第七章 第22話 請願

   星暦アスタリア12511年 始まりの月トゥセルナ 第一旬カウ・サーヴ 第八日目ビスガディーナ


   ――グレゴリオ暦20XX年 四月十一日 水曜日

   ――八乙女、療養九日目・帰校


   ―11―


    ◇


 ――職員室前にて


「そこをどいてください」


「そうはいきませんよ」


「私は、八乙女やおとめさんの治療をしに行くんです。彼の怪我けがは、あなた方のせいじゃないですか」


黒瀬くろせ先生、だったらかがみ先生に許可を取って来てくださいよ。勝手なことをしたら僕まで怒られちまいますから」


「鏡さんが何だって言うんです? いつから私たちの行動にあの人の許可がいちいち必要になったんですか?」


「いや、でも今はちょっと特別だし……」


「あなたを見損みそこないましたよ、純一さん。まさかあんな暴挙ぼうきょに出るなんて」


「いや、僕は殴ってませんよ」


「協力してたんですから、同罪ですよ」


「参ったな……」


「通さないのなら、大声でさけびますよ。あなたに乱暴されているって」


「ええっ、そこまでします?」


「じゃあ叫びますね。だれか――」


「分かった、ーかりましたから。通しますから、余計なことはしないでくださいよ」


「余計なことなんてしません。これ以上あの人を傷つけるわけにはいかないんですから」


 そう言うと、もう純一には一瞥いちべつもくれることなく、真白ましろはドアをけた。


 LEDランタンを少し高くかかげると、ソファに横になっている涼介りょうすけの様子が見えた。


 真白は小走りで駆け寄る。


「八乙女さん」


「黒瀬先生、聞こえてたよ」


「ごめんなさい、もっと早く来たかったんですけど」


「気にしないでよ。それよりも大丈夫なの?」


「何がですか?」


「いや、今そこで純一さんとめてたでしょ?」


「そんなの……知ったことじゃありませんよ」


 そう言うと、真白は手にしていた救急箱を開き、手早く準備を始める。

 アルコール綿で血をき取りつつ、消毒をする。


「それにしても、ホントに許せない。あの男」


「あの男って、どれ?」


「三人ともムカつくけど、特に壬生みぶさんね。どうしちゃったのあの人、気が狂ったみたい」


「あれが本性ほんしょうなのかねえ……」


「何を呑気のんきな」


 他人事ひとごとのように言う涼介に、思わず手当てが雑になる。


「いつっ! ちょっ、痛いよ黒瀬先生」


「もう、分かってるんですか? 八乙女さん、明日ここを出て行かなきゃならないんですよ!」


「朝飯、食わせてもらえるのかなあ」


「もうっ!」


 両手で涼介のほおをぱんとはさむ真白。

 その目がわずかにうるんでいるのを見て、涼介は言った。


「ごめん。迷惑かけるね」


「そうじゃないですよ! 何でそんなに飄々ひょうひょうとしてるんですか? 状況分かってます!?」


「分かってるさ。でもことここにいたっては、じたばたしても仕方ないよ」


「八乙女さん」


 真白は一段いちだん声をおさえて問い掛ける。


「校長先生のこととか、八乙女さんがこんな目にってることとか、何か心当たりはありますか?」


「なくは、ない。でも、それを確かめてる時間はなかったし、明日までにそうする自由は与えてもらえないと思う」


「じゃあどうしたら……私たちはどうしたらいいんですか?」


「黒瀬先生」


 涼介はじっと真白の瞳を見据えて言った。


「いい。一番大事なのは生き延びることだよ。全てはそのために」


「生き延びる?」


「もし、校長先生を手にかけたのが奴らなら、きっと次の犠牲ぎせいを出すこともいとわないだろう。さっきはありがとう、俺のために怒ってくれて。本当にうれしかった。でももう、ああいう態度はいたずらに危険をまねき寄せることにしかならない。今はひたすら従順じゅうじゅんにしてつんだ」


「そんな……」


「このことは、ここにいない瓜生うりゅう先生と山吹やまぶき先生にも伝えて欲しい。あの二人は信用できる。今思えば、計画をスムーズに進めるために、ていよく二人をザハドに追い払ったようにも思える」


「……確かに」


「特に心配なのが、子どもたちだ。かしこい子たちばかりだけど、どの子もまだどこかあやういところがある。はやって重大な危機を引き寄せるようなことがないように、みちびいてやってほしい」


「そんなの……私には荷が重すぎますよ――私、ただの養教ようきょうですよ?」


 涼介はうなずいた。


「いろいろ背負せおわせちゃってるのは自覚してるよ。でも今ここにいる大人で、黒瀬先生ほどこうやって腹を割って話せる人はいないんだ。特別なことなんてしなくていいから、とにかく生きて。生きてさえいればきっと、何とかなる」


「……分かりました」


 半べそで真白が言う。


 すると、

「黒瀬先生せんせー、まだですかー?」

 ドアの向こうから純一のかす声が響いてきた。


「あと少しですっ! もうちょっとだけ待って!」

 乱暴に返答すると、再び声をおさえて真白がささやいた。


「ひとつだけお願いがあります」


「お願い?」


「はい。瑠奈ちゃんを一緒に、連れて行って欲しいんです」


「……はあ?」


「あの子の親でもないのに、こんなことを言うのは非常識だって分かってます。でも瑠奈ちゃん、今すごくあやうい立場にあるんです」


「どういうこと?」


「少しだけ話してくれたんですけど、瑠奈ちゃんはどうやら、鏡さんのやってることの何かをつかんでるふしがあって……」


「……」


「恐らく彼女は、鏡さんにマークされてます。場合によっては手段を選ばない可能性すらあるんですよ」


「いやしかし、純一さんや英美里さんが」


「その二人にも関係するところなんですが……さっきの会議で分かったと思いますけど、ご両親はもう、鏡さんたちに取り込まれてますよ」


 思い当たるところがあるのか、涼介はうなってしまう。


 思わず頭をかかえようとするが、背中でわえられた両手がそれを許さない。


「一体何だってそんなことに……自分の子どもを守るべき立場だろうに」


「だからお願いです。瑠奈ちゃんを――」


「黒瀬先生せんせー、そろそろ見張りの交代時刻なんで、そこまでにしてください」


 再び純一の声が飛んでくる。


「瑠奈本人の気持ちは?」


「どうでしょう。ともかく彼女の荷物は私の方で何とかまとめておきますから。考えておいてくださいね」


「正直、連れて行くことは避けたい――」


 真白はもう涼介の言葉には答えず、道具をさっさとしまうとドアを開けて出て行ってしまった。


 残された涼介は、再び頭をかかえたくなる衝動しょうどうられる。


(無理だ……連れていくなんて。この先、自分の身ですらどうなるか分からないのに、あの子まで危険にさらすわけには……)


(しかし、黒瀬先生によればここにいても身の危険があるらしい。それでも……両親から引き離して連れていくなんて……)


 涼介が悩むことの出来る時間は、もうそれほど残されてはいない。

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