第七章 第14話 早見澪羽の含羞(はにかみ)

   星暦アスタリア12511年 始まりの月トゥセルナ 第一旬カウ・サーヴ 第八日目ビスガディーナ


   ――グレゴリオ暦20XX年 四月十一日 水曜日

   ――八乙女、療養九日目・帰校


   ―3―


    ◇


 星祭りでの怪我もえ、ようやく退院?を果たした俺。


 またしてもご丁寧に馬車を手配してもらい、東の森の大分深いところまで送っていただいた。

 そこからてくてく、てくてくと歩き、ようやく見慣れた草原に。


 いつものように考え事をしながらのんびりを進める俺の耳に、自分を呼ぶ声が聞こえてくる。

 三人ほどの人影が、俺の前方に見えた。


 そこから、ひときわ小さな影が飛び出してきたのだ。


    ◇


 ドゴォッ!


「おぶっ!」


 瑠奈るながその勢いのまま、俺の腹にタックルをかましてきた。


 無防備な俺は、思わず変な声を出してしまう。

 突っ込んできた瑠奈は、俺に抱きついて顔をごしごししている。


「お帰りなさい、八乙女やおとめさん」

「お帰りなさい、先生」


 黒瀬くろせ先生と澪羽みはねが、優しい声を掛けてきた。

 二人ともにこにこしている。


「もしかして迎えに来てくれたのか?」

 こくこく。


 瑠奈は俺の腹に顔をうずめめたまま、うなずいた。


「先生。瑠奈ちゃんが、突然保健室に飛び込んできたんですよ」

「その前に、澪羽さんも急に立ち上がったわよね」

「あ、はい……」


 何か前に、同じようなシチュエーションがあったような……。

 俺は気絶していて後から聞いた話ではあるけど。


「俺が帰ってきたの、分かったの?」

 こくこく。


 瑠奈が顔を上げて、もう一度うなずく。

 何かうっかりさらっと流しちゃいそうだけど、これはちゃんと考察すべきことだぞ。


 ここから学校までは、目測もくそくで三百メートルは離れてる。

 その距離で俺の接近を知る能力ってのは、明らかに精神感応せいしんかんのうとは違う。


 今の黒瀬さんのげんによれば、澪羽にも同じ力があるらしい。

 俺には……恐らくだけど、そんなレーダーみたいな真似まねは出来ないと思う。


「八乙女さん、いろいろ、大丈夫ですか?」

「うん。ご心配おかけしました。大丈夫だよ」

「先生、あの……殴られたほっぺたって、どっちですか?」

「えーと、左だったかな。もう治ったよ。ほら」


 そう言って左のほおを差し出すと、澪羽は恐る恐る手を伸ばしてきた。

 ぴと、と彼女のひんやりとした指が触れる。


 何か確かめるように上下左右に動かした後、ゆっくりと引っ込める。


れて……ません」

「そうだろ?」


 俺は道の先を見た。

 三人の他に、出てくる様子はない。


「黒瀬先生」

「はい?」

「俺が戻ってきたってこと、他の人たちは?」

「まだ知らないと思いますよ。私たちがどたばたしてるのを見て、気付いた人はいるかも知れませんけどね」

「なるほど……それにしても、瑠奈は一体どうしちゃったの?」


 俺の腹にしがみついたまま離れようとしない瑠奈。

 悪い気はしないけど、ちょっと様子がいつもと違う気がして心配になる。


「うーん……私にもよく分からないけど、気の済むようにさせてあげて?」

「まあいいけどさ」

「早見さんはいいの?」

「え? 何がですか?」

「八乙女さんにしがみつかなくて」

「!」

「おいおい、黒瀬先生」

「だって……早見さんたらすごく心配してたし。八乙女さんのこと」

「!!」


 可哀想かわいそうに、真っ赤になって向こうを向いてしまった澪羽。

 女子高生を揶揄からかってやるなよ……。


「もちろん、私だって心配してましたよ?」

「そいつはどうも」

「何か扱いが軽くありません?」

「そんなことないって」


 ぱんぱんと、二拍手にはくしゅ一礼いちれい


「またもう、すぐにそういうことを」

「わざわざ迎えに来てもらって、感謝してますってば」

「分かりましたから、もう帰りましょ」

「瑠奈、帰ろう。ほら」


 俺が右手を差し出すと、顔を上げた彼女はすっと左手でつかんだ。

 横に並んで一緒に歩き出す。


「澪羽、ありがとうな」

「い、いえ……」


 顔はこっちに向けてくれないが、俺の感謝は彼女にも伝わっただろうか。

 実際、三人の気持ちは本当に嬉しいのだ。


 陽は西にかたむき始めている。

 少しだけ黄色みが増した西の空に向かって、俺たちは歩き出した。

 

 まずは、かれこれ十日とおか以上留守にした学校の様子を聞こう。

 何か変わったことはあっただろうか。


「で、学校の方はどうなの?」

「そうですね……壬生さんについては私もよく知りません。ぱっと見では何も変わったように見えませんね」

「ふむふむ」


 さすが、黒瀬先生。

 俺の聞きたそうなことをピックアップして話してくれるようだ。


「山吹さんは、今学校にいません」

「へ?」

瓜生うりゅうさんとザハドに出張中です」

「そうなんだ。いつから?」

「今日ですよ。向こうで会わなかったんですか?」

「いや、会ってないけど?」

「あらまあ、入れ違いかしら。可哀想に」

「どういうこと?」

「山吹さん、お見舞いに行けるって張り切ってましたから」


 なるほど。


 まあどっかで行き違ったんだろう。

 それにしても……瓜生先生とってことは、開拓班がらみの仕事の通訳ってとこか?


「いつ頃帰ってくるのか、知ってる?」


「一泊二日って言ってましたから……明日あすじゃないかな」


「そっか」


「ちなみに彼女、すごーく落ち込んでましたよ。でも校長先生に呼ばれてからは、少し元気になったみたい」


「さすがだな、校長先生あのひとは」


「でもね、校長先生って最近、体調が目に見えて悪くて……」


「そうなの?」


「うん……特にこの二、三日はベッドからほとんど起きられないみたい。そんな状態だからご飯もあんまり食べられなくて。悪循環ね」


 ――心配だ。


 校長室での様子が思い浮かぶ。

 あれは確か、大晦日おおみそかだったか。

 あの時俺は、リーダーが迷ったらどうしたらいいと問われた。

 誰かに相談すべきという俺の答えは、校長先生あのひとにどうひびいたんだろうか。

 ありきたりの言葉ではあったけど、それしかないと今でも思う。


点滴てんてきとか栄養剤とか、ないもんね」


「そうですね……こっちの世界だとこういう時、どうするんでしょうね」


「俺の場合、フォマールって人が手当てしてくれたけど、他に魔法ギームを使うクラクールて言う職業もあるみたいだね。多分、フォマールが医師で、クラクールが治癒師ちゆしってとこかな。ニュアンス的に」


魔法ギームを使って治療ちりょうなんて……ファンタジーだわ。私にも出来るのかな」


「どうだろ。でも校長先生の様子によっては、その辺の派遣はけんを頼んだ方がいいかも知れない。ちょっと図々ずうずうしいけどさ」


「うん……そうですね」


 あれ、澪羽は?


 ――と思ったら、後ろの方をとぼとぼ歩いていた。


 黒瀬先生は、瑠奈の右側で手をつないでいる。


 何か……三人で横になって歩いて、その後ろから一人って絵面えづら的にあんまりだよな。


「澪羽」

「はい?」

「ほれ」


 ちょっと気恥きはずかしいけど、俺は左手を彼女の方に差し出した。


「え、えぇっ!? これって……」

「この道なら、四人で横になって歩いても十分行けるだろ」

「で、でも……」

「ほら、早く」

「えーっと……えぇ? 瑠奈ちゃんまで……」

「お、何だ? 精神感応テレパシーでしゃべってんのか?」

「はい……『早く手をつないで!』だそうです」


 そう言うと澪羽は、おずおずと右手を近づけてきた。

 俺はそれをがしりとつかみ、彼女を俺の左側に引き寄せた。


「瑠奈、俺とも精神感応してくれよ」


 と言う俺の要請ようせいに、瑠奈はぷいと横を向いて答える。


 その様子を見て、得意そうな顔の黒瀬先生が、


「八乙女さん、私は瑠奈ちゃんとお話したこと、あるんですよー」

「マジで?」

「マジです。まだはっきり伝えるのがすごく難しいんですけど、前に八乙女さんと試した時よりは上手くいきましたよ」

「ずるくない? 俺だけじゃんか、しゃべってくれないのは。何で?」

内緒ないしょなんだよね、瑠奈ちゃん」


 澪羽の言葉に瑠奈がこくりとうなずく。


「澪羽は理由を知ってんの?」

「はい。でも教えてあげられません」

「何で」

「だって、約束ですから」

「ふーん、まあいいけどさ」


 瑠奈が手をぶんぶん振る。

 何が言いたいんだろうな、これ。

 よく分からない。


 分からないけど……何となく幸せな気分だ。

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