第七章 第10話 久我瑠奈の不安

   星暦アスタリア12511年 始まりの月トゥセルナ 第一旬カウ・サーヴ 第四日目タスガディーナ


   ――グレゴリオ暦20XX年 四月七日 土曜日

   ――八乙女、療養五日目


   ―2―


    ◇


 その夜、久我くが瑠奈るなはふと目を覚ました。


 枕元まくらもとに母親のスマホが置いてある。

 が、横で眠っているはずの本人の姿がない。

 トイレか何かだろうと、瑠奈は思った。

 時刻は午前零時れいじを少し回った頃。


 瑠奈は再び目をつむる。


 さっきまで見ていた、もう既によく覚えていないが、何だかとても楽しかった夢の続きが見られるように願いながら。


 と言うのも、最近、瑠奈は日々、言い知れぬ不安にさいなまれていたのだ。


 両親の様子がどうもおかしいこと。

 八乙女の怪我。

 そして、一昨日おととい偶然に聞いてしまった、朝霧あさぎりかがみの会話。


 瑠奈が一番つらいのは、母親が八乙女のことをざまののしるようになったことだ。


 その遠因が自分にもあることに、まだおさない彼女は気付いていない。

 だから、母親の豹変ひょうへんが全く理解できないのだ。


 父親の自分を見る目に、何とも微妙びみょうな色が混ざっていることも、瑠奈のうれいをより一層いっそう深くさせている。


 元々瑠奈は、人の悪意に敏感だった。


 特に自分に向けられた場合には、それが例え瞬間的なものであっても鋭敏えいびん察知さっちした。

 その悪意を、ここ数日の間に何度も感じているのだ。


 ――眠れない。


 まぶたをぎゅっと固く閉じても、眠気ねむけ一向いっこうに襲ってきてくれない。

 むしろ、どんどん遠ざかっていくように感じられる。


 ――母親がなかなか戻ってこないからだ。


 嫌な予感が瑠奈の心で渦巻うずまく。


 彼女は少しだけ逡巡しゅんじゅんしてから、寝床ねどこい出た。

 ランタンをえて持たずに、裸足はだしのまま教室をそっと抜け出る。


 暗闇くらやみに対する恐怖は、彼女にはあまりなかった。

 闇は彼女に何もしてこない。

 ただ、そこにあるだけ。


 瑠奈にとって怖ろしいものは晦冥かいめいではなく、人だった。


 人の気配けはいさぐりながら、ゆっくりと移動する瑠奈。


 壁をつたいながら階段を下り、一階へ。

 そのまま職員室の方へ静かに向かう。


 いそうな場所に心当たりはない。


 どんな小さな声でも聞き逃すまいと、瑠奈は進んだ。

 そして――職員室の後方かられ出てくるかすかな話し声を、彼女はキャッチした。


「――に、いいのでしょうか?」

「今更――です?」

「でも、――」

「憎い――めが」

「はい――」


 確かに自分の母親と――鏡の声だった。


 こんな夜中に実の母親が、父親でない男とこそこそ何かを話している。


 予感めいたものがあったとは言え、いざ現実として突き付けられると、瑠奈の心は激しくさぶられた。


 ――もういい。


 もうここにはいたくない。


 瑠奈は自分の部屋に向けて、静かに走り出そうとした時。

 彼女の腕が、職員室の壁をこすった。


 ぼそぼそと聞こえていた話し声が、ぴたりと止まった。


 瑠奈はかまわず走り出した。


 ドアががららとひらく音が背中に聞こえたが、彼女は振り返らなかった。

 見られただろうか。


 ――どっちに?


 寝床のある三年一組の教室に近づくと、瑠奈は足を止めて息を整えた。


 足音を忍ばせて中に入り、プライベートエリアに辿たどり着いた彼女は寝床に飛び込んだ。

 そして、目をぎゅっとつぶった。


 ――それからしばらくして、母親は戻ってきた。


 静かに毛布にくるまる瑠奈を見下ろし、つぶやいた。


「見ては、いないわよね……」

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