第一章 第02話 犬養莉緖

 ――愛妻あいさいである黒瀬くろせ真白ましろが行方不明になった。


 不可解な事件によって突然に妻を失った黒瀬和馬かずまは、哀しみと喪失そうしつ感に打ちひしがれていた。


 事件から五日ほど経った頃、消失事件についての説明会が行われ、関係者である和馬も出席した。


 帰宅後、同事件を扱う報道番組を観ながら、和馬はその説明会の様子を思い出していた。


    ◇


 ――会場は異様な雰囲気だった。


 開始時刻にあと五分ほどという頃。


 会議室らしき大きな部屋に、長机ながづくえ椅子いすがたくさん並べられている。

 正面にも長机が横に三つほどつながっている。。


 部屋の後方には――恐らくマスコミ関係者だろうが――物々しい撮影機器とそれらを構えたり調整したりする人たち。


 何が異様かと言えば、誰一人口を開く者がいないというところだった。

 それなのに、何とも言えない熱気のようなものが部屋を満たしていた。


 とは言え、こういったたぐいの集まりに参加したことのない和馬には、普通はどんな感じなのか分からなかったのだが。


 和馬は、いている席を探して辺りを見回した。


 そして壁際かべぎわの机のところに一つ空きを見つけた彼は、すでに隣りに座っていた女性に「失礼します」と、軽く頭を下げながらそこに腰を下ろす。


 ――そして、思わず目をみはることになった。


 そこに座っていたのが、彼の顔見知りだったからだ。

 その女性も少しだけ驚いた表情をして、彼に目で挨拶をした。


 彼女の名は、犬養いぬかい莉緖りお


 和馬が彼女と知り合った時には――八乙女やおとめ莉緖と名乗っていた。


 細かいところはうろ覚えだが、うっすら茶色が差したロングヘアをひたいを出して左右に分けている髪型も、ぽってりと厚めの唇も、和馬の記憶には確かにあった。


 年齢は、彼と同じだったはず。


「あ、えーと、お、お久しぶりです――莉緒さん」

「お久しぶりです、黒瀬さん」


 とりあえず小声で挨拶を返す和馬だが、どうやら彼女が自分のことを覚えていてくれたことに少し安心する。


 しかし……と、彼は考える。


(八乙女先輩って、離婚したんだよな……?)


 和馬は、自分の妻である真白がつとめる小学校に、高校の先輩であり、汁好きの有志数人で運営している「汁マニアファミリー」なるブログの主催者でもある八乙女涼介りょうすけがいることは、当然のことながら知っている。


 真白と同様に、行方不明になってしまったことも。


(別れた元妻って、関係者になるのかな?)


「ちゃんと許可は取ってありますよ。私」

「へ?」


 莉緒が小声でささやく。


「だって黒瀬さん、『何で別れた女房が来てるんだ?』って考えてましたよね?」

「え、いや、その」

「いいんですよ。普通そう思いますものね」


 そう言うと、かたわらのバッグから一枚の紙を取り出した。

 それを和馬が見やすい向きにして、机の上を滑らせる。


「これは……」


「涼介さんのお義父とう様とお義母かあ様からの委任状です。本当は来るつもりでいらっしゃったみたいですけど、お義父様が体調を崩されてしまったんです」


「なるほど、そうでしたか」


「まあ私も詳しいことは知りたかったんですから、ちょうどよかったんですよ」


 委任状を再びバッグにしまいながら、にこりと微笑ほほえむ莉緖。


「――それでは、これより説明会を始めたいと思います」


 いつの間にか、前方の机に六人ほどの男性が座っていた。


 会の始まりがマイクで告げられたことで、和馬と莉緖の会話はそこまでとなった。


「お手元の資料をご覧ください。なお、こちらのプロジェクターを使いながら説明を進めさせていただきます」


 ――

 ――――

 ――――――


 この説明会は、教育委員会が主催したものだったらしい。


 警察関係者らしき姿も見受けられたので、両者で情報を共有しながらなんだろうなと和馬は思った。


 ただ、初めて耳にする情報がいくつかありはしたが、行方不明になった人たちの手がかりについては全くないらしい。


 和馬たち関係者たちにとっては、消失した部分の体積とか、出現した草原に生えている草の種類におかしな点があるとかは、激しくどうでもいい情報でしかない。


 彼らはただ自分の家族がどこに消えて、いつ帰ってくるのかということだけが知りたくてこの会に足を運んだのだ。


 ――結局のところ、行方不明の二十三人については完全にお手上げという話を聞いて、和馬を含めた参加者たちが肩をがっくりと落としたのも栓方せんかたないことである。


 すすり泣く声が複数聞こえてきたことから、むしろより絶望を深くしただけとも言える。


「さて、オレはもう帰ることにします。これ以上ここにいても、特に何もなさそうですから」

「そうですね。私もそうします。では黒瀬さん、お気を付けて」

「莉緒さんも」


 和馬は早々に、会場を後にした。


 司会が関係者への取材等を控えるように言ってくれたので、和馬たちがマスコミ関係者にわずらわされるようなこともなかった。


    ※※※


 和馬はリモコンで、テレビの電源を消した。


 結局、報道番組から得られたものは今日の説明会で得た情報を含めて、彼が知っているものばかりだった。


 これ以上を続けたところで、何の手がかりもつかめそうにになかったからだ。


 と言うより、この事件について真っ当に説明できるような人間などいるのだろうか。

 真面目に議論をしようにも、とっかかりが全く見えない。


 現象があまりにも現実離れしているせいで、ネット上ではやれ秘密に行われた新兵器の実験だとか、やれUFOによる大規模なアブダクションだとか、都市伝説や陰謀論レベルの話ばかりが流れている。


 無理もない、と和馬は思うのだ。


 先ほどの情報番組のコメンテイターのように、消失した空間の形と、新たに現れた草原くさはらという異物に着目する向きも多い。


 しかし、どこか別の空間と丸ごと入れ替わったのではないかという考察も、和馬にとっては何の根拠もない、有象無象うぞうむぞうの意見の一つに過ぎない。


 和馬の意識を引くには、至らなかった。


 ――ジリリリリリン。


 電話のベルが鳴った。


 かつて和馬が彼の祖父母の家で聞いたことのある、黒電話の音をした着信音だ。

 黒いビジネスバッグをけ、ぶるぶると震えるスマホを取り出す。


 <お義兄にいさん>


 画面に表示された名前を見て、和馬は自分の予感が当たったことを知った。

 

 真白の実家である黒瀬家とは、今日の説明会について事前に打ち合わせをしてあったのだ。


 今は和馬が家族だから、まず彼一人で会に参加して、その様子を後で知らせるということになっていた。


「もしもし、和馬くん?」


 応答アイコンをタップすると、和馬が「もしもし」と声を発する前に向こうの言葉が耳に飛び込んできた。


「あ、はい。そうです、和馬です」

「今、大丈夫かい?」

「はい、大丈夫です」


 黒瀬白人はくと


 和馬の妻である真白ましろ実兄じっけいで、黒瀬家の現当主……らしい。


 義父ぎふ慶雲けいうんは数年前に死没したが、まだ義母ぎぼである白帆しらほ存命ぞんめいである。

 それなのに、そういうことなのだそうだ。


(大体、今時「当主」なんて言い方、あんまりしないよな)


「それで早速なんだけど、どうだった? 説明会」


「一応資料とかもらって、いろいろ説明はされたんですけど、目新しい情報みたいなのはなかったように思います」


「そうか……まあ事件が事件だしね。それでも随分早かったと思うよ」


「早いって、何がですか?」


「説明会が開かれるのが、さ」


「確かに……そうかも知れませんね」


「ともかく前にも言ったように、申し訳ないけど一度こちらに出向いてもらって、話をじっくり聞かせて欲しい」


 正直なところ、和馬はこの義兄ぎけいのことがほんの少しだけ苦手だ。


 別に何かされたわけでもない。

 付き合っている時も結婚する時も、祝福してくれた。


 結婚してからだって、ほどよい距離感をたもってくれている。

 物腰も柔らかいし、むしろ一体何が不満なんだと言われてもおかしくない。


(お義兄さんがって言うより、黒瀬家から感じる『圧』のようなものに、ちょっとびびっちゃうんだよなあ……)


 実際、真白に連れられて初めて黒瀬家を訪れた時、まず敷地の広さに和馬は怖気おじけづいてしまった。


 目の前のゴツい門がまえも、そこから左右につながる長い長いへいも、彼にとってはまず普段の真白の暮らしぶりからは全く想像がつかない景色だった。


 さらに真白は真白で和馬の新鮮なリアクションを期待して、実家の様子についてはえて何も言わなかったのだ。


(まったくあの時は、醜態しゅうたいさらしちまったっけ)


「……和馬くん?」

「え……あ、す、すいません。そちらにお伺いする話ですね、了解です」

「大丈夫かい……?」

「はい、大丈夫です」


 白人のいたわるような声色こわいろに、和馬は少し申し訳ない気持ちになった。


明後日あさってなんてどうですか?」

「うん、いいね。何時ごろ来られそう?」

「そうですね……午後六時半くらいでしたら」

「分かった。せっかくだから夕食も一緒に食べよう」

「じゃあ、ご馳走ちそうになります」


 電話を切った後、盛大な溜息ためいきが和馬の口から吐き出される。


「いい人なんだよなー……いい人なんだけどさ」


 ここに真白がいれば、きっとそんな和馬のことを半分揶揄からかいながらも、「大丈夫よ」と言ってくれただろう。


 そんなことを考えていると、腹がぐうと鳴った。


 そこでようやく、和馬は昼に食べた給食以降、何も口にしていないことを思い出すのだった。

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