第七章 第15話 漏洩

   星暦アスタリア12511年 始まりの月トゥセルナ 第一旬カウ・サーヴ 第八日目ビスガディーナ


   ――グレゴリオ暦20XX年 四月十一日 水曜日

   ――八乙女、療養九日目・帰校


   ―4―


    ◇


「それじゃ、一旦いったん失礼します」


 そう言って、八乙女やおとめさんたちは保健室を出て行った。


 ザハドで療養りょうようしていた八乙女さんが、先ほど帰ってきた。


 迎えに出た黒瀬くろせさんたちと一緒に、報告のために私のところに来てくれたようだ。

 見たところ、彼はすっかり回復していた。

 本当によかった。


 あいにく山吹やまぶきさんは、入れ違いにザハドへと出発してしまっていたらしい。

 早く二人で話が出来るといいのだが。

 個人的には彼女の想いがみのって欲しいと思っている。


 ただ……願わくば、私のところへは八乙女さん一人で来てくれたらよかった。

 そうでなければ、話が出来ない。


 いずれ皆が知ることになるのだとしても、今の段階で一斉いっせい周知しゅうちするわけにはいかないのだ。


 私の身体さえ万全ばんぜんなら彼をどこかに呼び出して、ということも出来ようが、一人で動ける自信がない。


 確かに長い間食事を満足に取っていないから、体力が落ちているのは仕方ない。


 だとしても、このひど倦怠けんたい感は一体何なのだ?

 ふわふわして、まるで力が入らないのだ。


 ――とにかく、何とかして彼にこのことを伝えなければならない。


 万が一のことを考えて、ザハドでわしたあの人・・・との会話データが入っているスマホに、私が知り得た全てをボイスレコーダーで改めて録音した。


 そのスマホは、校長室の金庫に入れてある。


 指導要録ようろくなどが入っている金庫だから、かぎは職員なら皆知っているが、多少の時間かせぎにはなるだろう。


 私の口から直接話せなくても、せめてデータの所在しょざいだけでも八乙女さんに知らせるには……どうしたらいい?


 ――こんこんこん。


 ノックの音だ。

 一体誰だ?


 夕飯にはまだ少し早い時間のはずだが――――

 まさか!


 がらがらとドアがひかえめな音を立ててひらく。

 そこから顔をのぞかせたのは――瑠奈るなさんだった。


(これは……)


 これは、天の配剤はいざいか。

 確かにこの子になら、たくせる。

 むしろ彼女以上の適任てきにん者は、いないだろう。


(しかし、だ)


 こちらに向かってゆっくり歩いてくる瑠奈さんを見て思う。

 自分は何と冷酷れいこくな判断をくだしているのか、と。


 彼女に頼むと言うことはすなわち、この件に巻き込むことにほかならない。

 守るべき存在を、危険にさらす――さらさねば、守れない。


 ……しかし私はこの二律背反にりつはいはんじみた事実を、力でつぶしてえる必要がある。


「瑠奈さん、どうしました?」


 私の問いかけに、彼女はじっとこちらの目を見返すことで答える。

 そのまま動かない。

 何かを待っているようにも思える。


 私は、決断した。


「瑠奈さん、二つお願いがあります。聞いてもらえますか?」


 彼女はこくりと、力強くうなずいた。

 待ってましたと言わんばかりの勢いで。


 これは決して、私が自身を正当化するための妄想もうそうではない。


「それではまず、紙と……何か書くものを持ってきてください。鉛筆えんぴつでもボールペンでもいいので」


 すると、瑠奈さんは黒瀬さんの机にすっ飛んでいき、引き出しから黄色い大き目な付箋ふせんと黒ボールペンを探し出した。


 私は差し出されたそれに、必要事項を二点、書き込む。


 ・今日の午後八時に、保健室にいる私のところまで来て欲しいこと。

 ・出来れば事前じぜんに、校長室の金庫に入っている私のスマホを入手にゅうしゅしておいて欲しいこと。


 私は書き終えた付箋を一度だけ折りたたみ、瑠奈さんに渡した。


「これを八乙女先生に渡してほしいのです。他に誰もいない、二人だけの時に渡してください。決して誰にも知られないように。頼めますか?」


 彼女は再び力強くがえんじた。

 まかせて、と言っているように感じる。


 こんな小さな子にたくほかない自分が情けない。

 それでも、理由も聞かずに引き受けてくれた彼女に、大きな感謝を。


 来た時と同じように、控えめに退出した瑠奈さん。

 今はもう、しんと動かないドアに向かって思う。


 どうか、彼女の上に幸運がおとずれますように。


 ――彼女の身が、安全でありますように、と。


    ☆


 突然、俺の胸を誰かがたたく気がした。


 幼子おさなごが家に入れてくれと泣き叫びながらするがごとき、激しさで。


 俺はそれを、ひとまず迎え入れることにした。


    ◇


 瑠奈は探していた。

 ちょうどよいタイミングを。


 しかし、帰ってきたばかりの八乙女の周りには、常に誰かがいる状態だった。


 彼女なりに出来ることはした。

 それでも頼まれていたのは、このメモを渡すことだ。


(校長先生は、夜の八時に会いたがっている……)


 何としてもその前に、八乙女に手渡てわたさなければならない。

 手渡さなければいけないのに――


 どすん!


 一階の廊下を急いで走っていた瑠奈は、ちょうど階段からりてきた人物がいることに気付かず、盛大せいだいにぶつかってしまった

 無言ではじき飛ばされる瑠奈。


 その手から、しっかりにぎりしめていたはずの黄色い紙片しへんちゅうを舞い、男の足下あしもとにぽとりと落ちた。


 男はそれを拾い上げ、開く。


 そして、元のように折りたたむと、廊下に倒れている瑠奈に声を掛けた。


「大丈夫かね。確か……久我瑠奈さんだったかな」


 瑠奈の顔が絶望にまみれた。


 腰を抜かしたように、立ち上がることが出来ない。


 男はしゃがんで、LEDランタンを床に置くと彼女と視線を合わせた。


 男の顔にくらい影が落ちる。


「ほら、これ落ちたよ」

 と言うと、瑠奈の右手を取り、先ほどの紙片を握らせた。


「足をくじいたりしていないかね。保健室はすぐそこだが、運んであげようか」

 瑠奈はふるふると首を横に振った。


「そうかね。暗い中を走ると危ない。気を付けなさい」


 男――かがみ龍之介りゅうのすけは瑠奈にそう声を掛けると、再びランタンを手にして歩き去った。


 瑠奈は廊下にぺたんと座ったまま、ただただ呆然ぼうぜんとするのみだった。

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