第一章 第03話 黒瀬白人

 その日、黒瀬くろせ和馬かずまの姿は黒瀬家の門の前にあった。


 インターフォンで到着したむねを告げると、木製の分厚い観音かんのん開きの門扉もんぴが静かにひらいていく。

 和馬は車に乗り直し、ゆっくりと門をくぐった。


 指定の駐車スペースに愛車を止め、車を降りた和馬はぐるりと周囲を見渡す。

 相変わらず馬鹿みたいに広い敷地だ。


 和馬は首都圏に住んだことがないので、いわゆる「東京ドーム〇個分」という表現が今ひとつしっくりこないのだが、そんな彼でもここはそういう数え方をするところだということは分かる。


 ただ、敷地の広大さの割りに建物の数は驚くほど少ない。


(いくつか家があるけど、真白ましろさんによれば分家の人たちが住んでるらしい)


 ――今さらだが、和馬は妻の真白を「さん」付けで呼ぶ。


 真白の方は「和馬くん」呼びだ。

 これは交際当初から変わっていない。

 ちなみに二人の年齢はと言うと、和馬は三十一、真白は二十八歳である。


 もちろん夫婦の間でなら、当人たちさえよければ好きなように呼び合えばいいわけだが、真白にとってはかたくなに「さん」を取らない和馬に少しだけ不満なのだ。


 そんな真白の気持ちに和馬は気付いていても、


(真白さんは……真白さんだ。オレ的にはそれが一番馴染なじみがいいんだ)


 と、変える気は一向にないらしい。


「いらっしゃい、和馬くん」


 和馬が玄関に近付くととびらがざっとひらき、中から黒瀬白人はくとが出てきた。


 白人の後ろには、濃灰色のうかいしょくのスーツに身を包んだ男が立っている。

 年の頃は四十代か五十代くらい。


「こんばんは、お義兄にいさん、香椎かしいさん」

「いらっしゃいませ、和馬さま」


 深々と腰を折るのは、香椎修一しゅういち

 黒瀬家の執事しつじである。


(当主とか執事とか、ホントすごいな、ここは)


 和馬「さま」と呼ばれるのも、大分だいぶ慣れた。

 初めのうちは相当こそばゆかったが、


「さ、入って入って」


 うながされるままに、和馬は玄関をくぐる。


 長い廊下を何度も曲がって、案内されたのは食堂。


「時間も時間だし、話は夕飯を食べながらにしよう。お腹はいてるだろう?」


「はい、結構減ってます」


「今日はボリュームのあるものを幸子さちこさんたちに頼んでおいたから、腹いっぱい食べていってよ」


「ご馳走ちそうになります」


「んー……」


「? どうかしましたか?」


「……いや、まあとにかく座ってよ」


 黒瀬の家は、遠目には代官山にある旧朝倉家住宅のような日本家屋に見える。

 しかし、近付いていくとむしろ洋館と言った風情ふぜいまとっていることが分かる。


 中に一歩入ると、もうそこは完全に大正ロマンの世界だ。

 ちょうど文京区の鳩山会館のような雰囲気である。


 そして今、和馬たちがいる食堂も、まさにそんな感じのたたずまいなのだ。


「さあ食べよう。では、いただきます」


「いただきます」

「いただきます」

「いただきます」

「いただきます」

「いただきます」


 初めてここに来た時、黒瀬家の威容いよう豪奢ごうしゃさに驚いた和馬だが、食事の時の様子にも興味をかれた。


 白人は、使用人の一家と共に食卓を囲んでいたのだ。


 和馬は差別主義者ではないし、使用人と言う職を下に見ているわけでもない。

 ただ、黒瀬家の感じから一般的な「貴族の食卓」を思い浮かべてしまったのだ。


「私は貴族でも華族でもないし、ほら、真白が君に取られてしまって母と二人になってしまったじゃないか。私は寂しい食卓は嫌いでね。それに、彼らも私にとって家族同様の存在なんだよ」


 あの時、そう言って笑顔を見せた白人に、和馬は非常な好感を覚えたのだった。


 ちなみに、一緒に食事を取っているのが香椎かしい家の人たちで、給仕きゅうじをしてくれているのが風吹ふぶき家の人たちらしい。


 ふた家族も使用人として雇っているのは、もちろん別の驚きである。

 交代制か何かなのかも知れない。


「母は仕事が長引くらしくてね、和馬くんに会えないのを残念がっていたよ」

「お仕事、大変なんですね」

「好きでやってるらしいからね」

「お元気で何よりじゃないですか」

「まあね。じゃあ早速食べながら話してもらえるかい?」

「はい」


 そうして和馬は、コピーした資料を白人に渡し、目の前の料理にほどよく舌鼓したつづみを打ちながら報告を始めた。


 ・校舎が消失した時、恐らく職員会議が始まっていたため、全職員が職員室に集合していたと思われること。


 ・行方不明になった二十三人の中には、面談でおとずれていた家族、遊びに来ていたと思われる高校生二人、学生協の配達員に加えて、何故なぜか下校したはずの児童二人が含まれていること。


 ・消失したのは半径十五メートルほどのきゅうに含まれた部分のもの全てで、北側に駐車してあった職員の自家用車や防災備蓄倉庫などもなくなっていること。


 ・血痕けっこん等は一切検出されていないこと。ルミノール反応もなし。


 ・少量の瓦礫がれきを分析したところ、それらは爆発残渣ざんさではない――つまり爆発による破壊ではないということ。


 それに加えて細々こまごましたことを、そして最後に、結局のところ行方不明者の安否については何も分からないままと言うことを告げて、和馬は報告を終えた。


「ふーむ……」


 報告の途中から何か考え込み、食事の手が止まりがちになった白人は、大きな溜息ためいきくと同時にうなった。


「確かに、一番知りたいことは分からないままなんだね……」

「ええ……」


 うつむきがちにこたえる和馬。

 普段なら談笑しながら食事を取っている使用人たちも、今日は一言も発しない。


 ――そのあと三十分ほどあれこれ話してから、和馬は食事の礼を述べて黒瀬家を辞した。


 和馬を手を振って見送ると、白人は自身の執務室に向かった。


 そこは二十四じょうほどの洋間。


 入って正面は一面のガラス張りで、昼間なら手入れされた内庭うちにわながめることが出来るが、今は洒落しゃれたデザインのブラインドが隠してしまっている。


 右側のへき面には本棚が並び、中ほどに寝室へと通じる扉がある。


 左側にはレトロモダンな部屋の雰囲気にあまりそぐわない、大型のモニターが六枚設置されている。


 そして部屋の中央には、L字型の大きな執務しつむづくえ鎮座ちんざしており、その上にはいくつかの書類の他に、PCのモニターとキーボード、ノートパソコンなどが置かれている。


 白人はしっくりと馴染なじんだプレジデントチェアにどっかり腰を下ろすと、胸元からスマホを取り出した。


「……あ、もしもし、玄一げんいちさんですか? こんばんは、今大丈夫でしょうか?」


『――――』


「はい、そうです。例の消失事件について……はい、はい、そうです」


『――――』


「それで日時なんですが、半月後の――辺りでどうでしょう?」


『――――』


「ありがとうございます。で、申し訳ないんですけど、摩子まこさんにこのことを伝えてもらってもいいですか? あの人、私のこと嫌いみたいですし」


『――――』


「すみません、お手数をおかけしますがよろしくお願いします。では、そういうことで」


 ピッ。


 白人は通話終了ボタンをタップすると、スマホを再び胸元にしまう。


 そしてこめかみを押さえながらつぶやいた。


「まさか……本当に存在したと言うのか――の地が」

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