第七章 第28話 逃避行の始まり

 天窓を突き破って、突如とつじょとして現れた襲撃者。


 久我くが瑠奈るなかばいながら、八乙女やおとめ涼介りょうすけが短刀を構える謎の人物と対峙しようとしたその時。


 新たな人物が同じ天窓から降り立ち、襲撃者をまたたに制圧した。


 彼女は名乗った。


 マルグレーテ・マリナレス、と。


    ◇


 目の前に立つ革鎧かわよろいのようなものに身をつつんだ女性は、マリナレスさんと言うらしい。


 よく見ると佩剣はいけんしている。


 い目の栗色くりいろの髪をうしろで一つにってらしている。

 俺の知ってる髪型で言うと、ポニーテールだな。


 ――ほんの少しだけど、山吹やまぶき先生に雰囲気ふんいきが似ているかも知れない。


 床にころがってうめいている男が天窓てんまどから突入して、まだ五分とっていない。

 そして、のんびり話しているひまもないらしい。

 すで階下かいかから、大きな音や怒号どごうのようなものがかすかにひびいてくる。


 つたないエレディール共通語で無理に話すより、マナー違反かも知れないが精神感応ギオリアラを使った方が手っ取り早いしニュアンスも伝わると思い、俺はマリナレスさんにノック・・・した。


 彼女はあっさりと回線をつないでくれた。


 危機一髪のところを助けてくれたことと言い、もしかしたら俺たちの事情に通じているのかも知れない。


(助けてくれてありがとうございます、マリナレスさん)

(そのことはいい。それより急いでもらいたいのです)

(下の方から何やら物騒ぶっそうな物音が聞こえてきますが……)

(おさっしの通り、あなた方をはさちにするつもりでしょう)

ねらいは、やっぱり俺たちなんですか?)

(そうです)


 俺は、拘束されている男を指さして伝えた。


(この人、完全に俺たちを殺そうとしていましたよね)

(ええ)

(命まで狙われるようなおぼえなんて、ないんですけど……)

(オズワルコスの手の者です)

(……え?)


 オズワルコス……?

 俺の知ってるオズワルコスさんって、一人しかいないんだが。


(オズワルコスって、学舎スコラート先生セルカスタのですか!?)

(そのオズワルコスです)

(一体、何だって彼が俺たちを?)


 階段を乱暴にのぼってくる音が聞こえてきた。


くわしい説明をする時間はありません。ここを脱出だっしゅつします。荷物キャリークの準備を!)

(わ、分かりました)


 とにかくここは言う通りにした方がよさそうだ。


 荷物と言っても大したものはない。

 俺は外に出していたタオルとか筆記用具なんかを手早くリュックにしまい、背負しょっった。


 瑠奈はいつの間にか、準備万端ばんたんで立っている。


(準備できました!)

(それでは少しだけ、ここで待っていてください)

(ここで、ですか?)


 俺は、ガラスが割れた天窓を見上げて言った。


エルザイアエストラから来ることはもうないと思いますが、一応注意していて)

(え、注意って言われても……)

(では、行ってきます)


 そう言うと、マリナレスさんは俺の言葉に答えず、ドアを開けて出て行った。


 しばらくすると、どたばたと何やら激しい音がしたが、それもすぐんだ。

 ちなみに足下あしもとにいた男は、さきほどマリナレスさんが部屋のすみの方に蹴転けころがしていた。


八乙女様ノス・ヤオトメ、部屋を出て私についてきてください)


 マリナレスさんだ。


 俺は瑠奈の手を引いて、ゆっくりとドアを開ける。


 左右を確認するが、廊下の向こうに立っている彼女以外人の姿は見えず、ドアは全てぴったりと閉ざされている。


 あ、いや……正確には、マリナレスさんの近くに人がまたしてもころがっている。

 同じ濃灰色のうかいしょくのフードローブを身に着けて、ぴくりともしない。


(こっちです)


 彼女がまねくままに、階段をりる。


 そして一階に到着すると――テーブルが二つほど倒れて、床に食べ物や飲み物が散乱していた。


 それらをリィナが一生懸命片付けている。


 少し離れたところに、例のフードローブを着た人物が二人、これまた縛られて転がっている。


 その横で、ペルが腕組みをして仁王におう立ちしていた。

 お客さんたちの多くは、その様子を遠巻きにながめている。


「りょーすけ!」

「りょーすき!」


 下りてきた俺たちを見つけて、リィナとペルが同時に叫ぶ。


ヴォッカデーレいったいどういうこと!?」

「すまん、俺にも分からないんだ」


 当然の疑問だろうが、俺も状況をまったく理解できてないんだよ。

 店の中も荒らされて、さぞご立腹りっぷくだろう。


 そのペルにマリナレスさんが近付いて、何やら話している。

 よく聞こえなかったが、「ネディネイパルテームしんぱいしないでください」だけ分かった。


八乙女様ノス・ヤオトメ、とりあえず外に出てください)

(分かりました)


 俺はリィナとペルにぺこりと頭をげると、瑠奈と一緒に扉を出た。

 何と、目の前に馬車ばしゃが止まっている。

 マリナレスさんも出てきた。


八乙女様ノス・ヤオトメ、今から言うことをよく聞いてください)

(は、はい)

(まずはこの馬車カーロに乗って、ピケに行ってください)

(ピ、ピケですか?)

(夜の街道アウトピータはそれなりに危険なものですが、ピケまでは比較的安全です)

(わ、分かりました)

(ピケに着いたら、お疲れでしょうがなるべく早く、ネイヴィスを探してください)

(船!?)


 マリナレスさんがうなずく。


(グラーシュがわをずっとくだると、オーゼにそそぐところにオーゼリアと言うとても大きな街があります。そこを目指してください)

(えーと、船でオーゼリアを目指す、と)


 マリナレスさんがふところから何かを取り出した。


 それは、一振ひとふりの短剣だった。


 つばこまかな文様もんようられ、中央の部分に何やら紋章もんしょうのようなものがある。


(こちらを)


 そう言って彼女はその短剣を俺に差し出してきた。

 俺は驚いた。


(ええっ!?)

(お持ちください)

(でも……俺、けんなんて使ったことないですよ?)

(こちらを持って、オーゼリアの「ヴァルクス」という家をたずねるのです)

(ヴァ、ヴァルクス……)

(この短剣があれば通してもらえるはずです。そして)


 彼女は、俺の眼をじっとのぞき込んだ。


(そこであなたが知りたいと願うことの端緒たんしょつかんでください)

(……マリナレスさん、あなたは――いや、あなたたちは何者なんですか? なぜ俺たちにこれほどまでによくしてくれるんですか?)

(今はそれにきちんと答えるいとまがありません。心配しないでくださいネディネイパルテーム我々はあなたの味方イーズユニテスキウスと言ったでしょう)

(しかし……)


 マリナレスさんは短剣を俺に押し付けながら言った。


(いずれ分かることですから。それよりピケにいても、決して領主ゼーレユーレジアには近付いてはいけません)

(えっ? まさかリューグラムさんが関係してるんですか?)

領主様ゼーレご自身は無関係です。しかし、毒がどこまで回っているのか・・・・・・・・・・・・・分かりません。いいですね?)

(は、はい。分かりました)

(では、馬車に)


 なかば押し込まれるように、俺たちは馬車に乗り込んだ。

 扉が閉まるがいなや、馬車は走り出した。


 マリナレスさんはしばらくこちらを見ていたが、じきに山風亭へと入っていった。


    ☆


 馬車が走り出してしばらくして、ようやく人心地ひとごこちついたころ、俺は思わず大きな溜息ためいきいてしまう。


「一体何なんだろうな……」

「せんせー」

「ん?」

「あの人は、だいじょーぶ」

「あの人って、マリナレスさんのこと?」


 瑠奈がこくりとうなずく。


「うーん、まあ確かに助けてくれたしなあ……。悪人って感じもしなかったから、本当に味方だと思いたいところだね」


 それにしても……。


 たった二十四時間程度のあいだに、どれだけのことが起こった?


 自分の身のことながら、信じられない程密度みつどの高い一日だった。

 しかも、あんまりよくないことばかりな気がする。


 唯一ゆいいつよかったことと言えば、ある程度の真実が判明したことだろうか。


 おかげで今後の大まかな行動の目処めどが立った。


 ――疲れたし、眠い。


 夕べはあんまり寝られなかったし、どうやら今日も馬車で夜を越さなければならないようだ。

 瑠奈もいつの間にやら、小さな寝息を立てている。


 窓の外は、ひたすらりたくったような暗闇くらやみ

 馬車のれで、かろうじて進んでいるのが分かるのみだ。


 そして――俺たちの進む先も似たようなものなのかも知れない。


 そんな中、さいわいなことに目指すべき場所が遠くで小さく光をはなってくれている。

 今はそれを信じて、足を踏み出すしかないのだろう。


 ――俺は目をつぶった。


 職員室が転移してきてからの毎日が、今更いまさらながら脳裏のうりよみがえる。

 いろんなことが、あった。


 正直……悪くない日々だった。


 そうして俺は、いつしかゆっくりと眠りに落ちるのだった。

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