいる。

 

 玲や迅は国語科だが、彼女は家庭科の四年生だ。


「迅、昨日もカレー食べてなかった?」


 迅の隣りで、そう言ってひたいに汗をにじませながらから味噌ラーメンをすすっているのが、東郷とうごう慶太郎けいたろう


 彼も教育学部ではあるが、教科の学科ではなく教育実践学科というところに所属している四年生だ。


 さっぱりとしたツーブロックに、軽いニュアンスパーマがかかっている。

 童顔の彼は迅とは真逆まぎゃくで、高校生どころか中学生に間違われることも珍しくない。


 それなのに、迅たちより一つ年上だったりする。


 身長はぎりぎり百七十センチほど。

 ちなみに花恋も慶太郎と同じくらいの背丈せたけだ。


「毎日食べてるじゃない、この男は」

「まあな、もぐもぐ……南雲さん、そのチキン俺のカツと交換してよ」

「やだよ、あぶらっこいのはパス」

「はあ? 竜田たつた揚げって言うくらいだから、同じ揚げ物だろ?」

「やだったらやだ」

「カレーも乗っけてやるからさ」

「余計にやだよ! 味が変に混ざっちゃう」

「はーあ」


 レンゲを使わず、両手で丼を持ってスープを飲み干した慶太郎が、大きな溜息ためいきいた。


「いつもだったら、ここで上野原さんが『まあまあまあ』とか言って仲裁ちゅうさいに入るとこなんだけどな……」


「う」


「……」


 迅と花恋の手がぴたと止まった――――





 ――れいを含めた二十三人の消失事件が起きてから、ちょうど一週間。


 彼ら三人は、ここ数日間ずっと同じようなやり取りを繰り返していた。


 四人席の、一つだけいた場所に、自然と三人の視線が集まる。


 そこは普段ならじんのカツカレー、花恋かれんのチキン竜田丼、慶太郎けいたろうの辛味噌ラーメンに加えて、れいのハンバーグステーキ丼があるはずだった場所。


「どこ行っちゃったんだろな、上野原さん」

「うん……」


 迅のつぶやきに、花恋がぽそりとこたえる。


 慶太郎はスマホを取り出し、何やら操作を始めた。


「……だめだね。やっぱりずっと未読のままだ」


「私だって、あれから毎日何度も何度もメッセージ送ってるけど……既読になってくれないもん」


 ――異変に最初に気付いたのは、花恋だった。


 花恋と玲はほぼ毎晩、コミュニケーションアプリ「FINEファイン」でやり取りしてから寝るのが日課になっていた。


 時間にして五分程度。


 内容は他愛たわいない雑談だったり、他人ひとの恋バナだったり、まれにちょっとした相談事だったりで、中身があるようなないようなふんわりしたものだった。


 花恋自身、時々「めんどくさ」と思ったりもした。


 ところが一週間前のあの晩、花恋からいつものようにアプリで呼びかけたものの、いつまで経っても送ったメッセージが既読にならなかったのだ。


 トイレとかお風呂とか、もしかして疲れて寝てしまった可能性もある、と彼女は考えた。


 何しろ、玲だけはまだ教育実習が終わっていないのだ。

 受け入れ側の学校の都合で、他のみんなとは時期がずれたらしい。


 特に最近は、第一声が「疲れた~」ということが続いていたから、帰って即爆睡ばくすいだったとしてもおかしくはないと花恋は思ったのだった。


 彼女はスマホをベッドの上に放り出すと、リビングに行って家族とテレビを観た。


 その頃には、今岡いまおか小学校消失事件を臨時ニュースとして、各局ともかまびすしく報道し始めていたのだ。


 同じ県の中で起こったらしい、不思議な事件に興味をかれて観ていると、何だか聞いたことのある学校名が出てきた。


「……!」


 それが玲が実習にっているところであることを思い出して、花恋は血のが引く音が聞こえるほどあおざめた。


 そして、彼女は気が狂ったかのように迅や慶太郎に連絡を取り、あれやこれやとしているうちに今日に至ったという訳だった。


「上野原さんの名前、テレビでも出てたね」

「私思ったんだけど、こういう時って勝手に名前出しちゃってもいいの?」

「公開捜査ってやつじゃね?」


 花恋の疑問に、最後の一口を食べ終わった迅が答えた。

 彼の言葉に慶太郎が首をひねる。


「公開捜査って、容疑者の顔とか名前をさらすやつじゃないの?」


「よく分からないけど、事件性や緊急性があると警察でも情報提供を呼び掛けるみたいだぜ? 俺もウェブであいつの情報見たし」


「うそ! マジで?」


「おう、名前だけじゃなくて顔写真とか年齢とか血液型まで書いてあった。あいつ、B型だったんだな」


「うえ~……何か玲かわいそう……」

「でもさー、情報を公開したところで見つかる気がしないんだよね……僕的には」

「うーん……」


 実際のところ、日頃から仲良くしているとは言っても、ただの大学生である彼らに出来るようなことは何もない。


 ――実は、玲行方不明のしらせに接した時、花恋は混乱するあまりに玲の実家に突撃しようとして、迅や慶太郎にあわてて止められていた。


 そんなことをしても何の意味もなく、むしろ迷惑極まりない行為であると、彼女は二人になだめられて、落ち着いた末にようやく理解した。


「こないだ行った時にも思ったけどさ、あの校舎の消え方、マジでヤバいって」

「地面に突然生えた草っぱらが異様だったよね」

「見物人もすごかった……私たちが言えることじゃないけど」


 玲の実家に押しかけたりはしなかったが、それでもどうしても自分たちの目で確かめないと気が済まなかった三人は、事件から三日後の午後、電車に乗って今岡小学校まで行ったのだ。


 ――今岡小の最寄もより駅は、普段は一日の平均乗降客数が二千人きょうのごく小さな駅である。


 それが事件以来、訪れる人が急増しているのだ。

 お蔭で周辺の閑静な住宅地では大騒ぎになっている。


 現場から数分のコンビニエンスストアは大混雑。

 少し離れたところには、商魂しょうこんたくましい屋台の飲食店まで出張でばる始末。


 N市としても対応にてんてこ舞いなわけだが、その影響で市内中心地に食事を求めて客が殺到し、ついでに観光なんかもしていくわけだから、いたかゆしだったりする。


「私に出来ることはFINEで呼び掛けることぐらいだから……とりあえず続けてみ――」


「こんにちはー」


 その時、三人に声を掛ける者がいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る